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【共同創業者インタビュー】先生と生徒だった2人の想いや人生が交錯。ノックオンザドアの創業ストーリー

2018年に設立し、患者・ご家族・医療関係者と共に創るてんかんの発作記録アプリ「nanacara(ナナカラ)」を軸にした事業開発、事業支援を展開するノックオンザドア。

2023年7月に迎える設立5周年を前に、改めて創業の背景や経緯から、これまでの取り組み、今後の展望などについて代表取締役 CEO林、取締役 CMO高山の2人に伺いました。

林と高山の想いや人生がいかに交錯して「ノックオンザドア」は生まれたか、そもそも実は初めは「ノックオンザドア」ではなかった!?などの裏話も含めお届けします。

林 泰臣|代表取締役 CEO
2002年株式会社ミュージック・シーオー・ジェイピー入社。
2004年株式会社エムティーアイ(プライム市場)入社。
モバイルにおけるWEBサイト、アプリケーションサービスの立ち上げ、マーケティングに従事、2011年同社執行役員就任。2015年からヘルスケア・メディカル分野での事業を担当、同年、遠隔医師相談サービス運営子会社「株式会社カラダメディカ」を設立し、
代表取締役就任。本社ヘルスケアサービス責任者も歴任し、2018年3月退社。
2018年7月ノックオンザドア株式会社(当社)を設立。
高山 千弘 |共同創業者 取締役 CMO
東京大学卒業後、1982年エーザイ株式会社入社。
英国にてMBA、米国にてPh.D.(医学博士)を取得。
その後、日本・米国においてアルツハイマー型認知症治療剤「アリセプト」の臨床試験、承認申請やマーケティング、認知症社会啓発活動に携わる。
知創部長就任後、経営学の権威である野中郁次郎氏に師事し、知識創造理論(SECIモデル)の社会実践を推進。生活者が持つ“知”をベースにした、社会に対するプラットフォームの可能性に共感し、当社を共同で創業。

揺れ動いた2人の想いが交錯。会社が誕生した瞬間

──どのようなきっかけや経緯で創業することになったのでしょうか?

林泰臣(以下、林):2018年1月に前職を辞める決意をしました。その理由からお話させてもらうと、私自身16年間IT企業にいるなかで、エンドユーザー向けの事業にずっと携わってきたんですね。

最初はエンターテインメント事業で、当時着メロとか着うたなどの音楽配信がピークだったときですけど、そういったところでエンドユーザーの方が喜んでくれるサービスを作り、やりがいを持ってやっていました。

後半は、注力することになったヘルスケア事業に携わり、数年事業責任者をやりました。国民皆保険制度で守られている中で、健康な人がなかなか予防や未病にそこまで意識がいかない。そんな中でアプリを作るんですけど、ユーザーがそのアプリを実際に使って喜んでいるかとかそういった部分って、サービス事業者とエンドユーザーの中でボタンの掛け違いもあった部分で、自分も少し違和感を覚えていました。

その頃から自分は何のために仕事してるんだっけと思い始めていて、やはりエンドユーザーの笑顔や喜びをもとに仕事をしたいなって思ったんですね。そんな中で、実は共同創業の高山さんとは2012年頃にある研修を通じ出会っていて、高山さんが先生で私が生徒でした。その頃から高山さんはメンター的な感じで、悩みを聞いてもらったり、色々なアイデアを話したりしていました。

私はヘルスケアの事業の責任者になって、少し悶々とした気持ちでいる時にも、認知症のことだったり、今後高齢化が進む中でより困る人が出てくるんだと、その人のために何かできないかと、高山さんと2人でアイデアを考え始めてたんですね。その頃は自分の頭の息抜き的にやってた部分が大きかったんですけどね。

それで私は高山さんと話していた事業アイデアを確認するために、2018年1月に1週間ほど東南アジアに行きました。当時は高齢者や難病ですとか、特に認知症に焦点を当て事業アイデアを練っていました。

