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株式会社PQDは、ホテル・宿泊施設の開業から運営までをワンストップで行っている会社です。
多様化するゲストのニーズを分析し、双方に最適となる運営を得意としています。
今回は、そんな株式会社PQDの代表取締役である"加納隼人社長"に、創業ストーリーをお伺いしました。
高校時代のサッカー挫折、新しい道の模索から得た考え方を軸に、これまで幅広い視点で、事業の可能性を追い求めてきた加納社長。
PQDのマインドである「まず行動する」「改善を続ける」「誰かのために」を体現しているかのような創業エピソードをお聞きすることができました。余すことなくお届けします。
株式会社PQDに興味のある方はもちろん、民泊事業を立ち上げたいと考えている方、加納社長のような生き方がしたいという方も、ぜひご覧ください!
~加納社長プロフィール~
小学1年生〜高校まで
サッカーに没頭する日々。
2011年〜2013年
中国遼寧師範大学修士課程に入学。
同時に、Swiss Hotel DalianにGuest relation officerとして就任し、ビジネスレベルの中国語を体得。
HSK(中国政府認定の中国語能力試験)6級の取得し、中国遼寧師範大学修士課程を卒業。
2014年〜2015年
サッカー選手の夢に再チャレンジするためドイツへ。
この時に、自宅のソファを1泊10ユーロで貸し出すAirbnbを経験したことが事業のきっかけとなる。
2015年〜2017年
帰国後、株式会社ニュービジョンに勤務しながら清掃事業をスタート。
売上年間約1000万円を上げるほどの個人事業主となる。
2018年〜2019年
完全独立。
民泊運営と清掃事業をメインに、年間売上4000万円を達成。
2019年〜現在まで
完全自己出資で株式会社PQDを設立。
1年で売り上げが1.5億程まで拡大。
現在はメイン事業の他に、アスリートサポートや日本のプロモーションといった事業展開も進めており、各業界から注目を集めている。
サッカーからの挫折。新たに情熱を注げる言葉との出会い。
ーー長年サッカーをされていたようですが、どうして辞めてしまったのでしょうか?
高校の監督と考え方が合わなかったことが一番の理由です。
最後の選手権にも出させてもらえず、嫌になって辞めてしまいました。
辞めてからは、「なにか新しいことを始めたい」と色々考えてみましたが、学生時代は、勉強はそこそこにサッカーのことばかり考えていたので、いざ辞めてみると次にやりたいことが見当たりませんでした。
大学進学の意味も見出せなくなりそうでした。
――サッカー以外に情熱を注げるものを探していたのですね。どうやって見つけたのでしょうか?
介護福祉士、理学療法士など、興味が湧きそうな職業を探していたのですが、これだ!というものに出会えなくて苦労しました。
それなら…と視点を変えて、学んでみたい“言語”を探してみることにしたんです。
サッカーつながりで、ドイツ語やイタリア語などを学ぼうかと考えていましたが、「中国語がいいんじゃない?これからさらに経済が発展していく国だと思うよ」と両親からアドバイスをもらい、「じゃあそうしてみようかな」と、すごく軽い気持ちで中国語を学び始めました。
いざ中国語の授業を受けると、意外と発音が良かったみたいで(笑)。「初心者で、その発音ができるなんてセンスあるよ」と、当時の先生に気に入っていただき、レベルを上げる特訓にも誘ってもらいました。なんとなく始めた中国語でしたが、サッカーの代わりに熱中できるようになったのは、この先生のおかげだったと感謝しています。
興味のあることは、とことん追求。行動あるのみ。
昔から、何事も貪欲に追い求めていくタイプでした。
中国語も例外ではなく、もっと極めてみたいと、現地の大学で修士課程を学ぶことにしました。
ただし、講義は1日2、3時間だけ。あとは自由に過ごしてくださいというスタイルだった為、その他の時間も有意義なものにしたいと思い、"Swith Hotel"の面接にチャレンジしました。
中国語も日本語もできるという強みを活かして、働かせてもらいました。
――どうしてホテルで働こうと思ったのですか?
