サイバーエージェントを辞めて、Iターン社長になったワケ(中) | 株式会社プロジェクトタネ
「方言で世界を語る」というビジョンを掲げ、インターネットを通じて北陸に新たな産業を創り出すwebマーケティング専門のプロフェッショナル集団、株式会社プロジェクトタネ。今回は、タネの生みの親である...
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「方言で世界を語る」というビジョンを掲げ、インターネットを通じて北陸に新たな産業を創り出すwebマーケティング専門のプロフェッショナル集団、株式会社プロジェクトタネ。
今回は、タネの生みの親である代表取締役社長の髙平聡さんに、タネが生まれた理由や思いについて、じっくりお話を伺ってきました。
髙平 聡(たかひら さとし)
1977年 東京生まれ
2006年 国内最大手のインターネット総合サービス企業「サイバーエージェント」(東京都渋谷区)に中途入社。
Yahoo!やGoogleなどの検索エンジンマーケティングのコンサルティングを担当。2007年からは、マネージャーとして営業、SEM(検索エンジンマーケティング)やSEO(検索エンジン最適化)のコンサルティング、オペレーション部門のマネージャーを歴任。
2011年 同社100%子会社のインターネットサービス企業「シーエーアドバンス」(沖縄県那覇市)の事業責任者になる。
クラウドソーシング事業の立ち上げに従事し、ウェブ上で仕事ができる在宅ワークの仕組みづくりを行う。全国各地で女性在宅ワーカー向けのワークショップやセミナーを開催。
2013年 サイバーエージェントを退職し、富山県高岡市に家族4人でIターン。
出版社「カラフルカンパニー」(石川県金沢市)に転職。地域最大級のタウン情報誌「金沢情報」のタウン情報領域の営業責任者として、営業組織改革や、ポータルサイト「金沢情報web」「富山情報web」の全体企画と立ち上げに関わる。
マスとデジタル領域におけるトータルソリューション組織を新設。
事業責任者を務め、北陸三県のクライアントに向けた課題解決型コンサルティングを行う。
2016年 プロジェクトタネ(project.tane)設立
北陸三県を中心に、地方創生のために必要なローカルプロモーションの戦略立案やブランディング、PR活動のコンサルティングサービスをスタート。
富山県新世紀産業機構 「平成28年度 創業・ベンチャー挑戦応援事業」にも採択される。
ーーー今日はよろしくお願いします。自社の代表に取材するとなると、普段の取材とはまた違った緊張感がありますね。
髙平さん:
どんな風に話が広がっていくのか楽しみです。何でも聞いてくださいね。お任せします。
ーーー以前、別のインタビュー記事で、プロジェクトタネを設立した理由は、「自分自身が相談できる人として認知されたいから。Iターン後に転職した出版社での、とある経験がきっかけだった」と拝読しました。
髙平さん:
まず私の経歴から申し上げると、生まれも育ちも東京です。
2006年から2013年まではインターネット広告業界最大手のサイバーエージェントに在籍していました。
そこから富山県の高岡市にIターン移住して、転職した先が、金沢市にある地元の生活情報などを取り扱う出版社になります。プロジェクトタネの創業に至った、直接的なきっかけはここでの経験だったと思います。
ーーー起業を駆り立てるほどの経験とは、一体どんな出来事だったのでしょうか。
髙平さん:
私が勤めていた企業は、金沢市に本社を置く、地元では有名な出版社で、複数のタウン誌を発行していました。北陸にゆかりのある方であれば、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。そこで私は営業のグループに配属され、約10名ほどの営業チームのマネージャーを任せて頂きました。
入社してからは、金沢市近郊でフリーペーパーの広告出稿を募る企画提案型の営業職として従事していました。フリーマガジン「ホットペッパー」に掲載しているような美容院に出向き「私たちのタウン誌にも広告を載せませんか?」といったスタイルで営業活動をしていました。
転職した頃は30代の後半でしたけど、新規開拓のためにはテレアポも飛び込み営業などもどんどんしていましたよ!日々新しいお客様との出会いがたくさんある仕事でとても楽しかったし、やりがいもありました!
