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【代表インタビュー】経営者として本当にやりたいことは、ただ一つ。“社員全員が幸せになれる会社づくり”(第一回)

2016年創業から成長を続けるITベンチャー、ライトアーム。成長の原動力は代表妹尾の会社づくりへの熱い想いです。創業のきっかけやミッション・ビジョン・バリューなど、妹尾に直接インタビューしました。全二回にわたってお楽しみください。

■ヤンキーだった学生時代。自分のイメージ払拭を原動力に自衛官からITエンジニアへ転身

ーーまずは、ファーストキャリアである航空自衛官を目指した経緯を教えてください。

高校時代は、いわゆるヤンキーでした。「歴史の年号なんて覚えた所で何になるんだ!」と先生に刃向かうような子どもだったので、もちろん先生からの評判は悪かったですよ。高校3年生で自分が社会人になることを自覚した時、自分の能力や学校のレベルからしても、就職先は工場などの力仕事しか選択肢がなかった。

そんな悩みを抱えていた時に、たまたま自衛隊のポスターを見つけたんです。就職でも進学でもない、これは自分に合っているかもしれないと、クラスメイトがくれた資料請求はがきを送ってみました。早速説明に来た自衛官の方から願書を受け取りエントリーして、高卒で航空自衛官として入隊しました。

ーー創業して代表になる前は、エンジニアをされていたそうですね。航空自衛官からエンジニアへのキャリアチェンジに、どのような経緯があったのでしょうか。

入隊2年目ともなると学ぶのが楽しくなり、仕事に無我夢中で取り組みました。ですが、自衛官はどんなに頑張った所で給与は一定。モチベーションを上げるにも限界を感じていました。また、当時は世の中にWindows95が登場し、ビル・ゲイツ氏や孫正義氏といったITの寵児たちが大きな注目を浴びていた時代。職場でも、IT化への動きを早々に体感していました。

国防用のシステムはビジネスシーンよりも数年技術進歩が速く、私が所属していた部隊の利用システムも刷新されて、自衛官の仕事も7割がすでに自動化されていたんです。1日の7割の仕事がなくなる、かといって自衛官は空き時間に新しいことをすることもなく、ただ暇な時間が増えていくのみ。

「時代は進化している。このまま自衛官を続けていても、システムリプレイスによって仕事がなくなってしまう…」と自分の将来への不安を抱く中、今の年齢であればまだ一般企業への転職も間に合うだろうと転職を考えだしたんです。そしてもし目指すなら、これからの時代に必要とされるITコンサルタントになろうと決意しました。そして、まずはエンジニアとして現場経験を積もう。そう考えてプログラムの勉強を2年間独学で学び、5年の満期で自衛隊を除隊。30歳までにITコンサルタントになることを決意して、23歳でIT業界デビューをしました。

ーー将来のキャリアや自身の社会的地位について、かなり敏感である印象を持ちましたが、そうした意識や行動の背景にはどんな想いがあるのでしょうか。

若い頃はやんちゃをして親に迷惑もかけましたし、「地元で後ろ指を指されたくない」という想いもあったんですよね。世には素晴らしい職業がたくさんありますが、将来有望なITエンジニアになったら、見直してもらえるんじゃないかって。いたってシンプルな考え方ですよね。この想いが、将来のキャリアに向かって前向きに頑張れる原動力になっていたのだと思います。

■「私が妹尾さんだったら、会社を立ち上げます。」あるエージェントの一言で芽生えた会社設立への想い

ーーIT業界でプレイヤーからスタートし、どのようにキャリアを積んでいったのでしょうか。

26歳でエンジニアとして上京し、30歳で目標のITコンサルになって様々なプロジェクトに携わってきました。ある上場企業の開発部長を担っていた37歳の時は、収入もある程度確保されていましたし自分の中でもキャリアに見合った妥当なポジションに行き着いたと感じていました。でも一方では、「世に名を残すような、サービスを開発したい」という自社サービス開発への想いがありました。

そんな当時、自宅の空き部屋を朝食付きで旅行客に貸し出す民泊サービスを展開するアメリカのAirbnb(エアビーアンドビー)が、世界中の借主と賃主をつなぐプラットフォームを開発し、日本に参入してきたんです。国内では高齢化が進み、内需拡大も見込めない日本は観光資源をもっと活用すべきという社会課題が挙がっていた時代でしたが、外国人を招き入れた所で受け入れる場所がない。ならば、同じく課題となっていた830万戸の休眠住戸を使えばいいという案が出たものの、宿泊させるのに一定の基準を必要とする旅館業法が足かせになっていたんです。