ただ、東南アジアへ行ったときに、そこにいる人たちが本当に生き生きとした目で働いてて、みんなから「仕事が楽しい」みたいな話しが入ってくるんですよ。その時に自分も自分のためにして楽しいこと、やりがいを持てることをやらなきゃ損だなと思って、東南アジアから戻ってきた翌日に上司に辞めますと伝えました。

──東南アジアに行った翌日に前職を辞められたのですね。驚きました。

:自分として少しモヤモヤしていた部分があったなか、高山さんと色々な事業アイデアやこういう事業をやりたいよねとか、高齢者がもっと生き生きと自分らしく生きられる事業を作りたいよねっていう話をしているときってすごく楽しいんですよね。そういう時間は楽しいなって思ってたところで。

実際、東南アジアに行ってそこで会う人会う人が「すごくいいですね」とか、「自分も実はこういうことでこんな思いを持ってやってるんですよ」って人に触れたときに、自分は何をやってるんだろうって思いました。

そんなモヤモヤするくらいなら、人生も一回きりなので、一刻も早く本当に楽しいと思うことに歩み出してもいいんじゃないかって、決断しました。

高山さんには「もう僕は辞めます。というより辞めてきました」と伝えました。高山さんからは「まだいた方がいいよ」って言われたのを覚えています。


──林さんから辞めたと聞いたとき、高山さんはどのような気持ちでしたか?

高山千弘(以下、高山):悩みは聞いていましたけども、突然辞めたと聞いて私も一瞬驚きました。ただ林さんはすごく強い信念をお持ちで、また1度決めたら変えないような方で。非常に温和なんですけどね。それなら意志は固いなと感じ取りました。

──その後、事業についてどのように考えていったのですか?

:高山さんと話していた事業アイディアを具体的にもっと加速させていきたいと思って、2018年1月からどういう事業をやるかを考え始めました。そこでも高山さんが壁打ちになってアイデアを聞いてくれ、そのアイデアをブラッシュアップしていきました。

2018年の6月の終わり頃、ある電話が高山さんから私に掛かってきまして。ここは高山さんから話してもらった方がよりリアルなので、バトンタッチしていいですか。

高山:はい、林さんありがとうございます。私は世界で初めてのアルツハイマーの治療薬の開発と市場普及を担当しました。

そこでもっともっと患者様のために何かできないかと考えていた矢先、大阪市総合医療センターのてんかんの専門医である岡崎伸先生から連絡がありました。目的も何も言われずに私を「訪ねたい」と。林さんの話にあった6月の下旬ですね。岡崎先生はてんかんの診療だけでなく、お子さんと家族の生活まで寄り添って親身になってお考えになる先生です。

そうして岡崎先生がお越しになった。「子供が難病の診断を受けたお母さんは、まずは否定、そして怒り、他の事との代替、うつ、閉じ籠り、そして他のお母さんの導きで少しづつ受け入れていきます。ぜひお母さんたちの声を聞いてほしい」との言葉を残しお帰りになられたんですね。お見送りしたすぐ後、そのミーティングルームから私は林さんに電話したんです。

林さんは私の話をじっと聞いてくれ、伝えながらだんだん心が揺れ動いてきて、そしてその場でどっちが先に言ったか分からないですけど、「やりましょう!!」となりました。そこから小さな小さな会社が生まれたのです。

とにかく自分から出向いて話を聞きに行く

──「ノックオンザドア」との社名が生まれた経緯とそこに込めた想いを教えてください。

:実はギリギリまで「ノックオンザドア」って社名ではなかったんですよ。「ユニバーサルペンギン株式会社」で進めようとしていたんですね。

高山さんに「『ユニバーサルペンギン』にしようと思ってますがどうですか」と聞いたら、珍しく高山さんから「ちょっとそれではやる気が出ません」って答えが返ってきまして。登記の関係で社名を決めるまでの時間は限られていましたが、高山さんにもやる気を出して欲しいなと思い考え抜きました。