ーーーほうほう。
髙平さん:
きっかけというのは、その頃に担当していたお客様に起きた、ある小さな事件でした。
そこは、こじんまりとした創業したての美容院で、女性が一人で切り盛りしていました。
仕事上のお付き合いを始めてしばらくのこと、そのお客様がいわゆる詐欺まがいの業者に騙されるという事件がありました。
SEO対策という名目で、通常では考えにくい条件でその業者と契約を結んでしまったらしく…。
よくよく内容を聞いてみると、異常なほど長期の契約を結び、適切とは言い難い料金を請求する、といった感じで、私の目にはその契約が適切なものにはどう見ても思えませんでした。
現に、そのお客様も困っていらっしゃいましたので、、、
ーーーあああ…。
髙平さん:
私はサイバーエージェント出身でしたので、インターネット分野は自分の強みという自負は出版社時代も変わらずありました。だからこそ、「なぜそんな被害が出てしまったんだろう。私が事前に把握できていれば防げたはずなのに」と、自分の存在感の小ささに情けなくなりましたね。
「もし事前に一声かけてくれていたら」と思うと、悔しくてたまらなかったですね。
ちょうど同時期に、別のクライアント先でも同じ手口の被害が多く聞かれていたのもあったりして、「これはどこかで食い止めないと、いつまでもこの状況は変わらないのではないか?」と危機感を持ちました。
ーーーそんなことがあったとは知りませんでした。
髙平さん:
もし、その当時に属していた私たちの会社が、インターネット分野にも強いブランドとして世間に認知されていたとしたら、きっとセカンドオピニオンを求められたはずだと思うんです。
ですが、実際にはそのような認知はされていなかったわけで、結果的にこのような事件というかトラブルを未然に防ぐことができなかったわけです。
私はインターネット分野のプロとしての自負を持ってここに存在しているのに、そのことを十分に認知されていなかった。
つまり、「どれだけ良いものがあっても知られなければ意味がない。」ということを痛感しました。
ーーーなるほど、そうだったのですね。
髙平さん:
ただ、この出来事は一つの象徴的な出来事ではありますが、それだけが創業のきっかけではありません。
その他にも「あぁ、これは私が求められているのではないか?私なら解決できる問題や課題だな」と思わされるようないろいろな出来事が重なった結果、「創業」という選択に至ったと思っています。
ーーー「いろいろな出来事」とは何ですか。
髙平さん:
実は、前職の出版社に入社してすぐの頃、「ウェブに興味があるけど、近くに相談できるところがない」と、取引先から悩みを打ち明けられたことがありました。
確かに北陸には、新聞やテレビの広告を扱う従来型の広告会社や、指示された作業のみを請け負うようなweb制作会社は数多くありましたが、一方で、デジタルを活用した戦略立案から運用までを担えるインターネット専業の広告会社はほぼ存在していませんでした。
「いま、このニーズに応えられるのはもしかすると自分だけではないか?誰も対応できないなら自分がやるか!」という思いが強くなっていきました。
ーーーそこからはすぐ起業に向けた行動に移っていったのでしょうか。
髙平さん:
タネを創業する以前に、出版社の組織内で、インターネット分野に対応できる新たな部署を立ち上げました。「まずはできることを組織の中で始める」ことは、組織人として当然の考えです。ただ進めていくうちに、出版社である会社の方針とかみ合わなくなってきた感覚を持つようになってきて、このままでは、10年も20年もかかってしまうかもしれない、という葛藤が自分の中で生まれました。
そこから現実的に起業を視野に入れ始めることにしました。
ーーーなるほど。試行錯誤した結果として起業に至ったのですね。。
髙平さん:
北陸に来てからの数年間は、葛藤の連続でした。前職の出版社時代の部下は、皆良い人材ばかりでした。皆優秀で、常に一生懸命で。ですが、いまいち彼らのポテンシャルを伸ばし切れていない環境や、ロールモデルになるような人物を生み出せていないモヤモヤがあり、どうしたら彼らのポテンシャルを最大限に開花させることができるのだろうか?と常に考えていました。
