離職率40%となり、崩壊してしまった組織のその後
様々な理由が重なり、私が所属していた部署は離職率が40%となり、組織が壊れてしまいました。
(詳しくはこちら)
そんな部署を翌年から私が受け持つことになりました。
私も崩壊した組織の真っただ中にいた人間ですから、しんどい想いだったことは言うまでもありません。
部を持たせてもらうことになって決めたことは、
なんとしてもこの組織を働くのが楽しい、やりがいがある、そして勝てる組織にするということでした。
それが私自身の「働く意味」にもなっていました。
そこから3年かけて、離職率は1桁まで落ち着き、しっかりと予算もオーバーパフォーマンスし、部内から全社NO1の生産性の高いグループも輩出することができました。
そんな3年間をどのように過ごしてきたのか、超リアルな話をここでまとめます。
1にも2にもコミュニケーションを意識した1年目
部長一年目の仕事は、とにかくメンバーとのコミュニケーションを徹底することを心掛けました。
前年に半分近くが辞めてしまった組織です。
とにかく組織の中に「安心・安全」を醸成したかったのです。
これまでクライアントの元に行く時間が仕事の8割以上を占めていましたが、
その仕事のウェイトを大きく変更。
各チームが開催しているセミナーや研究会に足を運び、メンバーのフォローに入りました。
特に少人数で動いているチームほど時間を取るようにして、
彼らの安心感を醸成することに重点を置いていきました。
前半戦、数字も順調に伸びていたものの、後半に失速。
結果として予算も達成できず、また離職率も前年よりは落ち着いたものの、まだ20%近い状態の中、あっという間に部長1年目が終わります。
コミュニケーションに重点を置いた一方、
それだけでは「勝てる組織」には程遠いということを実感した1年でした。
自己実現とやりたいことをつなげる2年目
コミュニケーションの”量”は増やした。
一方で、”量”が”質”に転嫁していなかった。
2年目に意識したことは、この”質”への転嫁でした。
コミュニケーションという手段を通じて、メンバー一人一人の自己実現のサポートをすること
その結果の集積こそが、成果の最大化になると考えたからです。
その為に、当時少しずつ日本でも耳に入り始めた1on1を始めます。
部のメンバーは約40人。
そのメンバーと毎月30分の1on1を実施。
1階層、2階層飛ばしての1on1でもありましたが、
これもやったことがないことをいきなり押し付けることもできないと思い、
自分自身でやることを決めました。
話をしながら、そのメンバーのやりたいこと、目指すものを理解し、
それがどのようにして実現できるのかを考えて、部の運営をする。
一方で会社が目指す方向感も理解し、本人のやりたいことと会社が目指すところをつなげる。
そんなことを意識した毎月の1on1でした。
結果として離職率も10%近くまで下がる一年となりましたが、
一方でまた大きな課題を突き付けられる出来事がありました。
それは、若手エースメンバーの離職。
特にそのメンバーは、部内の中でもコミュニケーション量が多く、
いろんな話をしてきたメンバーでした。
そんな彼は、バリバリのベンチャー企業で新たな事業の立ち上げに参画するために
離職を決めたのでした。
この時痛感しました。
コミュニケーションだけではダメ。
本人のやりたいことをサポートするだけでもダメ。
そもそも所属する組織にワクワクできる未来がなければ、そこにいる意味がないのだと。
学びある2年目となりました。
目指すところとやりたいこと、やるべきことを明確にした3年目
3年目はこれまでの2年で学んだことを実践するのみの1年でした。
会社だけではなく、部署としての未来をきちんと描く。伝える。
さらにその下にあるグループにもそれぞれの役割を描く。伝える。
コミュニケーションの細かい部分は、階層を落とし、任せる。
やったことはこれだけです。
それが明確に発信できる組織体制になっていたため、
最後の1年間はとてもやりやすい一年でした。
組織としての結果は、最初にお伝えした通り。
崩壊した組織を経験し、
その立て直しを実際に行った中で学んだこととは、
強い組織創りとは、結局のところ
ワクワクできる未来を描き、役割を明確にし、
そこにコミュニケーションという手段を用いて個人と仕事と未来をつなげてあげる事
でした。
それを肌身を持って理解することのできた3年間でした。
最初からわかっていたらもっと早く立て直すことができたのだろうかと思うこともあります。
一方で、急ぎすぎてもダメだったこともあるのだろうと思います。
こういう組織をわざわざ立て直す側の仕事をやる機会はそんなにありません。
ですからこれは私の人生においてもとても貴重な3年間であったことは言うまでもありません。
そしてその経験が大きいからこそ、
働く人がやりがいを持って輝き、成長できる企業創り
を自分の生涯の仕事と思えるようになりました。
何事も経験は宝です。