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D4C.のだれかれ vol.5

張 慈文。Webデザイナー。台湾 台南市 出身。
D4C.の紅一点。2017年入社。フロントエンドエンジニアを目指しながら、デザイン、Web構築を担当する。趣味は街ブラ、カフェ巡り、バスケ、読書、絵本。

よくしてくれた日本への恩返しも込めて。
美術教師を目指していた張。大学3年生が終わる頃にはすべての単位を取り終えていたため、4年生の1年間、暇を持て余すことになってしまった。そんな時に、ふと目に止まったのが、日本にある姉妹校との交換留学制度。今のうちに海外を経験しておくのも悪くないと考え、日本へ渡った。とりあえず、五十音を覚えただけで、会話はまったくできない。しかしながら、周りの日本人は、何かと自分のことをよく助けてくれる。おかげで留学生活は、楽しく身のあるものになった。日本で働いてみたいという気持ちは、この時に芽生えたという。

留学後、台湾の百貨店にディスプレイデザイナーとして就職をした。いわゆる空間デザインがメインだが、商品の陳列、ポスター制作、イベント会場の設営など何でもこなしていた。2年半ほど働いたところで、日本で働いてみたいという気持ちを抑えきれずに退職。日本でデザイン関係の仕事にチャレンジをする決心をした。だが、問題は日本語。日本に渡ってからは、ビジネスでも使える会話を身につけるため、アパレル、ジュエリーショップで販売員として働くことにした。すぐにでもデザイン関係の職に就きたかったが、言語ばかりはしょうがない。そして、3年ほど日本語の勉強をしながら働いた。そんなある時、母親が病気になったことをきっかけに、帰国をすることになる。幸い、大事に至ることはなかった。このまま台湾で働くのもいいかと思ったが、日本でのチャレンジはまだ自分の中で終わったわけではなかった。デザイン関係の仕事をするという目標を達成するため、再び日本に戻ることにした。

自分の力で生きていけるように。
日本に戻ってからはじめたのは、Webの勉強。これからの時代は、Webデザイナーが活躍できると踏んでの試み。そして、D4C.に参加することになる。念願叶って、デザインの仕事に就いたわけだが、特に難しいと感じるのは、日本人に受けるデザインを組むことだ。国が変われば、文化が変わる。見方も、感じ方も、日本と台湾では違ってくる。その穴を埋めるのは容易ではないが、D4C.には百戦錬磨のデザイナーたちがいる。さまざまなことを吸収しながら、日々、感覚をつかんでいる。もちろん、苦労することのほうが多いが、最近ではデザインからWeb構築まで、ひとりでこなせる案件もできた。

将来の夢は、自分の会社を日本でつくること。まだまだ、遠いかもしれないが、いつか実現したいと思っている。そう思うのは、祖国の父を超えたいから。幼い頃から印刷業を営む父親の姿をそばで見てきて、いつしかそんな気持ちを抱くようになったという。まだまだ、その夢ははじまったばかりだ。

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