だからこそ、同僚や部下たちには、仕事を通じて、私自身が持っている知識やスキルを惜しみなく伝えてきました。
その結果、確実に成果にも表れてきて、能力を発揮しイキイキと活躍する部下も多く生まれてきました。これはすごいぞと感じました。その時に、これまで私が歩んできた道のりや積み上げてきたものは間違っていなかったんだと確信しました。「さらに続けていけば、彼らの能力はもっともっと伸びるはずだ」と、可能性が広がっていくのを感じましたね。
ーーーそうでしたか。若手が活躍するサイバーエージェントとのギャップに葛藤する様子が伝わってきます。
髙平さん:
管理職になってからは、新卒採用の面接官や他社と自社でどちらを最終的に選択するか悩んでいる就活生に対して、いわゆるクローザーの役割も担当したことがあります。
採用に携わったことも会社の意義をいろいろと考えさせられるきっかけではありました。
ーーー一体どんな出会いがあったのですか。
髙平さん:
面接において、志望動機は必ず聞きますよね。そうすると、みんなが口を揃えて「雑誌をつくりたいです」と返してくるわけですよ。この回答には、大きな違和感を抱きました。もちろん中には、心からその仕事をやりたい!という方もいたとは思いますが、私には学生のその回答が本音に聞こえないケースが多々ありました。
「どう見てもデジタルネイティブの世代なのに、どうしてweb関連ではなく、アナログな雑誌なの?」と、不思議に思いながら就活生に接していました。
ーーー確かに。
髙平さん:
「就職は地元がいい」「地元に戻らなければいけない事情を抱えている」など、きっと学生側にも何かしらの理由があったんだと思うんです。特に、Uターン就職を希望する女性は大勢いますから。
「本当は、webやSNSといったデジタルに関わる仕事に興味があるけど、北陸にはそういった仕事がない。せめて広告やマーケティングに携わりたいし、地元の企業にも就職したいし…。うーん、困ったなあ」という就活生の本心が垣間見えるようで、少なくとも私にはそんな風に見えました。
地元にいたいけど、もっと欲を言えば、最先端の仕事で、かつバリバリ活躍できる会社で一生懸命働きたいんだろうなと感じたんですよね。
他に入りたいと思える会社が北陸には見当たらず、消去法的にこういった選択肢になってしまっているのかもしれないな、とも思いました。
ーーーそう言われるとそうかもしれません。
髙平さん:
もし、地元に魅力的な会社があれば、彼らが就職先に悩むことも、本心を取り繕った動機を面接で話すこともなかったのでは?と思ったんです。
そう考えると、そうした動機を作り出している、北陸の地元社会にも責任がある気がしてきたんですよ。
まぁ、やや飛躍的な解釈と責任感かもしれませんけども。。。(笑)
ーーーまだまだ現実的には難しいところですよね。採用を勝ち取るために、学生も必死ですから。
髙平さん:
もし北陸にも、サイバーエージェントやリクルートのように、先進的でワクワクするような地元発祥のベンチャー企業があれば、地元での就職を希望する学生たちも働くこと自体が楽しくなるし、北陸のお客様のニーズにも応えられるし、これは良いことしかない!と思ったんですよね。
「若者がイキイキと働けるような、北陸にもサイバーエージェントのような会社をつくるべき」「目の前のクライアントの悩みに応えたい」「webマーケティングのニーズが拡大している今のタイミングを逃してはいけない」という思いが重なって、気付いたら「無いならつくれば良い!」「自分がやるしかない!」という正義感に突き動かされていました。
ーーー起業はいろんな出会いや経験が重なった結果だったんですね。
髙平さん:
それと実は、前職の出版社に入るとき、「ここで社長になるから」と、奥さんに宣言していました(笑)。
ただ実際は、10年20年、下手したらもっとかかるのではないか?と思い、そんなに待ってられない!と感じたりもしました。
「時間は命」です。
