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D4C.のだれかれ vol.2

木村 謙一。代表取締役 アートディレクター。D4C.創業者の一人。子どもの頃から絵を描くことが好きだったが、地元に美術を学べる学校がなく、建築学科に入学した。その後、空間デザイン、広告デザインへと道は変遷。最終的に広告業界を目指したきっかけは、大学受験のために通っていたアトリエによく来ていたおじさんから言われた「木村は、建築じゃなくて広告向きだな」という一言だった。


仕事を「もらう」から「つくる」へ
美大を卒業した後に入社したのは、有名なクリエイティブを多く手かげていた広告制作会社。当時、webは少なく、マスメディア広告、ロゴ、パッケージなど、グラフィックデザインを木村は担当していた。誰でも名前を知っているクリエイター絡みの仕事。しかしながら、華やかなのは見た目だけ。実際に仕事をしてみると、求められるレベルは果てしなく高い。デザインカンプ数十案なんてのは当たり前。徹夜で仕上げて、翌朝には出勤。まさに不夜城。そんな日々が続いていた。おかげで、今でも流通している商品のパッケージを手がけたり、国民的なアイドルを起用した広告を制作したり、デザイン、アートディレクションのスキルを磨くことができた。しかしながら、自分のプライベートは崩壊。この時、「業界の働き方」に対する意識が強くなり、転職を決意した。

転職活動を行いはじめて数ヶ月。大手広告代理店へ入社した。その会社こそが、森岡、桝井、貴島との出会いの場だ。新しい職場では、クリエイティブだけでなく、粗利を求められた。自分たちの力でいかに稼いでいくかを学び、ビジネスに対する意識付けができた。そして、募られた早期退職。森岡と同じく、桝井に誘われる形で、D4C.を立ち上げることになる。リーマンショックで景気は底。だとすれば、ここからは上がっていくしかない。大手企業も広告費の削減で、大手広告代理店から制作を切り替える流れもあった。独立する意味は十分にある。もちろん、収入面に関する不安はあったが、「絶対、すぐに稼げるようになる」という桝井の自信に助けられた。


月曜日が楽しみな会社に
やるからには、面白いことをしたい。クリエイティブという枠組みは、果てしなく大きい。例えば、経営、人事、農業など。いろんなものに合わさることで、新しい価値が生み出されていく。創業当時に抱いていたそんな夢は、現在進行形だ。D4C.もまだまだ面白くできる。もっと、みんなが楽しめるような会社にしていきたい。誰かが何かをしたいと言ったら、そこにみんなのスキルやクリエイティブをギュッと。

最近、ゴルフをはじめたのも、楽しそうなことに挑戦したかったから。旅行によく出かけるのは、日頃見ることができないものを見に行くため。ある程度想像ができてしまう場所にはいかない。少しお金を出してでも、新しいものを見に行きたい。

夢中になれると人は強い。夢中になれるということは、楽しいと感じているということ。心から楽しく仕事ができる環境をつくることが、一番大切だとも考える。広告業界は、好きでその道に入る人が多いから。仕事で苦痛を感じていてはもったいない。働き方にしてもそう。メリハリをつけることができれば、また次の仕事への活力も生まれるだろう。


人との関わりが、次の面白いを生み出す
自分のクリエイティブを求めてくれる人がいることを嬉しいと感じながら、この10年を歩んできた。信頼関係を築くコツは、相手の意見を受け入れること。例えば、自信たっぷりに出したデザインに疑問が返ってくる。それは一つの意見であり、それを汲み取ることができなかった、こちらの力不足。そう思って取り組むことで、人間としての力がついてくる。デザインはひとつのツールに過ぎない。自由な業界だからこそ、約束を守る、律儀さを通す、受け入れる。ビジネスとして当たり前のことを丁寧にする。そしてまた、次のクリエイティブを考えていく。クオリティを上げるということは、そういうこと。人間関係をつくり上げていくことこそが、大切なのだと。

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