ホテルに住めるという条件があったからです。それから、かっこいいかなと思いまして。(笑)
IT関係も考えましたが、中国語のスキルを上げていきたいという目的があったので、中国人しか働いていないようなホテルを選びました。
日本人と過ごしていると安心感があって落ち着くだろうなとは思いましたが、仕事にそれを求めてはいけないかなと。理解できる人達といても、学びはほとんど無いし、わざわざ海外まで来て学んでいるのだから、与えられた環境を最大限に活かそうと行動していました。
全く違う文化や考えの人を知ることは本当に面白かったです!
「こんな考え方もあるのか」と自分の持っている常識を覆されることも多くて、毎日が学びの連続でした。だから、中国人ばかりのホテルで働くのは緊張するどころか、「今日も学べる!」「新しい課題に立ち向かえる!」「問題を解決できる!」と楽しくて仕方ありませんでしたね。
スキルアップも実感できて、学びのモチベーションはあがっていきました。
もちろんプライベートでは、日本人のサッカークラブに入って交流する機会も作っていました。
ただ、『環境が人を創る』と気付いていたので、常に日本人といる環境は作らないように心がけていました。同じ思想を持った海外の人たちと過ごす機会のほうが多かったと思います。
――『環境が人を創る』と気付いたのは、サッカーを通しての経験からですか?
そうですね。
そもそも、先生や先輩が偉いという年功序列にも疑問を感じていました。
年下であるだけで技術は劣っていないのに、どうしてやりたいことをさせてもらえないのだろうと。
だから、たまたま経験した挫折でしたが、おかげで中国語の世界と出会うことができて今では、良かったと感じています。
やりたいことを、制限なく突き詰められる面白さを知ることができて、これまで感じていた疑問の答えを見つけられた気がしました。
この経験を、同じ夢を持つ人達に伝えていきたいと考えるようになったのも、その後の起業理由につながっていきました。
そういった点では、挫折を経験させてくれた指導者には感謝しなくてはいけないですね。
サッカー選手の夢に再挑戦。与えられる環境の大切さを改めて知る。
大学進学から6年間、中国語のスキルアップに力を注いでいましたが、毎年高校選手権の時期になると、挫折した時の悔しい気持ちを思い出してモヤモヤしていました。
「どうしてもこのモヤモヤを解消しておきたい」と強く感じて、学生生活を終えた後は就職せず、サッカー選手に再挑戦すべく、ドイツに渡ることにしました。
ーーまた新しい環境に身を置いたのですね。すごい行動力ですね。
「選手として認められないまま、サッカー人生を終わらせたくない」という気持ちがあったからだと思います。
しかし、日本の友達にサッカー選手を目指す事を伝えると「24歳から選手を目指すなんてムリだろ。」など散々言われました。日本の常識では当たり前だと思います。
それでも、自分の力を試してみたく、他人の否定する言葉を断ち切るために海外で挑戦することに決めました。
最初は知り合いの紹介でチームに所属していましたが、ケガをきっかけに退団しました。それからは、アルバイトを掛け持ちしながら、自転車で1時間かけて気になるチームの試合を見に行き、猛アピールしていきました。念願叶ってチームに合格することができ、このまま海外のサッカー選手としてお金をもらえるようになっていくのではないかと思いましたが、またケガに苦しみ、試合に出られない毎日が続いていました。
実は、ドイツに渡る前に猛練習したおかげで足首を骨折し、同時に股関節も痛めていました。
全て完治してからの出発だと機会を逃してしまうと、股関節の痛みは引きずったままドイツ入りしていました。試合にも出られず、1年ごとの目標も達成できず、「自分はサッカーに向いていない、プロになるのは無理だ」と、長年の夢に幕を閉じる事にしました。
――壮絶な経験でしたね。
ずっとモヤモヤしていた夢の実現に向けて、自分なりに環境を追い求めて出した答えなので、悔いはありませんでした。
ただこの経験から学んだのは、『出会う環境で人生は変わる』ということ。
もし、私のサッカーを否定せず受け止めてもらえる指導者に出会っていたら、プロのサッカー選手として、今活躍していたかもしれないと思いました。
そして、私と同じような経験をしてサッカーを諦めた人が、日本にはたくさんいるのではないかとも。
――たしかにそうかもしれませんね。
日本のことは好きですが、大きな夢を語って行動を起こそうとする人たちに対して、無理だと笑ったり、別の道に誘ったりする人が多いのは、残念なところだと感じています。
