私のエネルギーチャージ
- 「一人で(静かに)過ごす」
- 「ボーッとする」
- 「肉を食べる」
- 「寝る」
これが最近の私のエネルギーチャージでした。最後の2つは生理的現象のような感じですが、最初の2つにはエマジェネティックスの特性がよく出ていると思います。
「一人で(静かに)過ごす」…自己表現性 左寄り・社交型潜性。誰かと会って、話を聞いてもらったり、会話したり、賑やかに過ごしたりするよりも一人で(静かに)過ごした方が落ち着くし、好きです。
「ボーッとする」…コンセプト型顕性。コンセプト型顕性は、脈絡もなくアイディアが閃いたりします(通称:降りてくる とも言います)。そして「考えよう」と思って机に向かっている時よりも休憩中など関係のないことをしている時にアイディアが降って来ることが多いです。
自分で見つける
そう考えると、私がエネルギー切れを感じていたのは、「誰かと一緒にいることが多かった」、「机に向かって “考えよう” “考えねば” という時間が長かった」という事が影響しているように思います。
これを仮説として立ててからは、小まめに休憩を取るようにしたり、休憩の際はデジタルデトックスしたり、社内のミーティングをなるべく少なく短くできるようにしたりしています。
多様性の本質
「多様性」とはここ数年よく聞くようになったワードです。
人種差別やジェンダー問題は特にクローズアップされているかと思います。しかしニュースやたくさんの人が集まる場面、学校などでは、多様性を認める(オールOK)というよりは、「マイノリティに目を向けないようにしている」ような印象を受ける事が多いです。
以前よく耳にした「運動会で全員手を繋いでゴール」などの平等意識も、ただ「女性らしく~」という文脈を言ってはいけないというルールとしての認識も、単純に“違い”から目を背けようとしている表れであるような気がします。
少し話が飛躍しましたが、冒頭から言っている「エネルギーチャージ」の方法に違いがあることもまた多様性であると思います。元気がない相手に、自分が良かれと思ってアドバイスしていることも相手にとっては逆効果であったりします。
多様性を大事にするという本質は、自分や相手と向き合って互い(の気持ち)を理解するところにあると思います。自分も相手も本当の意味でリスペクトする、そんな事が当たり前の世界になると良いですね。