「ユニバーサルペンギン」は、自分の理念や想いを自分でも忘れないようにするために、誰も踏み出したことのない領域で飛び続けようって意味も込め、ペンギンが好きなこともあり、「飛び立つペンギン」っていう名前にしていました。

もう少し分かりやすくしようと考えたとき、行動理念にしようとしていた「とにかく自分から出向いて話を聞きに行く」をマクロに見過ぎていたと気づき、そこから「ノックオンザドア」って言葉がポーッと舞い降りてきました。高山さんに「『ノックオンザドア』だったらどうですか」と聞くと「いいですね」と言ってくれ、今の社名になりました。

我々が有難かったのは、それを言ってくれる患者ご家族がいてくれたこと

──その後、「nanacara」と「nanacara for Doctor」のアプリをリリースされますが、その完成までの経緯と試行錯誤された点はいかがですか?

:ノックオンザドアに色んなスペシャリティのある人を迎えて、「これをどうしたら形にできるか」に向き合っていきました。その中で実は多くの今ノックオンザドアにいるメンバーの方が参加してくださいました。

そうやってモノができていくんですけど、ただモノができておしまいじゃないなと思うところもあり、その都度「こういうモノができたんですけど」ってお見せしていくんですね。

そうするうちにどんどんプロダクトが見えてきて、2019年の11月頃に「このアプリでいこう」みたいな形ができてきたんですよ。プロトタイプができてきて、それを患者ご家族に見せたんですね。

最初、会議室では「いいね」、「おお~」ってなってたんですけど、その後みんなでご飯行きましょうとなり、その場では「実は違うと思うんですよ」、「ちょっとこれ使えないと思うんですよ」といった声を多くいただき、このまま出すのはまずいですねってことになりました。

結論から言うと、アプリを作り直しました。0からとは言わないまでも、それくらい大きく作り直したんです。皆さんにご自身の生活を思い浮かべながら実際にプロトタイプを使うイメージをしていただいたときに「ちょっと違う」っていうのが見えてきて。

ただ我々が有難かったのは、それを言ってくれる患者ご家族がいてくれたことです。だからこそ、我々は思いとどまって2020年の1月から3月の間でほぼ0から作り直してリリースに至ることができた。これがアプリ完成までの経緯です。

高山:林さんの言うように、プロトタイプを作った時に、絶えずお母さん方の声を聞くんですね。そこで、少しずつの修正を重ねていく工程があって。

この修正は私たちじゃ思いつかないですよね。実際にお子さんを見ていて、日々のてんかんの発作を見ているお母さんたちだからこそ、それが言えるんですよね。

まさにここは、もう目から鱗と言いますか、「そういう実態があるんだ」ってこちらも感動しながら少しずつ改良を加えていったこと、思い出深いです。


──「nanacara」が持つ意味、この名称に至った経緯や想いも伺いたいです。

:「nanacara」は「7つのカラー」で虹を表しています。そこに込めた想いは、延べ250人を超える様々な難病を持った方やそのご家族とお話をしてきて、いくつかの思い出に残る言葉からきています。

たとえば、あるお母さんがてんかんを持つお子さん、車椅子に乗ってらっしゃって表情もなかなか動かせない方だったんですけども、そのお母さんが言ってくださったんですね。「私には分かるの。喜んでいるのか落ち込んでいるのか分かるの。自分の子供の症状も一つの個性だと思って接しているんです」と。

その言葉があったとき、私はもちろん、てんかんを持つお子さんもそうだし、ご家族もそう、一人一人違う人生で個性も違う。そういった意味で難病を持っていても、難病を持つお子さんのご家族であっても、一人一人が色が違う個性として大切にでき輝ける世界を作りたいという想いを込め、7つのカラーで「nanacara」というネーミングとロゴにしました。

