難関私大専門塾「マナビズム」や中学生向けオンラインスクール「STUDY FREAK(スタフリ)」、就業移行支援事業所「CONNECT-こねくと-」など、多様な事業を展開する株式会社mooble。
moobleの代表である八澤の過去を辿ると、壮絶な出来事が原体験として浮き彫りになります。
その過去を振り返るとともに、今後moobleが目指す「人の夢を叶える」という事業構想についてお話を伺いました。
八澤 龍之介 / 代表取締役社長
関西大学法学部2011年卒。高校3年生のときに「人の夢を叶える人になる。」と自分の人生のテーマを決め、起業家になることを志す。その当時、通っていた塾のオーナーに「大学生になったら塾を一つ買います。」と宣言。大学在学中にアルバイトを掛け持ちしながら資金を貯め、19歳で現在のマナビズムの前身となる学習塾を起業する。大学卒業と同時に独立し、株式会社mooble(前:株式会社smile maker)を立ち上げる。現在は教育分野を中心に、福祉や動画マーケティングの事業も開始し、さらなる飛躍を目指している。
14歳で遭った集団リンチの経験が"自分の人生を生きる"きっかけに
ーーどのような学生時代を過ごしていましたか?
僕が14歳の中学生の頃、他校の生徒たち20名ほどに囲まれて、集団リンチに遭ったことがあります。いきなりこんな話をして驚きますよね。ただ、僕のこれまでの人生を語る上で、この経験はとても大きな出来事であったため、お話したいと思います。
僕は幼少期から、なんとなく生きているのが楽しくないと感じることがありました。今思えば、自分の心に素直に生きていなかったのだと思います。
そんなふうに成長してきた僕は中学生になり、気の合う友達もおらず、悪さをする他校のメンバーが所属するグループに入っていました。真面目な学生生活は送っていなかったです。周りにいるメンバーとただなんとなく一緒につるんで、やんちゃをしていました。
ところがある日、グループで目を付けられて標的にされてしまいます。体育館の地下駐車場に連れて行かれ、殴る蹴るの集団暴行を受けたんです。そのときたまたま体育館のスタッフの方が駆け付けて助けてくれましたが、正直ボコボコにされながら、あぁもうだめだと思いました。その日から僕の人生は変わりました。
ーー衝撃的すぎます…!その後、どんな変化があったのですか?
翌日以降、家から出るのが怖くなってしまい、PTSDのような症状もありました。でも同時に、今までの自分は望んでグループにいたわけではなかったと自分自身を見つめ直してもいました。他人に合わせて生きていた。つまり、自分の人生を生きていなかったんです。そう気づいてからは人間関係もガラッと変わって、自分の心の声に忠実に生きようと決めました。あのつらい経験を通して、自分の生きたいように生きようと思えるようになりました。
僕は小さい頃に空手をかじっており、しばらく離れていましたが、これからは自分が心からやりたいと思えることをやろうと思い、また空手を始めることにしたんです。部活も勉強も、積極的に取り組み始めました。高校は、空手が強い公立高校に進学し、そこで大阪公立大会で優勝する、という目標を立てました。その目標を立ててからは遊びに目もくれず、部活に打ち込む日々でした。そして高校三年生の時に、目標とする公立大会で優勝することができました。
この経験は自分自身の大きな成功体験になっており、自信が付いたことはいうまでもありません。きちんと目標を立てて行動を起こせば、結果が出るという経験を得ることができましたね。
ーー自分の心に素直になり、何事も自分軸で考えられるようになったんですね!
17歳のとき、今後の進路について考える機会があり、空手でさらに上を目指すという選択肢もありましたが、僕はスポーツよりも勉強に注力したいと考えました。そして、大学受験のために塾に通うことになるのですが、そこで"起業を決意するきっかけをくれた人生の師"と出会うこととなります。
大学生で起業資金200万円を貯め、塾を購入して起業
ーー塾で出会った人生の師とは?
僕が通っていた塾のオーナーは投資家だったのですが、いろいろな事業に投資をしながら自分でも講師業を趣味でやりつつ、人生を謳歌されているような方でした。僕はその方のことを今でも恩師として慕っていますが、僕の人生で初めて「目標にしたいと思える大人」だったのです。
僕はある日先生に、「俺は将来、先生みたいな投資家になる!」と言いました。すると先生は、こんなことを言ったんです。
「夢は職業で決めるものじゃない」
僕はそのとき衝撃を受けました。自分がどうなったら幸せか?を考え、職業はそれを達成するための手段だという思想に深い感銘を受けました。
ーーその先生はどんな人だったのですか?
人として尊敬できる人ですね。仕事をしているとき、いつも楽しそうに笑っていたのが印象的で。これまで楽しそうに仕事をする大人をあまり見たことがなかったので、こんな世界があるんだ、仕事って楽しいものなんだと衝撃を受けたのを覚えています。
ーー先生の言葉で八澤さんはどのような影響を受けましたか?
僕がまず考えたのは、「人の役に立つ人になる」「人の夢を叶える人になる」ということです。正直深い理由はないのですが、小さい頃からそのようなことをずっと言っていたことや、どうせ何かをやるのであれば人の為になる方が良いと考えてそのような考えに至りました。
再度自分自身を見つめ直した結果、先生のような立場になることが理想を叶える上で必要なのではと思い、なんのためらいもなく「大学生になったら塾を買う」と宣言していました。これが起業のきっかけです。
ーーなぜ、学生時代に塾を買うことを決意したのですか?
