こんにちは。本日は3度目の社内インタビューを行いました。
本日は10月からアカウントエグゼクティブとして働いている東谷啓吾さんを紹介していきたいと思います。
私は今回
・PORMEでは何をやっているのか
・哲学をやる理由
・人生の目標
・福利厚生の意味
の4点をインタビューしました。
それぞれのテーマについて話を聞くと熱く語ってくださり、内容の濃い記事になったので今回も2部構成に分けてお送りします。
問題意識をもった高校時代
はじめまして。PORMEのアカウントエグゼクティブを務めます、東谷(ひがしたに)です。まず、何をしているかということですが、高校時代に経験した或るきっかけが今の僕に直結している為、最初に少しだけ高校時代のことを振り返らせて頂きます。
高校入学時の僕は医師に憧れていて、世の中に対する疑問など微塵も感じることなく、普通に楽しく生活していたと思います。そんな中、転機が訪れます。高校2年時に行った自主研究で「教育格差」をテーマに選んだ僕は、拙いながら、竹内洋氏や苅谷剛彦氏ら教育社会学者の著書や論文などを読み、まとめてみました。この調査を行い、僕はこの国が抱える深い問題の一端を垣間見た気がしました。そこには、何の誇張もなしで、「このままでは絶対にこの国は終わる」と思えるほどの惨状が拡がっていたのです。これには、17歳の若造であった僕でも深く考えさせられました。そして、次のような結論を得ます。
― 所与の国や社会は、その国民や人民1人1人の集まりによって構成されています。従って、国家などの大きい粒度を考える際、その最小単位である個人の考察から始めなければなりません。そこで、個人の生き方を決める条件を整理すると、それは主体的条件と客観的条件に分けられます。主体的条件とはもちろん努力のことであり、これはもちろん大切です。しかし、客観的条件も見落としてはなりません。客観的条件の主なものを列挙すると、親や家族からの条件(素質や育てられ方の物的条件、精神的条件)、学校教育の条件、世界と自国(日本)における政治・経済・社会の状況という条件などがあり、これがその個人を形成していると言っても過言ではないでしょう。ここに、当時の僕や僕の周りを取り巻く環境がいかに恵まれていたかを痛感します。僕たちはたまたま客観的条件が比較的整えられた境遇で生きることが出来、その条件を享受していたに過ぎないのだと、感じました。すなわち、僕たちには、この国の客観的条件の平均的なレベルを引き上げる役割を担う必要があると考えます。
このようにして客観的な問題意識を持った僕はもう既に、医師という目標を失くしていました。どう生きればこの社会全体に最大限貢献できるかだけが、僕の関心の軸でした。様々な進路を模索し、色々な本を読み漁っている時に、マルクスの『ドイツ・イデオロギー』という本に出会います。前提知識のない当時の僕には内容はほとんど理解出来ませんでしたが、マルクスの「哲学によって世界を変革するんだ」という燃えるような情熱だけは文面から感じることが出来たのです。「これだ!」と直観的に思いました。
哲学というと、「死とは何か」とか「時間とは何か」などの何か抽象的なことを考えていて、現実とは関係のない学問だという印象を持たれることが多いのですが、僕がここで言う哲学やマルクスが念頭に置いている哲学とは全くそういうものではありません。一般的な哲学のイメージから大きくズレるので、疑問に持たれることが多いのですが、本当の哲学とは現実と密接に結びついています。いやむしろ、哲学ほど現実と関係のある学問はないかもしれません。以下、哲学の歴史に触れることで、それを簡単に論じたいと思います。
哲学の歴史の重み
哲学の起源は2000年以上も昔に遡り、その間に色々な思想が生まれ様々な学問へと派生してきましたが、その根本にあるものは古代ギリシャでも現代でも変わりません。それは、個人や社会をどう認識するか、その認識に基づいてどんな世の中を目指すべきか、ということです。西洋哲学の歴史はこの「目指すべき世の中=真理」の追究の歴史でした。キリスト教の影響が色濃く残っていたとはいえ、哲学史の伝統には真理の継承が現れていると言えるでしょう。そして、この哲学史の伝統というものは、それぞれの時代の人類の最高の英知が命がけで築きあげてきたものであり、歴史という名の「人民大衆の優れて現実的な生活」によって試され、淘汰されてきたものです。ここで、現実に一致しない「哲学」などというものは忘却の彼方に葬られます。したがって、個人がどれだけ社会に貢献できるかということは、いちにかかって、その個人がこの伝統をどれだけ正統に受け継ぐことが出来るかに依るということに気づきました。もちろんそれだけが社会に貢献する道ではありませんが、論理的に考えると、この道は最も確かなものの一つだと思います。事実、思想史に名前を刻んでいる巨人たちは社会に影響を与え続け、世の中を動かしてきているのですから。
このようなわけで、僕は哲学の伝統に正面から取り組み、「目指すべき世の中」の追求に少しでも貢献しようと決意しました。しかし、それは机の上で小難しい哲学書を読んだりするだけでは不可能です。それだけでは、多くの哲学教授のように自己満足に終始し、数十年後には誰からも見向きもされず忘れ去られてしまいます。哲学史の伝統を受け継ぐには大前提として、現実生活の中で自分が経験し直面した問題を納得いくまで徹底的に考え抜き追求する姿勢が必要になります。そこで、その問題を考える為に先人の成果を学ぶということになり、それが深まっていくと哲学史の伝統の研究に繋がっていくのです。このことに疑問を持たれる方は、試しに哲学史上の偉人を一人読んでみてください。例えば、アリストテレスやヘーゲルなどの大哲学者は誰よりも深く現実をよく知っており、当時の政治や文化に精通していたことを知るはずです。
したがって、本当の哲学とは、何よりもまず現実の世界に関わらなければなりません。現実の社会の中で生じている様々な事象や問題に触れていきながらそれらを論理的に認識し、その認識から出発して実践を行わなければいけないのです。これが、真の哲学の厳しさであり、豊かさでもあります。また、これは僕が哲学という学問に生涯をかけようと思った所以でもあります。
その2に続きますので是非ご覧ください!
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