その上でそのロゴは7つの虹が輪を描いてそれが2重に重なってるんですけども、その2重の輪っていうのはてんかんを持つお子さんとご家族を表しています。あとは、てんかんを持つお子さんとお母さんやご家族、その周りがドクターとか様々な支援者様のことですとか、我々の願いとしてはそういった難病を持つ方や基礎疾患を持つ方が社会全体でそこから学びを得て光輝く社会をつくりたいと思っているんですね。そういった意味でも、2重に7つの色の輪を重ね、それを表現しています。

虹でいうと、難病って診断されて最初は皆さん落ち込まれますし、落ち込まれて涙されることだって多いです。最初だけではなくて、やっぱり涙したいときも皆さんあるって言われるんですね。お話をされてる最中に涙される方もいらっしゃいます。

「nanacara」のデジタルのプラットフォームもそうですし、ノックオンザドアのメンバーも含め、そういった涙される方も目を上げたときに虹があって少しでも笑顔になってくれる時間を増やせたらいいなとの想いを持っています。「nanacara」とそのロゴマークにはそんな想いを込めさせていただいています。

待ってるだけではなく自ら出向いていく行動力や突破力

──どういった想いを持たれている方と一緒に働きたいですか?

:まず少なからずあるのは、この難病領域の中で我々のパーパスやミッションにご共感をいただくことは前提かなと思っています。その上で行動的な部分では、待ってるだけではなく自ら出向いていく行動力や突破力ですとか、「自分の役割はこれだから」みたいなところにとどまらない人ですね。

会社ごとを自分ごととして捉えて他のチームに対しても貢献する意識ですとか、「もっと良くするためにこうしたらいい」とポジティブに言えることも求めています。

今ノックオンザドアにいるメンバーは、自分たちでその世界を作っていくんだっていう想いがあり、時にはメンバー同士で言い争うこともあるくらい、行動力や突破力を持ったプロフェッショナルなチームだと思っています。

なのでそこに負けない人に入っていただけたら嬉しいです。入社したからといって先輩やもっと長く働いてる人がいるからその下で言われたことをやろうって人はおそらく合わないと思うので、むしろそういう人に対しても「私はこう思うので、こういう風にやってみましょう」と言えるような人とぜひ一緒に働きたいです。

高山:林さんの言ったことに私も同感です。そしてさらに感性がある方、人の苦しさとかそういった喜怒哀楽に共感できる人が重要だと思っています。助けを求めている方々に手を差し伸べようっていう、そういう感性や共感力のある人が私は重要じゃないかなと思うんですね。

いかに技術が高くても相手と共感できなければそれは宝の持ち腐れだと思っていて、共感ができればその後その相手のために自分は努力して頑張ってっていうことができるんですね。

だからそのきっかけである共感力や感性を駆使して相手のことに耳を傾けていきながら、その方のために自分の力を十分に発揮していく。そんな人がノックオンザドアが求めている社員像じゃないかなと思います。

一気にスピード感を持ってやっていきたいとの想いで、採用を加速させています

──今後の展望について教えていただけますか。

:今後の展望でいうと、現在、てんかん領域では「nanacara」というプラットフォームでやり始めてるわけですが、今の時点で言うと、医療という分野で患者ご家族のデータを医療従事者が見て医療をより良くすることにつながってますし、製薬企業さんに価値として提供することで、より良い製薬につなげることまではでき始めているんですね。

さらに暮らしを良くする部分や、その人たちの自己実現にもつなげなきゃいけないと思っています。その観点では、まだまだてんかん領域でもやらなきゃいけないこと、やれることは多くあると考えています。

そして、世界全体でも困り事として存在してますので、グローバル領域にもチャレンジしていくこと。この2つがあると思ってます。

我々はさらにスピードを上げ、てんかん以外の難病や希少疾患を持った方、そのご家族にも同じ価値を届けていかなきゃとも考えています。

そのため、一気にそれをスピード感を持ってやっていきたいとの想いで、採用を加速させています。

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