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雑誌インタビュー記事


“Creating the Future of Analog Music”
独自の光カートリッジで
アナログの未来を切り拓きたい

「大学卒業前に、さてこれから自分はどうしようかと。そのときにひとつだけ見えた答えがあった。それは“人生はアッという間に終ってしまう”ということです」
 40年ほど前に登場して話題を呼んだ光電式カートリッジ。その光電式カートリッジを現代に復活させた、DSオーディオの青柳哲秋氏は、真摯な眼差しで語り始めた。
 「アッという間に終ってしまう人生で、自分は何をしたいのか。出てきた答えは、生きた痕跡みたいなものを、と言うとちょっと大げさですが、人の記憶に残るようなものを創ることに人生を捧げたい、という思いです」
 アナログブーム再来と言われてからすでに久しい時が経っている。その中で特筆すべきトピックのひとつが、光電式カートリッジの復活である。当初は華々しい登場という感じではなかったかもしれないが、青柳氏による熱心な広報活動もあって、さほど時間を経ずして世界中のアナログファンの心を強く捉えた。光電式カートリッジの復活は、現代アナログ史を彩る重要な出来事となったのである。
 青柳氏は、1986年7月23日にドイツで生を受けた。当時、青柳氏の父親がドイツに赴任していたからである。その後、数ヵ月で帰国されたそうだが、1988年には青柳氏の父親を中心とする有志がナカミチから独立し、㈱デジタルストリームを創立したという。このデジタルストリーム社は、ディスク評価用ピックアップの製造・開発会社として事業をスタート。つまりオーディオ機器とは直接的な関係はない、光学系機器の開発に特化したメーカーとして産声を上げたのだった。

自分に課した試練が
「公認会計士」試験の突破

和田 青柳さんは、横浜国立大学の経営学部を卒業とお聞きしましたが、学部は理系ではなかったのですか。
青柳 高校3年までは理系を専攻していましたが、自分は技術者向きではないなと気づいて、大学は経営学部だけを受験し、経営を学びました。
和田 なぜ経営を学ばれたのでしょう。青柳 たとえば、大きな会社に入って自分が本当に作りたいと思うものを作ろうとしても、その時は50歳を超えているかもしれない。時間が足りません。そうすると、自分で事業を起こすしかないわけです。では、自分で事業を始めるには何が必要か。その答えが公認会計士でした。海外に行けば英語が必要なように事業をやるには、少なくとも数字がわかっていないと事業を動かすことはできないと思ったからです。
 当時の公認会計士の合格率は8~9%でした。一般的には難しいと言われる試験なのかも知れませんが、自分で何か事業するとなればもっと難しいことは間違いありません。この程度の試験さえ突破できないのなら、偉そうに“事業を興して自分の夢を叶える”と言うのはやめて、どこか大きな会社にでも就職した方がいい。そこで自分に課した試練が、公認会計士の試験だったのです。
 実のところ会計に興味があったわけでも、会計士になりたかったわけでもなく、ただの自己試しの試験でした。ところが、幸いにもその試験に一発で通った。なので夢を追ってみようと。その後、2年間会計士の実務経験を積み、その2年間の実務要件を満たした日に退職届を出して、この会社に入ったのです。ここは父が創業した会社ということもあるのですが、それよりも、この会社には新しいものを作ろうという気概が風土としてあり、それが自分のイメージに近かったからです。それが2011年です。

カートリッジ開発のきっかけは
古い東芝C100Pで聴いた
マイケル・ジャクソン『スリラー』
でのすごい衝撃

和田 では、アナログレコードを再生するカートリッジを作ろうと考えた、きっかけは何だったのでしょう。
青柳 あるとき海外から、アナログレコードから非接触で(光学的に)信号をピックアップすることはできないか、という話が舞い込んできました。その開発案件は具体化しませんでしたが、そこで初めてアナログレコードに興味を持ったのです。僕の世代はレコード世代ではないこともあり実はそれまで、ぼくは一度もアナログレコードを聴いたことも触ったこともありませんでした。
 ちょうどその頃、会社の顧問で元・東芝の山田さんという、オーディオにすごく詳しい方がぼくを自宅に呼んでくれて、マイケル・ジャクソンの『スリラー』をアナログレコードで聴かせてくれたのです。それがとんでもなく良い音で、本当に驚きました。CDも聴かせてもらいましたが、アナログの方が音に実体感があり、厚みもあってリアルで、すごく心に響くものでした。
 そのときのカートリッジが宇宙船みたいな形をしたもので、「何ですか、これは?」と聴いたら、昔、東芝が開発したC100Pという光カートリッジだったのです。そして、昔は光源にランプを使うしかなかったけれど、最新のLEDのような優れた光源を使えば、もっといいものができるのだろうが、とチラッと言われた。そして山田さんは何個かお持ちのC100Pの中から、ぼくに1個譲ってくれたんです。
 そのときの衝撃がなかったら、DSオーディオをやろうとはまったく思わなかったでしょう。そのC100Pを会社に持っていって、内部を顕微鏡で覗いてみました。すると、何のことはない、砲弾型の光源と、古風な受光素子や三角形の遮蔽板、そこにカンチレバーがボンと刺さっているだけでした。これなら簡単に作れるんじゃないかと思いました。(株)デジタルストリームは光学系の会社なので、その辺からLEDを持ってきて、それを乾電池で光らせて、受光素子を接着剤で張り付けて、という感じで組み上げてみたら小さな音が出たんです。物理特性は別として、ともかく音が出た。もしかしたらこれはいけるんじゃないかと思いました。
 それから光カートリッジに関する昔の特許や資料を手当たり次第に集めて、その構造や特徴、さらには問題点などをつぶさに比較検討する作業を始めた……というわけです。
和田 それがわずか8~9年前のことですね。
青柳 はい、DSオーディオを始めて7年なのでそのくらいですね。
和田 山田さんが、光カートリッジの良さを分かっていながら、もしも一般的なMCカートリッジで『スリラー』を聴かせてくれたとしたら、そこで終っていたわけでしょう。
青柳 そうですね。もしもMCカートリッジで感動したとしても、MCカートリッジならぼく以外の人でも挑戦できるでしょうから。しかし、昔の光電式カートリッジでこんなにいい音が出るのなら、最新の素材や技術を使えばもっと良いものが作れるはずですし、そういう光カートリッジが出来れば、もしかしたら多くの人が感動してくれるのではないか。これが光カートリッジを作りたいと思った動機であり、これこそがぼくが人生をかけてやるべき仕事じゃないかと思って、始めたわけです。

