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アップルアーキテクツの代表取締役について

アップルアーキテクツの代表とはどんな人物なのか?

名前:菊池暢晃

性別:男性

年齢:44歳

属性:アップルアーキテクツ株式会社代表取締役社長

社長になるまでのストーリーとは?

菊池は1978年青森県平川市(旧平賀町)で生まれました。(真ん中の笑顔の子)

高校を卒業して就職

工業高校を卒業して現場監督を目指していた菊池少年は就職をするために会社をうけるのですが、先生に勧められた大手建設会社の採用試験を落ちてしまいました。(高校で就職する場合は、先生が見つけてきて推薦の上、試験を受けるのが一般的らしいです。なのでほとんどが受かるのが前提で受けている。)

周りはみんな会社決まっている状態のなか、再度先生が探してくれたが現場監督としては入社できず、東京の測量会社にいやいや入社し、2部署ありそのうちの建築測量部(現場の原寸を図っていく墨出しという仕事)というところに所属した。最初はいやいや入ってしまったけど仕事は真面目に楽しくさせてもらっていた。

諦められない夢を叶えるためにん建築の夜間学校へ

しかし現場監督になることを諦められず、社会人2年目から建築の夜間学校にいくことを決意して入学。

8:00~17:00まで仕事をして、18:00~21:00 夜間学校で勉強をする日々を1年半送り、途中で仕事をやめ

残りはセブンイレブンでアルバイトをしながら学校を卒業するという生活を送りました。

MaisonMargielaに入社

夜間学校でマルタンマルジェラの卒業設計をしたことがきっかけとなり、卒業したタイミングでアパレルと設計事務所で迷った菊池は思想、デザインを学ぶと決めて3年という期限付きでMaisonMargiela入社。

MaisonMargielaの入社面接にて卒業設計を持っていき、役員に「来るところ間違えたんじゃないか?」と言われどんなに好きかというプレゼンをした。他の役員が反対する中、そのときの新宿伊勢丹のMaisonMargiela店長に「面白い」と言われ入社。

会社で様々なお客様を通じて、色んな世界を見ることができた。そのなかで人とのコミュニケーションの基盤を学ぶことができたと菊池は語っている。

MaisonMargielaは服だけじゃなく人間力で服を売っていたと菊池は語る。見て学ぶスタイルの中で自らのコミュニケーションスタイルを確立し、店舗売上2位を記録することができた。

思想・デザイン・人とのコミュニケーション・人の心理・店舗運営・夜の遊び方(笑)と多岐に渡る学びを得ることができ、当初の予定通り建築の世界に戻るため3年半で退職。

このとき貯金は0円。MaisonMargiela時代は遊びも派手だったこともあり、もらった給料は全て使うスタイルであった。

写真は当時の菊池。今もイケイケと言っているが、もっとイケイケである。


建築を学ぶためにイタリアへと思いきや、その前に派遣の仕事で資金を稼ぐ

派遣の工事(現場で肉体労働)の仕事をしてイタリアに行くための資金を稼ぐ。真面目に全力で働く菊池をみて、直接働かないかと声をかけてくれ直接雇用してもらうことで派遣のときより給与がUPした。3ヶ月で稼いだ50万を持ってイタリアへ行く。

建築を学ぶためにイタリアへ

建築の世界に行くことを決めていたため、1ヶ月建築を見るためにイタリアへ行った。他にもフィレンツェ・ミラノ・パリ・バルセロナ・グラナダに建築を見に行った。(ちなみにこのとき菊池は就職先決まっておらず)

イタリアで盗難に遭う

1ヶ月の旅行の半月目で突如事件が起きた。グラナダに滞在中に首から下げていたパスポートとトラベラーズチェック・クレジットカード・帰りのチケット以外の全てを盗まれたのだ。イタリア語、英語も満足に話せない菊池は途方に暮れながらも、身振り手振りを使い宿泊していたイタリアまででどうにか帰った。

だが、旅の思い出を記録していたカメラも全てなくなってしまった。海外では盗まれたものは基本的には戻ってこない。途方に暮れながらも盗まれた思い出(写真)を記録しようと、ちゃんと記憶には残っていないが、A4の紙をもらいその紙がいっぱいに写真で撮った記録を描いた。紙がいっぱいなってしまったのでバルセロナでノートとモンブランの万年筆を購入。さらに自分の思い、思い出を記録した。

写真は盗まれた際に購入したノートに書いた記録である。

盗難からの気づき

荷物を盗まれてから帰るまでは、旅でできた友人の力も借りながらただでご飯を食べさせてもらったり、無料で宿泊させてもらったり、ほんとにいろんな人に助けてもらった。当時24歳だった菊池は、この半月で誰かの助けを借りて生きている実感と、どこでも生きていける感覚を得た。そして帰りのチケットを使って石鹸と歯ブラシと歯磨き粉、ノート、万年筆を入れたビニール袋と無事だった首から下げていたパスポートとトラベラーズチェック・クレジットカードを持って帰国した。

建築業界に就職し、リストラ

職がない状態だった菊池は、帰国して職探しを開始。建築の実務経験が全くない状態で、経験がないからと断れるながらも諦めず家づくりをしている会社をしらみ潰しにアタックした。そして最後の正直でハウスメーカーに入社。しかし本社採用はされず、会社の支店に設計職ではなく営業職での入社となった。

1年目0件で何もできない自分と向き合った。そして入社して3年目までは会社に泊まるのは当たり前の生活を行っていた。日中は営業をし、夜は図面を描くという生活を3年間行った。

そして営業+設計どちらもできるようになった。営業と設計どちらもできる人間は会社にいなかったため3年目以降はお客様の信頼もあり毎年約1億の売上をあげることができた。10年勤めた会社から平成24年12月にリストラにあい、翌月会社が黒字倒産をした。

常務取締役からの平社員

リストラ後、当時の先輩に誘ってもらい、平成25年1月ハウスメーカーに転職。営業部長職で入社後コンスタントに毎年1億を売上げていた。そのときの社長に会社の未来についてプレゼンして入社3年目に常務取締役に昇進。しかし社内で問題が勃発。自分が担当する物件でボイコットが発生し、当時600万の利益が出る案件だったが、500万の赤字を出した。その責任を取る形で平社員に降格。

そして起業し、現在に至る。

ボイコットを経験したとき社員への配慮がまったくなくお客様しか見れていなかった。平社員になったことで、人生をもう一度見つめ直し起業を決意。そしてアップルアーキテクツ株式会社を創業することとなった。

ストーリーが面白い、素敵だと思ってくれた方、是非私たちと話をしませんか?


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