誰かの可能性を潰してしまいかねません。
私も起業前、あるコンサルタントに事業計画を相談して「月の利益目標を300万円から3000万円に変更します」と話して笑われた経験があります。
実際には達成できていたのですが、その人の固定概念で無茶だと判断されてしまいました。
私のように、笑われても諦めずに進める人はいいのですが、笑われるのが恥ずかしいからと諦めてしまう人のほうが多いのではないでしょうか。
笑われるのが恥ずかしいと感じるのも、『環境』のせいかもしれません。
だからせめて、私と出会った人たちには「夢は実現できないことはない」と伝え、前向きなアドバイスを贈り、自ら行動できるマインドセットをしてあげたいと考えるようになりました。
さらに、こういった日本人の考えを払拭し、誰もがやりたいことを実行できる社会を創っていきたいとも思うようになりました。
サッカー選手などのプロアスリートを目指している人、起業したい人、年収を上げたい人などあらゆる熱い想いに対して、実現できる環境を整え、広い視野を持ってサポ―トできる存在でありたい…そんなことを考えながら、ドイツから帰国しましたね。
現在、PQDで展開しているスポーツマネジメント事業は、この想いからできたものでもあります。
世界で活躍する人を、一人でも多く日本から排出できるよう、微力ながら後押ししていきます。
民泊運営事業のきっかけは、ドイツでの自宅ソファ貸出。
ドイツでサッカーチームに所属しながらも、生計を立てるため、さらにお金を増やせる方法はないだろうかと考えていた時期がありました。
そのとき出会ったのが、1人暮らしなのに3LDKの部屋に住む不思議な中国人でした。
その人は、使っていない2部屋を、旅行客に貸し出してお金を稼いでいると教えてくれました。
「それは面白い!」と、私も自宅にあるソファを貸し出してみることに。
民泊検索サイト『Airbnb』の存在を知ったのもこの時です。
さらに興味深かったのは、部屋でもなくてソファなのに、意外と予約が入ってきたことです。
「ソファだけでも泊まりたい人がいるんだな」と、民泊運営の面白さを感じた出来事でした。
ついでに、日本での民泊の需要を調べてみたら、高くて驚きました。
これはビジネスにできるかもしれないと感じ、帰国後は会社に勤めながら、個人事業主として民泊を続けることにしました。毎月10万円ほど稼げていたかと思いますね。
――ソファ貸出からビジネスに転換できたのがすごいですね!
そうですね。私もなぜできたのか分からないですが(笑)。
中学の時から何事にも貪欲で、どうにかしなくてはいけないという状況から、事態を好転させていくことに楽しさを感じていたからかもしれません。
また、ドイツ帰国後の就職先で、売上など経営者側にとって重要な数字に触れさせてもらえる機会がたくさんあったのもビジネスにつなげられた理由だと思います。
ビジネスの目線を培える環境にいたから、ソファ貸出を民泊運営事業につなげることができたのかもしれません。
やっぱり『環境は人を創る』ですね。
さらに清掃事業にも手を広げ、民泊運営で雇っていたアルバイトスタッフを、クライアント先に派遣する清掃サービスを開始しました。
民泊、清掃、どちらもできるという強みを活かし「なんでもできます」とアピールしていっていたら、1年で2000万円の売上を達成することができました。
これはもう会社にしてしまおうと思い、2019年4月に株式会社PQDを設立しました。
――帰国後の就職先で、そのまま働き続けるという考えは?
全くありませんでしたね。
知り合いでもなく、仲良しでもなく、全く知らない人の会社で働くというイメージができませんでした。
社長のためにとか、先輩のためにとかも、思うことができませんでした。
また、即戦力でもなく、ただ勉強させてもらっているだけなのに、1年目から30万円の給料をもらうことにも戸惑っていました。
海外は、会社ができないことを補える人が対価をもらえる、という考え方が普通だからですかね。
「私を雇うメリットはこれです!私を使うとこんなに稼げます!」と強くアピールする人たちをたくさん見てきたからこそ、そういったバリューが発揮できないのに、誰かの会社で働くのは申し訳ないという気持ちもありました。
だから、こうして一つの会社を背負う代表になるまでは、誰かを雇うなら即戦力じゃないと意味がないと思っていました。
今は、社員教育の大切さも感じていますので、安心してください!
会社名は、実は社長の名前だった!
