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「いつだって、リスクはこの瞬間が最小」23歳で起業&28歳でM&Aを選んだ経営者が今思うこと

6月中旬に開催された、IncubateCamp主催の起業家向けイベントに
Connehito代表の大湯が登壇しました。
本日の記事では、Connehitoにも投資家として参画していた
プライマルキャピタル 佐々木浩史氏と大湯の対談の一部をご紹介します。

23歳で起業し、25歳で事業転換、28歳でM&Aーーー
チームで大きな目標に挑み続けるために必要なマインドとは? 
起業してからの5年間について、その裏側をご紹介します。


この機会を逃すことがリスクだと思った

佐々木:はじめて会ったのは5年前だったよね。確か大湯さんのコンサル内定者時代。あの時もう起業しようと思ってた?


大湯:そうですね、あのときすでに起業を考えていました。一年間のアメリカ留学から帰ってきてすぐで、内定先からは一年間入社を待ってもらっていました。留学を経て、おぼろげながらトライしたいと思っていることがある中、共同創業者の島田に出会いました。今振り返るとすごくタイミングがよかったです。「この人と、このテーマで、今やりたい」と思ったんです。

あと、自分は割と真面目な方だと思っているので(笑)、一旦会社に入ったら真っ当に頑張ってしまうだろうなと思っていました。数年後、ちゃんとサラリーマンとして評価された結果、一定程度のお金や社会的地位をもったとき、自分では起業に踏み切れる自信がありませんでした。

当時は、この機会を逃すことが自分にとっては一番のリスクだと感じていたんです。


 (起業してすぐ出場した「KDDI ∞ Labo」打ち上げでの一枚)


佐々木:事業を始めて一番最初に手をつけたことってなんですか?


大湯:なにを大切にしているかを自分の中で明確化することでした。

私は、もともと起業をしようと思っていたわけではなかったので、「なぜ起業をするか」という理由、他の色々な可能性を捨ててまで起業をする納得感、を持つことがすごく大切でした。

今思えば、その時から将来「諦めないようにするための準備」をしていたんだと思います。


自分が"サービスを作る人"から「経営者」になった瞬間

ーーラフな雰囲気の会で、来場者の方からの質問も随時受け付けました。


質問者:事業転換のタイミングで、会社を辞めた人っていたんですか?


大湯:当時正社員が5人いましたが、Creattyからの事業転換を考えている途上で1人が退社しました。すごく仲が良いメンバーでしたし、自分の会社から人が辞めること自体が初めてだったこともあり、その事実がショックでした。

このことがきっかけで、どれだけ仲が良くても自分は従業員にとって上司であり社長なのだと気づきました。恥ずかしい話ですが、会社を立ち上げてからそれまでの二年間ほど、どんなモチベーションでメンバーが働いているのか考えたことがほとんどありませんでした。とにかくいいサービスを作ることに必死で、サービスとその先のユーザーのことばかり考えていました。

自分は社長なのだから、たとえ相手が同い年の友人であっても、相手を褒めたり時には叱ったりしてモチベーションを維持しなくてはならないのだいうことに、社員が辞めて初めて気付きました。

その瞬間が、自分にとってサービスを作るプロデューサーから、経営者としての自覚をもったタイミングだったんだと思います。


佐々木:その時、何歳ですか?24?25?


大湯:25ですね。


佐々木:25歳で「自分は社長だ」ということに気づいた・・・すごいですね。メンバーが辞めるまでの2年半足りなかったのは「組織」という視点ですか?


大湯:そうですね。今思い返してもユーザーには徹底的に向かい合っていましたが、それ以外が見えてなかった。当時はクライアントもいなかったですし、なにより従業員に向き合うという視点が欠けていました。


この領域は人のためになっていると思った

質問者:二個目のサービスとして、妊娠・子育てという領域を選択した背景と、領域を決めるのにかかった時間を教えてください。


大湯:ママリのほかにも複数事業案がありました。たとえば、今でいうSnapchatのようなチャット系のサービスとか、住宅関連や、流通も好きなので流通系のサービスとかも考えました。ママリにしぼるのにかかった時間はだいたい、二ヶ月〜三ヶ月くらい。並行して住宅系のサービスも進めながら事業を選定していました。

ママリの妊娠・子育て領域には、自分の中で納得感がありました。この領域は「人のためになっている」。インターネットを通じて、人の生活になくてはならないものをつくっているな、と感じていました。


ママリ事業を始めた当初のこと

佐々木:ちょうどママリを始める前に、大湯さんが「グーグルで分からないことを分かるようにするサービスを作る」と言っていたのがすごく印象的です。ママリを始めたときってどんな感じだったんですか?


大湯:ママリは渋谷のボロボロのアパートの一室でスタートしました。アパートの壁が土(!)で、エレベーターもないので4階のオフィスまで毎日階段で上がってました。


(当時のオフィス)


大湯:最初から今の事業領域に限定していたわけではなく「健康生活ラボ」という、健康全般をあつかうサイトを作っていました。

仮に20年後Facebookは残っているかわからないけれど、人間が健康について悩んでネットで調べるという行為はなくならないと思ったんです。あとは人間の健康情報のデータは、価値が高いと確信をもっていました。そこから、どんどん深堀りしていってママ向けの情報に特化していきました。


とにかく全員で記事を書いた

質問者:ママリを始めてすぐの時期はどんなことをしたんですか?


