コンサルタントが製造業の経営を担うまで。赤字企業からグループ最大の高収益企業へ ~新社長・中東秀喜が語るIBUKIと自身の歩み~
山形県西村山郡にある射出成形用金型メーカー・株式会社IBUKI(以下、IBUKI)。同社はかつて、破綻寸前になるほどの経営危機を経験しました。売上は大幅に落ちこみ、ピーク時に200人を超えた従業員数は最悪期には約20人程度まで低下したのです。しかし、IBUKIはそこから劇的な回復を見せます。2014年にO2グループへと参画した後、営業利益額は徐々に向上。現在ではグループ内で、もっとも利益額の高い企業へと変貌しました。
IBUKIの成長を支えた立役者のひとりとして、中東 秀喜が挙げられます。中東はもともと、O2からIBUKIへと派遣されたコンサルタントでした。その後、IBUKIの経営に参画し事業改善に貢献。2021年4月より同社の代表取締役社長を務めています。IBUKIや中東のこれまでの歩みについてインタビューしました。
製造業の現場で経験を積んだ後、O2のコンサルタントに
――まずは中東さんのO2参画前のキャリアについてお聞かせください。
私は自動車会社の技術者としてキャリアをスタートし、製品設計を担っていました。その後、電通国際情報サービス(以下、ISID)に転職し、CADシステムの営業技術などに携わります。
ISIDでキャリアのひとつ、自動車会社のマツダにMPO(Mazda Program Office)設立メンバーとして赴任。マツダでは米国自動車会社とのジョイントプロジェクトや自動車の設計支援、CAD関連業務、データの分析・活用など多種多様な業務に携わりました。ISIDのキャリア後半では、同社で培ってきた知見や経験を生かし、新規ビジネスの創出や製造業のコンサルティングも担うようになります。
――O2参画の理由について教えてください。
自分のスキルを他の会社で試したいと考えるようになりました。ISIDの看板に守られていたからこそ仕事ができていたのか、自らのスキルが広く通用するものなのか、ISIDを離れて挑戦したくなったのです。
もともと、ISID時代からO2のことは知っていました。当時のO2は企業としてまだまだ成長過程にあり、自分の力を試すには良いタイミングでした。また、製造業のコンサルティングという業務内容も、私の過去の経験が生きるだろうと考えたのです。O2での業務を通じて日本の製造業の方々に貢献したいと考え、入社を決めました。
――中東さんのどのような実績や強みが評価されて、IBUKIへの派遣や経営参画が決まったのだと思われますか?
私はO2で、設計・製造におけるコンサルティング手法を用いて、複数の大規模プロジェクトのマネジメントを担い、成功に導いてきました。それらのプロジェクトではO2のコンサルタントを束ねるだけではなく、大手企業様の数百名規模の部署・部門に対しても会社の垣根を超え様々な支援をしていたのです。これらの実績を評価されたことが、IBUKIへの派遣や経営参画につながったと考えています。その後、IBUKIで数々の業務改善を続けた結果、2021年4月に代表取締役社長に就任いたしました。
“受け身の経営”が招いていた赤字体質
――IBUKIの歴史についてもお聞かせください。O2グループ参画前は、赤字の時期が続いたと伺っています。
これまで、IBUKIの経営状況は景気に大きく左右されてきました。プラスの影響を受けた時期もあれば、マイナスの影響を受けた時期もあります。
マイナス影響が顕著だったのがリーマンショック以降です。主要な取引先である家電メーカーからの受注が激減し、それに伴ってIBUKIの業績も大きく落ち込みました。従業員数は最盛期の200名以上から約20名に減り、設備なども縮小せざるを得ませんでした。まさに風前の灯火という厳しい経営状態でしたね。
――なぜ、景気の影響をそれほど強く受けたのでしょうか?
要因のひとつとしては、受け身の経営が続いたことが挙げられます。自分たちから何かを提案するような能動的な事業を実施できておらず、受注する案件量が完全に外部要因に依存していました。いわゆる下請け体質だったのです。その受動的な経営スタイルが、時代の波に呑まれる要因になったと考えています。
経営状況を改善するため、製造業のコンサルティング経験が豊富なO2グループの傘下に入る決断が行われました。O2グループの会長である松本晋一が、2014年にIBUKIの代表取締役に就任。O2のコンサルティングのもと、IBUKIの企業体質を改善していく取り組みが始まったのです。複数の優秀なコンサルタントが順番にIBUKIへ赴き、さまざまな施策による改善を続けました。
歴代のコンサルタントたちの取り組みが功を奏し、数年かけて徐々に企業体質が改善していきました。しかし、2014年から2017年にかけて業績が良くなったものの、私の就任前である2018年のタイミングでは一時的に赤字になってしまいました。
――大変なフェーズが続きますね。なぜ、再度の赤字に?
