【コラム】「俺たちは日本人より、人生の楽しみ方を知っている」僕がヨーロッパで受けた衝撃|新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。
『新R25』の読者のみなさま、初めまして! 21歳の学生でドイツに留学している びよんど (野尻悠貴)と申します。 自分は、まったくと言っていいほど自分に自信がなかったり、自分を好きになれなかったりした中高時代を送ってきました。 ...
https://r25.jp/article/581429518404311332
こんにちは!
株式会社Eifer代表の野尻悠貴です。
Eiferを立ち上げて2年と少しが経ちました。
まだまだですが、少しづつ会社のことを知ってもらえたり、サービスを使っていただく機会が増えてきたので、創業までの振り返りのストーリーを書きます。
そんな方に少しでも役に立つ内容になれば幸いです!
思えば、自分にとって起業の原体験は中高時代でした。
当時、伝統的な私立の中高にいた僕は、「勉強」「部活(スポーツ)」といったわかりやすい指標のみに囚われていました。
そのどちらも、突き抜けられていなかったので、自分の人生の主人公として生きている感覚が全然ありませんでした。早く高校終わらせて、受験でなんとかいい大学入るしかないと思っていました。
理解のある両親のおかげで留学に行かせてもらったり、日韓の中高生の内閣府がやっているプログラムに参加したり。
学外での機会もたくさんもらっていたのですが、自分が密かに思っていた「海外大に行く」などのビックチャレンジは、結局周りの目を気にしてできませんでした。
この機会損失感が、その後の自分の起業の原体験になります。
そんな中高時代だったので、とにかく大学は圧倒的に突き抜けたいと思ってました。
高校時代の短期留学で知り合った友人(韓国やイギリス)たちは、語学が堪能で(英語なんて余裕で+何かのスキルを持っている)、将来国を背負う覚悟がありました。
高校でなかなかチャレンジできなかった自分と比較して、とにかく焦りました。
まずは、グローバルな人材になろうと考え、「英語」でそんな優秀な人たちと渡り合おうと漠然と思っていました。
大学は幸いいくつか合格できて、偏差値的にはより高い大学もあったのですが、日本で一番勉強できて力がつくと感じた国際基督教大学(ICU)に入学しました。
鼻息荒く入学しましたが、ほとんどネイティブスピーカーのような帰国子女や、緩い環境が嫌で他の難関大学をけって入ってきた同期に囲まれ、またしても突き抜けられない感を感じました。
ただ、サークルや友達との時間も心地よく、あっという間に1年間が過ぎました。
徐々に、世界の優秀な人たちと渡り合いたい、中高時代の機会損失を取り返したい!という自分の野望も薄れていってしまっていました。
(ラオスでバックパックする典型的な大学生)
そんなモヤモヤした感覚があり、サークルではなく、別の何かに時間を使おうと考え出しました。
長期留学、インターン、プログラミング、研究、起業、フリーランス、ブログなど色々洗い出し、検討した結果、留学が残りました。
そこで出会った人や経験が、その後の自分の人生を変えてくれました。
第一志望の北欧の大学は英語のスコアが足りず落選。
ドイツの大学になんとか滑り込みで行かせていただけることになりました。
ドイツは全く自分の選択肢になかったのですが、結果、これがかなり幸運な留学先でした。
まず、ドイツは地理的にも経済的にもヨーロッパの中心にあります。
そのため、各国からさまざまな人種の学生が集まります。
僕が特に仲良くなったのは、地元のドイツ人ではなく、周辺から集まるギリシャ人やスペイン人の留学生たちでした。
面白かったのが、彼ら彼女らが非常に肩の力が抜けているところ。
特にギリシャの友人は「日本は確かに豊かだけど、幸せになる方法は俺たちの方が知っていぜ!」
と、平日の夜からクラブに行って、老若男女いろんな人とお酒を飲んだり、踊ったりしていました。
晴れたらそれだけでハッピーで、踊ったらもう一日が輝いている。
そんな彼ら彼女らと過ごすことで、徐々に幸せってなんだろうという問いが自分の中で溢れていきました。
それと同時に、ベルリンでは自分で仕事を獲得して、縛られず自由に生きる日本人の方々にたくさん会いました。
また、ドイツの大学に進学して医者を目指している日本人学生など、今までの人生で交わることのなかった人々と時間を共にすることで、徐々に、「自分はどんな人生を歩むのが良いのか?」を漠然と考え始めました。
留学後、インターン先の会社で偶然日本とモンゴルの企業交流カンファレンスに行く機会がありました。
そこで、とあるモンゴルの大学の校長先生と知り合い、「ぜひモンゴルに来ないか?」と誘っていただきました。