塾も人の夢を叶える仕事だからです。正しくはイコールではありませんが、塾を通して多くの高校生と出会い、人生が変わる出来事や言葉、経験をもたらすきっかけを与えることができると感じました。僕が恩師である先生と高校生時代に出会ったように、"子どもと大人の絶妙な境目"にある年齢の高校生に対して、塾での勉強に一生懸命に取り組むことや切磋琢磨すること、自分の将来について考えることを共に分かち合いながら、彼らが考える理想に向かって成長する手助けができると思いました。受験は、自分について内省する機会をもたらし、その後の人生においても大切な考え方の素地を養える場であると考えています。
だから僕は人の役に立ち、人の夢を叶える人になるために、塾を運営するという決断をしました。大学に入学してからもその軸は一切ブレることがなく、起業資金の200万円をバイトを掛け持ちして貯めました。そして、宣言通り塾を買い、起業に至ります。
絶望的な状況も乗り越えることが出来たのは「人の夢を叶える人になる」という信念をブラさなかったから
ーー起業1年目はどのような年でしたか?
恩師である先生が塾をいくつか持っていたので、その校舎とノウハウを使って運営を行っていました。初期の頃はほとんど一人で経営と講師業を兼務し、現在のmoobleの共同創業者である土野や大学の同期といった仲間たちに助けてもらっていました。
学生起業で注目はされていたため、講師の採用はすべてリファラルで完結していました。しかし、スタートして初めの半年間は赤字続き。僕は会社を経営しながら、運転資金をアルバイトをして賄うといった形でなんとかやりくりしていました。
なんとかやっていき2年目のタイミングでフランチャイズを抜けて、自分たちのブランドで独自にやっていこうと決意をします。フランチャイズではどうしても規定があり、思うようにできないことも多かったので。その時に創った自社ブランドが今のmoobleの主軸事業である「マナビズム」です。
ーーマナビズムはこの頃からあったんですね!
マナビズムが出来てからすぐに2店舗目も展開。今考えるとぞっとするような経営計画で経営のノウハウも乏しい中、無謀すぎる資金繰りをしていました(笑)。それが仇となり、3ヶ月後にはキャッシュがゼロになってしまうという経営難に陥ったこともありました。その時は1日20時間、365日働いていました。それでも1年目の年収は60万円、月収は5万円というのが実情でした。
本当に厳しい状況でしたが、「人の夢を叶える人になる」という目標が当時の自分を支え、つらくても困難を楽しみながら、土野も僕も生徒には一切辛い顔を見せないことを意識し、人生の師のように常に笑顔で働いていました。
すると面白いことに、その熱意や想いが子どもたちに伝わり、紹介や口コミで生徒数が一気に増えて1年後には経営が安定することとなります。本当に何が起こるかわかりませんね(笑)。
「一緒に感動を創る」ことができる仲間のチャレンジを後押しできる会社を目指して
ーー八澤社長が経営で大切にしていることを教えてください!
これまでにさまざまな変遷があり、株式会社moobleとして成長を遂げてきました。2012年の創業から今日までを振り返り、あらためて感じるのは、「好きな人と笑って仕事をする」ということ。高校生のときに感じていたことと変わらないですね。10年以上経って、原点回帰しているという感じです。僕たちは幸せに生きるために仕事をしているのであって、仕事をするために生きてはいません。「何をやるかよりも誰とやるか」を優先します。
そして現在は、感動を追求するということをミッションとして掲げています。「感動」は、ある期待値を超えたときに生まれるものだと思います。常に、子どもたちやカスタマーの期待値を超えようと取り組んでいますし、中途半端なサービスを提供したくはありません。
また、感動は社員同士や経営陣にも同じように感じてほしいし求めています。そもそも社長が社員を感動させられないようなら、顧客を感動させることなんて絶対にできません。なので社員が働きやすいような環境は徹底して提供しますし、そう言った考えから理念や行動指針を決めています。
ーーなるほど。特にこだわっていることはありますか?
仲間や周りの人が幸せにならない意思決定は絶対にしないということです。経営をしているとあらゆる儲け話が舞い込んできます。でもそんな時に、仲間の顔や「人の夢を叶える人になる」という人生の目標を頭に思い浮かべ、意思決定をし続けます。
"社長の器以上に会社は大きくならない"と肝に命じて、物事を広い視野で判断する目を養い続ける必要があることを常に忘れないようにしています。
ーー人生の目標である「人の夢を叶える」を体現しているエピソードはありますか?
前提、moobleは社員自身の自己実現を叶える会社(箱)として使ってほしいと考えています。これまでも独立していくメンバーは多く存在し、その中でもmoobleが運営する塾を社員に売ったケースもあります。
また、生徒に対しても経営や人生哲学の話をする機会が多く、「将来は八澤さんのように起業をして多くの人に夢を与えたい!」という生徒が増えてきている印象です。
人生の師にしてもらったことを、今は自分でもできていると感じることもあり、まだまだですが少しずつ「人の夢を叶える人」になれているんじゃないかと感じます。
ーー最後に今後の会社の展望を教えてください!
新たに福祉事業施設を開業し、独立した社員もおり、そのノウハウは当社の既存事業で学び、起業に役立てたそうです。
このように僕たちは起業や独立をひとつの文化とし、一人ひとりの夢や目標を後押しし、挑戦を応援したいと考えています。
一方で、社内での新規事業の立ち上げも歓迎しています。例を挙げると、中学生のオンライン授業「STUDY FREAK(スタフリ)」も、一人の役員が旗振りをし事業化したケースです。
そうしてさまざまな挑戦の背中を後押ししながら会社としてチャレンジを恐れない起業家精神を育み、関関同立の合格者総数No.1、また、関西の福祉事業No.1の異名をとる企業を目指していきます。
同じ志を持つ仲間と共に目標を実現していきたいと思います。