要因はいくつかあり、そのひとつには社内のあらゆるものを変えるハードなフェーズと業務の忙しさが重なったことによる、社員の疲弊がありました。社内の活気が少しずつ失われていたのです。
また、能動的な経営を目指してはいたものの、まだ真の意味では受け身の経営スタイルからの脱却ができていませんでした。その状況下で私はIBUKIに就任し、さらなる改善を進めました。就任初年度は、受注額を伸ばし黒字へと転換しました。その翌年である昨年度も、2年連続の黒字を実現しております。
今後も確固たる経営基盤を築くため、新しい組織づくりや業務改善を実施します。このまま業績が伸び続ければ、真の意味でIBUKIが強くなったといえるのではないでしょうか。
一般的なハンズオンとは一線を隠す。黒字化を支えた施策
――経営改善のために行ってきた取り組みの詳細についてお聞かせください。
一般的にコンサルティング企業が投資先企業のハンズオンを行う場合、経営戦略・事業戦略をコンサルタントが作成し、施策の実行は投資先企業に任せるケースが多いように思います。どちらかといえば「させる、やらせる」というイメージでしょうか。
しかし、IBUKIの事業改善を行うには、より現場レベルでの改善が必要になると考えました。従業員の意識や業務への取り組み方そのものも変えていくべきだと判断したのです。また、O2はIBUKIを単なる買収先ではなく、同じグループの一員として共存共栄する仲間であると捉えていました。
そこでIBUKIの業務関与においては、コンサルタント自身も製造業の現場に赴き、技術者たちと同じ目線に立ちながら改善を進めていきました。「させる、やらせる」ではなく「膝を突き合わせる」という感じでしょうか。さらに言えば、現場レベルの改善として私たちは業務の見える化を推進してきたのですが、ただの見える化ではなく「わかる、見える」を心がけてきました。
<改善された業務の例>
――「わかる、見える」とはどのようなことでしょうか?
私たちコンサルタントとものづくりの職人が持っている知識やスキルは全く異なります。コンサルタントが「○○○という業務を行う際には、こんなやり方をするのが当然だろう」と考えても、あくまでコンサルタントの思う常識にすぎません。そのため、コンサルタントが構想した手法をそのまま現場に押しつけても、決してうまくいかないのです。
何かを現場に導入する際には、単なる依頼でとどめるのではなく、職人たちの目線に合わせて「やってみせる」「話してみる」「やり方を見せて、一緒にする」という地道な努力を2年間続けてきました。また、闇雲に多くのことに手をつけるのではなく、着実に今日ひとつ成果が出るような施策を行うことを心がけました。現場で働く人々が成果を実感でき、前向きな気持ちで業務に取り組めるようにしていったのです。
そして、臨機応変に施策を行うけれど、人への接し方はいつ・誰に対しても変えずにフラットな状態を保つ。職人たちがやる気になってくれるような接し方をすることを常に心がけました。
――職人たちの目線に立つことを大切にされてきたのですね。
抽象的な動きに思われるかもしれませんが、企業の再生や改革においてはこうした行動がとても重要です。私は、製造業の会社を良くするための一番の方法は、職人の技術に敬意を払うことだと考えています。職人たちはみな、自分の技術に対するプライドを持っています。口に出して敬意を伝えることで、彼らのモチベーションは大きく向上するのです。
――それ以外に、販売チャネルを拡大するための取り組みについても教えてください。
新規の営業先として、これまで主な取引先だった製造メーカーだけではなく、OEMを行う企業も対象としていきました。IBUKIの持つ金型の技術を武器として「弊社はこんな製品を製造できますよ」と提案していったのです。
また、加飾技術をベースにした新規事業の創出にも取り組んできました。IBUKIの本社は山形県にあるのですが、主な取引先は半径200kmほどの圏内にあります。もし取引エリアを広げるとしても、半径400kmまでが限界です。北関東地域までは進出できるものの、その範囲内では金型のニーズの大幅な伸びは期待できません。
この状況を改善するには、弊社が持つ加飾技術を武器としつつ、この技術を“抽象化”したサービスを立ち上げていくことが重要になります。
――技術を抽象化したサービスとは、どういうことでしょうか?