すぐにモンゴルにその後、訪問させていただき、多くのことを知りました。
モンゴルの遊牧民文化や、親日国家であること。これから大きく産業を伸ばしていくフェーズであること、実は毎日直行便が飛んでいること。
特に、遊牧民文化の体験はとても刺激的で、唯一無二な体験だと感じました。
どこまでも続く大地と満点の星空と馬。
しかも多くの日本人にとっては「モンゴル?相撲の国だよね」という反応。
これは、チャンスじゃないか。
自分が感じた初めての「事業の種」でした。
そこで合同会社を作り、現地でイベントを企画しました。
学生の自分が出せたインパクトは小さかったかもしれないけど、確かに自分たちが立ち上げた企画で、社会にふれ、何かを動かし、現地の人やお客様に価値を提供できた体験でした。
そうすると、さまざまな会社やメディアなど、今まで異世界だった場所からも応援したいという声や取材したいという声が上がってきて、起業を続けていきたい。そんな思いが醸成されていきました
起業が具体的なキャリアプランになってきて、色々調べる中で、1人社長の企業やコンサルや開発の受託で稼ぐような企業、株式調達をして大胆に上場を目指す企業。さまざまな形態があることを知りました。
最初のうちは、株式調達をして株主を増やすより、小さくリスクなく始めよう。社員さんもなしで自分1人でいいやと思っていました。
そんな中、出会った1人の起業家に非常に影響を受け、生き方や志が決まるきっかけがありました。
その起業家とは、ライフイズテック株式会社・代表の水野雄介さんです。
水野さんは、21世紀の教育改革を本気で掲げ、それを株式会社という形で本田圭佑さんや孫泰三さんを株主にしたり、ディズニーランドと事業提携して本気で実現しに行っている経営者です。
2019年、通称「水野ゼミ」から水野さんにたくさんアドバイスをいただき、今でも株主の紹介など本当に助けてもらっています。
彼の世の中を変えていく覚悟、素敵なチームを作り、さまざまな人々を巻き込んで、0から始めた会社を日本を代表していく会社にしてく様を目の当たりにして、シンプルに「俺もこんな挑戦をしたい」そう思いました。
どんな生き方があってもいいし、いい悪いもない。
でも、やっぱり自分は世の中をよりよくしたいし、せっかくやるなら世界中に影響を与えられるようになりたい。
社会に本当の意味でインパクトを与えられることに尽力したい。
そう心の底から思うようになったのは、今でもお世話になっている水野さんとともに過ごした時間でした。
(水野ゼミのスローガン、大器晩成)
自分もライフイズテックのような、社会を本当の意味でよくしていく事業をどうつくればいいのか。
それが次のテーマになりました。
このタイミングでVCやエンジェル投資家の方々もEiferに出資いただくことになり、初めて株式会社として、株主に株式を分けて一緒に巻き込んでいく選択を取りました。
それと同時に、「日本発で世界で戦える事業を作る」という発想になりました。
本当の意味で、世の中に貢献できたり、世界の課題にコミットメントできる事業はなんなのか...
crunch base という海外スタートアップを読み漁る日々が始まりました。
焼酎や刀など日本のいいものを世界に広める事業も考えました。
自分はバイオやディープテックのバックグラウンドはない。
いかに自分がやるべき事業で、世界で戦える事業を作れるのか?
かなり悩む日々が始まりました。
(若くして弁護士になったり、国内の最年少の市議会委員になったり、優秀な世界各国の同世代がいる)
自分が今までのモンゴルなどの事業で大切だなと思っていたことは二つありました。
この二つを満たすのがアウトドア領域でした。
今でも活躍するアドバイザーさんの一人は、
アウトドア知識があるけれども、副業や本業にするほどではない。でもアウトドアがほんとに好きだ!という人。
いろんな領域で、「ネットで買う」が当たり前になる時代。
店舗での接客が当たり前だった、アウトドア(キャンプやサーフィンなど)商品が、ネットでもそんな商品知識のあるアドバイザーさんが活躍することで買っていただける。
そんなサービスが成り立つべきではないのか。
そう考えて生まれたのが、
アウトドア商品をアドバイザーとネットで相談しながら買えるEC「WELL BUY」です。
ウーバーイーツなどで、労力を提供すれば誰でも稼げるようになった時代。
次はパッションを持った個人が活躍する時代。
WELL BUYではこの領域なら朝まで語れる!という人を集め、オンラインコンシェルジュとして活躍していただくサービスです。
お客様は店舗以上の細かい接客と解説が受けれ、購入後の設営やメンテナンスなどのアフターフォローも受けることができます。
Amazon、楽天が提供できていない価値を届けなければ生き残れない時代。
そんな時代の代表格となるサービスをWELLL BUYで作っていきます。