今すぐにやりたいこと、為すべきことがあるのに、先延ばしにする理由が見当たりませんでした。
私が「起業しない」「この課題に取り組まない」という選択をすることは、問題の先送り以外の何ものでもなく、今現在、生かしてもらっているこの地域に対しても、家族や縁ある人たちに対しても、不誠実なのではないか?とも思いました。
ーーーちなみに、起業を意識することはそれまでは一切なかったのでしょうか。
髙平さん:
最終的には、前職の出版社での経験が大きな要因となって、起業する決め手になりました。ただ、それ以前のもっと若い頃から、いつかは起業したいという漠然とした野心は持っていました。
ーーーそんな前からだったとは知りませんでした。
髙平さん:
一番最初に起業を意識したのは、2003年頃くらいまでさかのぼります。
東京にある立ち上げ間もない小さなベンチャーの会社に営業部の立ち上げに合わせて入社しました。
ちなみに、社会人として初めて勤めた会社がここでした。
入社してすぐ、顧客リストをどん!と渡され、営業先を新規開拓してくるように言われました。当然上手くはいかず、朝から晩まで必死に駆けずり回っても、受注が一件取れるかどうかの毎日でした。
一方で、社長直下では、リスティング広告も扱っていました。そしてそこには、毎日10件以上もの問い合わせが来ているらしいという事実があって、あまりの差に愕然としましたね。
「一体この違いは何なんだ!」「インターネットってすごい!」と。
これは、必死に営業していた頃の自分にとっては、あまりに衝撃的な出来事で、「もし私がいつか会社を経営するときには、このインターネットという手法を使わない手はない」と直感しました。
この経験が、インターネットの仕組みを学びたいと思ったきっかけです。
ーーー新しい気付きに、好奇心が駆り立てられたんですね。
髙平さん:
それなりの成果が出てはいたものの、自分はこの程度の成果で満足していいのか?と葛藤を抱き始めたのが営業3年目の頃でした。たまたま立ち寄った書店で、サイバーエージェントの藤田社長の書籍がふと目に止まりました。その本を読んだとき、「この人、若いのにすごい!」と感動したのを覚えています。「ここでインターネット広告の仕組みを学びたい!この会社に入りたい!」と思い立ち、すぐに門戸を叩きに行って、運良く雇って頂くことができました。
ーーーなるほど。会社を立ち上げるとなると、すごく決断力のいることですよね。その自信は、サイバーエージェント時代に培ったスキルからくる自信なのか、それとも髙平さんの性格的なものからくる自信なのか、自身ではどう思いますか。
髙平さん:
どちらかというと後者だと思います。「正義感が強い」というか、「当事者意識や責任感を勝手に感じてしまう。」というか。
これまでの人生を振り返ると、大学時代の新歓コンパがまさにそうですね。新歓コンパを開く度に、誰よりも呑んでべろべろに酔っぱらってました…。春になると、新歓コンパでひとしきり会を盛り上げて、いつのまにか静かに酔いつぶれるのが恒例でした。今となっては笑い話ですが、思い出すと恥ずかしい思い出です(笑)。
ーーーそんな一面があったとは…。
髙平さん:
なぜそうなったかと言うと、その場の雰囲気がしらけてしまったり、来てくれた人がつまらなさそうにしていたり、そういう状況がたまらなく嫌だったんですよね。だから、「来てくれた以上は絶対楽しんでほしい。自分が盛り上げないと!」みたいな変な使命感に駆られていたんだと思います。
ただ、勝手な使命感の根底には、「人に嫌われるのが怖い」っていう思いがあるのだと、なんとなく自覚はしていて、究極の気遣い人間なのかもしれませんね(笑)。
ーーー一見、盛り上げ役からは想像できないですね。
髙平さん:
同時に、「自分にしかできないことってなんだろう。自分にしかできないことをやりたい」という信念も持っています。だから、「この場にオレって必要なのか?他の誰かでもよくないか?」みたいな状況下であれば、絶対に自分から動くことはないと思います。
良く言えば「責任感や使命感が強い」ですし、悪く言えば「目立ちたがり屋」なのかもしれませんね(笑)。
➞【中編】に続く