金型をつくるという作業をより抽象度高く表現すると「鉄を加工して何かをつくる作業」と言い換えられます。こういった捉え方をすることで「金型製造だけではなく、広義の金属加工のノウハウを生かして、何かの事業を創出できるのではないか」という発想の転換ができ、ビジネスの可能性が生まれてくるのです。現在では、IBUKIの持つノウハウをAIやIoTなどの新技術と組み合わせ、新しい事業を創出する試みも行われています。
お話ししたような施策が複合的に作用し合うことで、会社は良い方向へと向かいます。どれかひとつでも欠けてしまうと、どんなに優れた施策でも上手くいかず、黒字化も達成できません。こうした動きを行った結果、改善が進み徐々に利益が出るようになっていきました。しかし最大の成功要因は、IBUKIのメンバーたちが同じ方向を向き、ついてきてくれたことだと私は考えています。
IBUKIを100年続く会社にしたい
――中東さんの過去の経験をふまえ、製造業のコンサルティングに携わる者に求められるスキルやマインドについて教えてください。
情報を俯瞰的に判断しつつ、なるべく早期にクライアントへ最善策を提示するスキルが重要です。そして製造業のコンサルティングにおいては、自分自身が持つ専門知識のエッセンスを抽象化しながら、クライアントの事業領域の課題解決に役立てることが重要になります。
私のキャリアを例として挙げると、過去には自動車会社で働いていた経験があります。仮に発電所に関連した事業のコンサルティングを行う場合、発電所のタービンと自動車のエンジンには共通した原理・原則がありますから、そこを入り口としてコンサルティングに役立てられるわけです。
マインドの面では「For Customer」を意識して行動することが大切です。私たちコンサルタントは、顧客の課題を解決することが役割。心からのおもてなしの気持ちを持つことが、良い結果を導いてくれるのです。
そして、コンサルタントに最も大切なマインドが「諦めない心」です。お客さまがコンサルタントに依頼する理由は、難易度の高い課題を解決してほしいからです。簡単なプロジェクトはひとつもありません。そのため、どんな困難な状況でも必ず手段はあると考えながら、プロジェクトに取り組む姿勢が求められます。
私も過去には、何日もひたすら考え抜いた結果、ふとした瞬間に解決策が浮かんで改善に成功したケースが何度もありました。諦めない心こそが、コンサルティングを成功に導くのだと思います。
――IBUKIの今後の展望についてお聞かせください。
IBUKIは現在、創業から88年目になります。今後のさらなる繁栄を願い、私たちは『IBUKI100』というコンセプトを定めました。「100年続く会社にしたい」「未来まで永続的に続く会社にしたい」という想いが込められています。この目標を達成するために、私が実施したいことは大きく3つです。
1つ目は、企業が成長していくための道筋を築いていくこと。全社員が安心して働けるように、業績をさらに伸ばしていかなければなりません。既存の金型事業に関しては、堅実な成長を続けたいと考えています。一方、新規事業に関しては、大規模なプロジェクトの受注や他社とのアライアンスなどを行い、非連続的な成長を実現したいですね。
2つ目は、事業や経営状況のさまざまな指標を定量化し、数字として示せるようにしていくこと。そして3つ目は、将来への備えとして社員の採用や育成、新しい取り組みの検討などに注力していくことです。
決して、私が何十年も社長を続けられるわけではないですから、良い後継者を育てて、次の世代にしっかりと引継ぎをしていきたい。IBUKIという会社を良い状態で後世に残していくことこそ、私の大切な責務だと考えています。
――最後に、コンサルタントがキャリアパスのひとつとして製造業の経営を担う意義をお答えください。
コンサルタントは自らの考えや各種の方法論をベースとして、各クライアント企業様の事業改善を支援します。コンサルタントが企業経営に参画することは、過去のキャリアで培ってきたスキルを、真の意味で証明することにつながると私は考えています。
企業経営を成功させられれば、ひとつのモデルケースとして若いコンサルタントの指標になれます。コンサルタントが研鑽を重ねて身につけ、お客様に提供してきた方法論が間違っていないことを、実例をもって証明できるわけですから。
自分自身のキャリアの集大成として、IBUKIという企業をさらに良くしていけたら嬉しい。従業員やお客様、そしてIBUKIに携わる全ての方々に貢献できれば幸いです。