第一号モデルの登場から
わずか7年で
ドイツで”世界一のカートリッジ”との評価を得るなど世界的な評価を獲得

和田 いやあ、素晴らしい。そしてわずか数年で結果が現われた。ぼくが初めて、有楽町の交通会館でのオーディオショウでDSカートリッジの音を聴かせてもらったのは、そんなに昔の話じゃないですよね。
青柳 交通会館に出展したのは2013年10月ですね。創業年がいつとは決めていなかったんですが、その2013年10月を、DSオーディオを始めた年としました。
和田 光カートリッジ用のフォノイコライザーアンプも、DSオーディオで開発されましたね。
青柳 先ほどの山田さんが友人である元・東芝の濱口さんを紹介してくれたのです。濱口さんは光カートリッジが次世代のカートリッジだと信じて、40年以上も東芝の光電式カートリッジのイコライザーアンプを改良し続けてきたそうです。そこで濱口さんにも加わってもらい、光カートリッジ用のフォノイコライザーの設計を担当して頂くという体制を整えました。
和田 そうですか。では、DSオーディオの第一号モデルの登場は?
青柳 DS001が最初で、2013年10月です。その後、DS‐W1を2014年11月に発売しました。
和田 DS‐W1は、青柳さんがぼくの自宅に持ってきてくれましたね。その音を聴いて、ぼくは心を揺さぶられた。ひじょうにディープで、心の奥底まで届く音だったことを覚えています。それから世界的な評価を得るまでは、あっという間という感じですね。
青柳 DS-W1がドイツの主要雑誌2誌から”世界一のカートリッジ”と評価されたことが大きかったですね。また最初から海外のオーディオショーなどに積極的にプロモーションに出向きました。自分達で創った製品ですから、もっと広めたいという気持ちが強かったのと、やはり自分の子供のように可愛いものじゃないですか。だから、とにかく必死で、来てくれと言われたらすべて出かけていく。とにかくがむしゃらでした。夢をかなえるために、ブランドとして安定した状態にするために。そこでどう評価されるか分からないけれど、どうせ転ぶなら前を向いて転ぼうというか……。
和田 けっこう、負けず嫌いな性格なのかなという気がするんですが。
青柳 確かにそういうところはあるかもしれません。DSオーディオのブランドポリシーは“Creating the Future of Analog Music”なのですが、これはアナログの未来を切り拓くという意味です。これはDSオーディオのポリシーであると同時にぼくの生きるポリシーでもある。つまり、何か新しいものを創って人の未来をよくしたい。そうすることで、自分の幸せにもなり、みんなも喜んでくれる、そういうものを創りたいと思っています。
 だからDSオーディオが創る製品は、絶対に人の物真似ではいけない。いままで誰もやったことがなく、しかもこれがあれば未来が少し良くなるというものだけを心を込めて創っていきたいですね。
和田 では、将来に向けて考えていることがあれば教えてください。
青柳 ぼくは光カートリッジをユニークなカートリッジではなくポピュラーなカートリッジにしたいと思っています。それにはDSオーディオだけで独占的にやっていてはいけません。お客さんには選択肢が必要ですし、DSオーディオ一社だけではいつまで経ってもユニークなカートリッジで終ってしまう。MM/MCカートリッジと同様に、カートリッジというカテゴリーに入れてもらうためには、イコライザーに関する情報等は開放しなけらばならないと考えています。
和田 声がかかれば、対応すると。
青柳 はい。弊社はいつでも対応しますし、ライセンスフィー等も不要です。ソウルノートやEMMラボといったメーカーにもイコライザーアンプの技術情報を開放したのは、供給電圧を共通化したいという思いもあるからです。たとえば他社が光カートリッジを開発するとき、LEDに何を使うか、受光素子に何を使うかで供給電圧等の仕様が変ってしまうこともある。もし今後イコライザーの供給電圧がバラバラになったりすれば未来永劫一つの規格になりません。やはり複数のメーカーが同一規格の中で音の良さを競い合う状況がベストだと思うのです。そのために弊社も改良・ブラシュアップを怠りなく続けていき、さらに良い音のカートリッジにしていきたいと考えていま

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