――会社名の由来を教えてください。
会社にとって大切な名前。
私の想いを的確に表す言葉に出会えなくてずっと迷っていましたが、「ブリヂストンみたいに名前を会社名にしたら?」というある先輩の一言で、あっという間に決まりました。
「加納」=「可能」=「possible」の『P』
「隼人の隼」=「速」=「Quick」の『Q』
「隼人の人」=「戸」=「Door」の『D』
と自分の名前を変換させて、株式会社PQDです!
シンプルですが、私を中心としながらも、一緒に働いてくれるスタッフ一人一人が、強い「個」として活躍してほしいという願いを込めています。
同じような想いを持った人たちが集まり、大きなチームとなって、面白いことをどこよりも速くやっていけたらいいなと思っていますよ。
夢を実現したい人にとって、最適な環境。
駆け出しのベンチャー企業だからこそ、他社では若手だと言われる人たちでも、PQDではすぐに活躍してもらっています。
裁量権を持って仕事に携わってもらう機会は、非常に多いです。
その点は、他社と差別化できるところです。自分の行動が、会社の売上または自分の稼ぎに直結していると強く実感できると思います。
転職してきた人の中には、月収が前職の倍以上になった人もいます。
お金は取りにいかないともらえないものだ、というのが私の持論です。
誰かに仕事をお願いするときにも、その“点”だけではなく、費用など“全体”を見せるよう心掛けています。
「稼げるようになりたい」「いつか起業したい」という想いを持っている人たちにとっては、確実に成長できる環境だと自負しています。
――社員から起業したいという相談があった場合は?
もちろん、働きながら起業するのもOKです。
ただ自分の事業とPQDの事業と、半分ずつで頑張ってくれると嬉しいですね。
そのためなら出資もさせてもらいます!
――現在のメンバーは、どんな方が活躍されていますか?
現メンバーは30代前半中心です。
やはり起業や独立したいと考えている人が多いですね。
主体性を持って自主的に行動できる人がほとんどです。
起こった問題から目を背けず、きちんと向き合って解決できる人たちが集まっているので、私が指示を出さなくてもどんどん仕事が進んでいき頼もしいですね。
もし同じような考えを持つ人がいて、今まさに転職活動をしているなら、PQDにも興味を持っていただけると嬉しいです。
「日本を盛り上げたい」事業の根底にある想い
――今後、力を入れていきたい分野はありますか?
新しくスタートさせようとしているのは、日本を世界に広めていくプロモーション活動です。
その皮切りとして、過疎化した地域の観光PRを、海外に向けて発信していこうと考えています。
目標は、海外からの旅行客を1億人から1億1000人にできるようなサポートです。
微力ではありますが、実現に向けて、行政機関と打ち合わせを重ねているところです。
また、日本の質の高い食材を世界に広めたいという考えもあり、良い肉を販売する精肉店、精肉店の肉を使用した「すき焼き屋」「ホルモン屋」の展開も始めています。
ゆくゆくは海外にも出店を計画し、日本の美味しい肉を海外の人にも味わってもらおうと考えています。
――日本をPRしたいと考え始めたきっかけはなんですか?
大学からずっと海外の人たちと接してきて、体格といった見た目はもちろん、考え方までも日本とは違うなと感じる場面がたくさんありました。
何事も積極的というか、相手が誰でも言いたいことは言っていくスタイルが、魅力的でした。
しかし、日本に生まれた以上は、日本人としてのプライドもあり、どうにか日本を目立たせていきたいと考えていました。
海外出店を目指すことで、「どこに行っても日本ってあるよね、さすがだね」と誰もが思ってくれるような国にするのが夢です。
日本を背負うというほど大きなものではないですが、日本が海外のどの国でも輝き続けられるような取り組みを、今後も計画し、実行していきたいですね。
【インタビューを終えて】
今回は、株式会社PQDの"加納隼人社長"に話をお伺いしました。
羨ましくなるほどの行動力と、自分自身から周りの人、そして日本を変えられる環境を貪欲に環境を追い求めていく積極性に、終始圧倒されたインタビューとなりました。
「夢を実現したいが周りの目が気になってしまう」「今の会社で働き続けていくべきか疑問を感じ始めた」というような方は、人生が大きく変わる環境に出会うチャンスかもしれません。ぜひ株式会社PQDの、話を聞きに行きたいボタンを押してみてくださいね。