大湯:とにかく全員で記事を書いていました。エンジニアもインターンもみんな集まって、男ばかりで顔をつけあわせて医学書を読みながら妊娠週数別の記事を書く、みたいな。いま思うと異常な光景だったと思います。笑


 (当時の社内風景)


大湯:経営をする中で一つ大切になるのは、KPIをどこに設定するかということだと思います。ママリの初期はPVやUUではなく、あえて「記事数」をチームのKPIに置きました。


質問者:それはどうしてですか?


大湯:メディアってそんなに簡単に伸びないんですよね……継続して記事数を蓄積することで初めて数字が出るものなんです。PVやUUをKPIに置くとまず目標値は達成できず、「こんなに頑張ってるのになんで目標達成できないんだろう……」とメンバーのモチベーションが下がってしまいます。

だから最初は、自分たちの努力次第で達成可能な「コントロールできる数字」をKPIに置いたほうがよいと思いました。私たちの場合はそれが、記事数でした。


Googleに解けない問題に向き合う


質問者:最初、記事数だったKPIがどのように変わっていったのか知りたいです。


大湯:はじめはとにかく記事数を追っていて、3時間で1本だから、今日は15時間で5本は書けるよね、みたいな。ある程度記事が溜まってからは、月に来てくれる人の数(MAU)をKPIに置きました。KPIは事業のフェーズにおいて意味合いが変わってきます。


質問者:コミュニティを作ったあとは、質問の投稿数も自然と増えたんですか?


大湯:そうですね。メディアが立ち上がる裏側で現在の「ママリQ」の大本になるコミュニティをつくっていました。「疑問」や「共感」はまだグーグルが解けていない問題です。それを解決できる場を作っている中で徐々に伸びていったというイメージです。


僕らが頑張ると日本の人口が増える

ーー今回のSyn.ホールディングス株式会社による連結子会社化に関して。


佐々木:資金調達も併行で動いていたよね。どうして最後、M&Aを選んだんですか?


大湯:語弊を恐れず言えば、個人的には資金調達かM&Aかということには、あまりこだわりがありませんでした。事業を大きく、本当によいものにしたいと思った結果が今回の選択でした。

サービスを通じて人の生活をよくするためには、大きなトライが不可欠です。ママリを通じて金融や復職、住宅などの領域に踏み込みたいと思っていましたが、そのような分野でチャレンジするためには数十億以上の単位での資金が必要です。自分の会社だけ取り組むには、スタート地点に立つだけでも時間がかかりすぎてしまうと感じました。やりたいことが最短距離でできると考えて、今回、KDDIグループという力強いパートナーを選びました。


佐々木:大湯さんと話していると、事業の軸がすごく強いなと思います。そして、軸が強くなればなるほど、HOWは問題ではなくなってくると感じます。


大湯:「僕らががんばると日本の人口が増える」とすごく真面目に思っているんですよね。それくらい大きな目標に挑戦しているので、どのような手段を使うかは大きな問題ではないと考えています。


夢中になれる分野があるのは大きな強み

佐々木:大湯さんは脳内リソースと時間のリソース配分のバッファってどういうふうに作っていますか?経営者にとって、オフの時間はあったほうがいいと思いますか?


大湯:あったほうが想像性が高まると思うんですけど、私はこれまでバッファなしでやってきました。ある投資家の方には「土日に事業計画書を送ってきたのは大湯くんだけだ」と言われました。笑

それでもしんどさを感じないのは、扱っているサービスが自分の関心が高い領域だからこそだと思います。日夜考えてても楽しくなってしまう領域があるのは大切です。そういう意味では、今好きだと言い切れる領域がある人は、それだけで一つ勝ちパターンにはまれていると思います。

経営をしていて思うことは、「日本在住インド人向けに包丁を売る事業モデル(!)」とか、そのレベルでよく分からないセグメントでない限り、ある程度の成功なら努力次第でどうにでもなるということです。

だからこそ、自分がずっとそのことを考えていても苦痛を感じないくらいに夢中になれる分野を突き詰めることは大切です。


「やることのリスクは、いまこの瞬間が最小」

佐々木:最後に起業家を志す方に向けてメッセージをお願いします。


大湯:やることのリスクは、どんなときも今この瞬間が最小です。やりたいことがあるなら早くやったほうがいい、本心でそう思います。

どれだけ無理したって、今の時代、日本で死ぬということはまずありません。とにかく早くやってほしい。トライしてほしい。後悔をしてからでは遅い、今は失敗も経験として評価される時代になりつつあると感じます。だからこそ「いま」チャレンジをしてもらえたらなと思っています。その上で私が手伝えることがあれば力になりたいと思います。


お読みいただきありがとうございました!


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