そこで行政が動き、休眠住戸を活用するために国家戦略特別区域法が制定されました。法律が変わる時は、大きなビジネスチャンスがあります。「これはチャンスだ」とこの法案改正に向けて、日本向けにシステムをシンプル化した同様のサービスを立ち上げようとITベンチャーに入社しました。

ですが、開発前に転職先の会社の業績が赤字に転落し、資金不足でリリース前に断念せざるを得なくなってしまった。ジリ貧で退社を考えるようになり、転職活動を始めたのが39歳の時でした。

ーーそんな中で「起業」という決意が生まれたのは、どんなきっかけがあったのでしょうか。

転職にあたり私は3社のエージェントに相談をし、2つの転職条件を提示しました。1つは同等の報酬で、経営陣として受け入れてくれる企業。もう1つは、新規サービスの立ち上げを担当させてくれる大手企業です。先にお会いした2人のエージェントからすぐにマッチしたオファーをいただいていたので、残る1社のエージェントの方に会うかどうか迷いましたが、すでに約束していたこともあり会いに行ったんです。向かった先は、小狭いビルのシェアオフィス。僕よりも年下の社長一人でやっている、立ち上がったばかりの人材紹介会社で、正直あまり期待をしていませんでした。

他のエージェントと同じようにキャリアや希望条件の話をした所、意外にも提示条件をきっぱり否定されたんです。これは予想外でした。そのエージェントいわく、僕の開発実績や立ち上げたサービスを世間は一つも知らない。これはつまり、あなたには成功経験がないということです、と。

オファーはたくさん来るけれど、成功体験のないあなたにオファーする社長は、サービス開発がいかに難しいかを知らない。きっと何年もしないうちに、いつになったらサービスは成功するんだと詰められて給料を下げられ、また転職活動をしなきゃいけなくなる。経営者になることについても、あなたを雇える今はいいけど、そのうち事業が失敗したら会社の代表が病んで逃げてしまう。責任感のあるあなたが借金を背負った所で、首がまわらなくなるのがオチですと、そう言うんですよ。

確かに思い返せば、私のまわりでもそんな末路を辿った人はたくさんいました。もう何も言い返せなくて、「じゃあ、どうしたらいいですか?」と聞くと、その担当者がこう答えたんです。

「私が妹尾さんだったら、会社を立ち上げます。」

と。「仮に経営能力がなくて3年で会社がつぶれても、まだ43歳。その年齢で社長経験ありって、めちゃくちゃ魅力的な人材じゃないですか」と言うんです。その言葉を聞いて完全に思考が停止してしまい、結局その場では答えが出せませんでした。帰りみち、11月半ばの新宿の寒空の下、「あのエージェント、すごい奴だったな…」と思いながらブランコに乗って一人夜空を見上げていましたね。

人の人生に真っ向勝負で向き合って最適な提案ができる、あのエージェントがそこまで言うのなら挑戦してみたい。それで起業を決意し、翌日からすぐに準備を始め、2016年1月にライトアームを設立しました。


■先人に学び、自分と向き合って行き着いた「自分が本当にやりたいこと」

ーー偶然出会ったエージェントの一言が、運命を変えたんですね。会社設立後、事業の状況はいかがでしたか。

求職者の人生をまっすぐ受け止め、最適な提案のできるエージェントに憧れを抱き、コンサルティング事業、人材紹介事業、教育事業をスタートしました。

人材教育の経験があるからわかるのですが、紹介する人材が会社にとって優秀な人材であるためには、入社後の教育が大事なんですね。そう考えて、エージェント業だけでなく、教育もプラスしたサービスを始めました。でも、売り手市場で紹介する人材の確保が難しく、2年間やっても全然儲からなかった。だから、同時並行で軌道にのっていたコンサル業を続けることにし、エージェント・教育業は廃業しました。でも、会社設立とはいえ、一人社長の個人事業主と変わらない状態。オフィスを構えて人を採用しようか悩んだのですが、リスクを背負ってまで会社を大きくする意味を自分の中で見出せなかったんです。

そんな迷いがある中で、当時通っていた経営塾で講師を努めていたFrancfrancの高島社長と同席していた大企業の社長2名に質問する機会がありました。3人の経営者は多額の借金をして大成功を収めましたが、私自身家族や住宅ローンなど背負うものがある中、ハイリスクハイリターンは視野になく、多額の借金を背負ってまで新規事業を立ち上げる理由が見当たりませんでした。

「なぜ、事業のためにそんなに莫大な借金を背負えるのか。」

という質問をしたんです。それを聞いた3人は顔を見合わせて、「ああ、こいつもまだまだ分かっていない」という様子で笑ったんですね。今でも鮮明にその時の情景が浮かび上がります。

そして「ただやりたいことがあり、お金が必要だったから借りただけ。がむしゃらに勝負し続けて、失敗への不安なんて考えもしなかった。妹尾君がそんな質問をするのは、きっとまだやりたいことがないからだろう。そんな状態で借金をしたら失敗するから、辞めた方がいいよ」とおっしゃった。この回答がとても腑に落ちて、まずは自分のやりたいことを探すことに決めました。

ーー最終的にどんな「やりたいこと」を見つけたのでしょうか。

1年考えた末、やりたいこととして行き着いたのが「社員の未来をつくること」。会社というのは、優秀な人材を買い殺そうとします。私が新しいサービスを作ったり、これまでにないビジネスの仕組みを生み出すような動きができるのは、会社を飛び出て経営者になったからです。

世の中に新しい価値を提供していくためには、優秀な人材を囲い込むのではなく、世の中に羽ばたかせてあげる必要がある。それができる会社を作りたいと思いました。これを実現するためにする借金なら、全然怖くない。最も恐れるべきは私がやりたいこと、つまり社員の未来をつくるためにかける投資ができなくなることです。

■「社員全員が幸せになる会社づくり」を目指し、今後も自社サービスを積極的に開発

―ー本当にやりたいと思うことへの気づきが、ライトアームという会社の活動軸になったんですね。

IT業界では非常にスタンダードな客先常駐型というスタイルで、ライトアームも拡大してきました。最初は私一人でスタートしましたが、順調に売上が伸びて人員を増やし、5期目には柱となる事業ができました。その頃、「経営者である限り、社員のためにも会社を大きくしないといけない」という想いで、今後は1千人規模の会社を目指したい旨をその時の社員達に伝えた所、意外なことに全員の顔が曇ったんです。彼らは口をそろえて言うんですね。

「私達がライトアームを好きなのは、このアットホームな関係があるから。大きな会社なんて目指していません」と。

確かに、お互いに顔も分からないくらいの社員数を抱える大企業になってしまうと、いざという時に助け合って組織で動けない。それよりも、メンバー同士が関係性をしっかり構築して一枚岩となれる組織の方が強いのではと思いました。私は漫画の『ONE PIECE』が大好きなんですが、主人公率いる麦わらの一味は、全員が仲間のために命を懸けます。こんな関係性を会社で作ることができたら、最強ですよね。この麦わらの一味の100人バージョンを作りたくて、ライトアームではもう100人しか採用しないと公言しています。集まった100人で何をやるかを示したのが、ライトアームのクレドです。

ーー「100人の仲間を集める」「100億の売上を実現する」「100人の経営者を輩出する」「100人の右腕を目指す」「100の団体を支援する」「100年続く企業を目指す」という6つのクレドですね。

100人で100億円の売上を上げるのは相当大変で、それこそ高収益体質の会社を作らなければなりません。そのためには、社員全員が超一流のビジネスマンになり、100のクライアントを支援し、100人から右腕(ライトアーム)と呼んでもらえるようになる必要があります。その結果、ライトアームという会社が100年続く企業になることができる。

私は、会社をライトアーム村と考えているんです。経営者としてやりたいのは、うちの村人たちが幸せになる会社設計です。先程のクレドを軸に、どうしたら100人が幸せになれるか。それを考えた時に、事業が1つしかないとそれが折れた時に全員が餓死してしまう。

だからせめて、安定した5本の柱を100人で運用して、全員が幸せを維持できる仕組みを作っていきたいと考えています。現在、ライトアームはサービス開発に積極的に取り組んでいますが、その背景には「社員全員が幸せになる会社づくり」という軸が常にあるんです。

※第二回はこちら


【代表インタビュー】自社サービス開発を加速させ、リスペクトし合える仲間とともに望む未来を手に入れる(第二回) | ライトアーム株式会社
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