こんにちは!採用広報担当の茂藤です。当社の代表、井上のインタビュー後編です。前編をご覧になっていない方は、先に下記前編をご覧ください。今回の後編は、創業初期から会社が成長していく過程をお届けしております。是非ご覧ください!
目次
ーー創業後、スタートしたての時期はどんな様子でしたか
ーーリーマンショックもあったと思いますが、どう乗り越えられましたか
保守的な経営判断で会社の成長が鈍化。前向きな意思決定をしていくことにパラダイムシフト
ーーこれまでは順調ですが、経営していく上で苦労はありましたか
ーーそこから、会社はどのように変化していきましたか
更なる会社の成長に向けて、東京・大阪へ進出。進出のきっかけは”人”
ーー東京と大阪にも支社がありますが、どのように参入されたか教えてください
ーー会社が急成長したことで、苦労したことを教えてください
未来永劫続く会社を目指して、魅力的な会社作りに注力
ーー経営に注力するようになってから、取り組んだことを教えてください
ーーこれからはどんな会社にしていきたいですか?
最後に、この記事をご覧になっている皆様へ一言お願いいたします。
ーー創業後、スタートしたての時期はどんな様子でしたか
今までは大企業と仕事をしてきましたが、創業初期は実績がなかったので、大企業とは契約してもらえなかったですね。とはいえ仕事がなかった訳ではないので、他の仕事をやりながら実績を作りました。
そこからすぐに会社員時代に一緒に仕事をしていたクライアントの方から声をかけていただき、大企業の金融系の仕事をやるようになりました。会社員のときに一生懸命頑張って、お客様との信頼関係を構築していたことが実を結び、仕事には本当に困らなかったです。
その後、私が会社を立ち上げたことを聞きつけた周囲の人たちから、入社したいと言ってくれる人がいたり、紹介をしていただいたりと、順調に社員が増えていきました。創業する前は「10人ぐらいになればいいな」と思っていましたが、創業から3ヶ月ほどで社員を採用し始め、割とすぐに15名となったのでオフィスを借りましたね。
ーーリーマンショックもあったと思いますが、どう乗り越えられましたか
運も良かったのか、金融や公共系などの景気に左右されにくい仕事を中心にやっていたので、ほとんど影響を受けなかったです。むしろ影響をもろに受けていた製造業などの会社から、待機している人を紹介していただいたりしたので、結果的に会社の成長にもなりましたし、新しい会社との縁もできました。そう思うと、リーマンショックはピンチではなく”会社が成長するきっかけ”になった時期でしたね。
保守的な経営判断で会社の成長が鈍化。前向きな意思決定をしていくことにパラダイムシフト
ーーこれまでは順調ですが、経営していく上で苦労はありましたか
最初は仕事もそれなりにあったので、来るもの拒まずで積極的に採用していました。しかし、一定の規模になってからは、そのときに仕事がないことを理由に、たとえ良い方であっても採用を見送ることがありました。最初は、採用は巡り合わせなのでご縁がなかったと思っていましたが、そこから会社の成長が停滞してきました。
ここまでは順調にきていたのに停滞した原因は何か?考えを巡らせると、あることに気が付きました。それは「仕事がないから良い人でも採用しない」という保守的な経営判断をしていたことでした。また、採用に保守的になると、営業など他の領域も守りに入ってしまう悪循環に陥っているようにも感じました。
これを機に、『良い人材に出会ったらそのときに仕事がなくても採用すること』そして『必死で仕事を探してくること』を心に決めました。
ーーそこから、会社はどのように変化していきましたか
今までは過去に関係性があった人や知り合いからの紹介など、リファラルで採用し続けていましたが、初めて人材紹介サービスを利用することにしました。
当時は今ほど売り手市場ではなく、有り難いことに応募もたくさんあったので、良い方は迷わず採用していきました。その結果、社員数が20名や30名のときは記憶にないぐらいのスピードで人が増えていきました。そこから仕事を積極的に取りにいくようになったことで停滞期から脱し、会社が成長していきましたね。
更なる会社の成長に向けて、東京・大阪へ進出。進出のきっかけは”人”
ーー東京と大阪にも支社がありますが、どのように参入されたか教えてください
会社員時代は名古屋の仕事がメインでしたが、東京や大阪の仕事をすることもありました。そのときの東京の案件で一緒に参画していたパートナー企業の方から、私の会社に入りたいと連絡をいただいたんです。もちろん、当時は東京の仕事をしておらず、オフィスもありませんでしたが、”良い人がいたら採用すること”を決めていたので、これを機に東京の市場に参入することにしました。
その後、東京でレンタルオフィスを借りて、なんとか仕事を獲得したことから東京での事業がスタートしました。
これと同じような経緯で、大阪へ参入する起点となったのも”人の採用”でした。かつて同じ会社で大阪の案件に一緒に参画していた後輩から、「退職したので、仕事がないか?」という相談があったのがきっかけです。その後輩を採用することと同時に大阪の市場にも参入しました。
そこから、東京と大阪それぞれで、積極的に良い人材の採用・仕事の獲得を続け、事業を拡大してきました。
ーー会社が急成長したことで、苦労したことを教えてください
この時はまだ私もエンジニアとして現場の仕事をしながら、組織マネジメントや金融機関対応などの経営業務を兼務でやっていましたが、さすがにそれができなくなってきました。ただ、クライアントのほとんどは、過去に私と一緒に仕事をしていた企業ばかりで、引き続き私に期待をしてくれていたので、現場を離れることの引き際に悩みましたね。
また、ちょうどこの頃は人材教育にも課題を感じていました。トラブルや問題が起こると全て私のところに集約されるような状態だったので、土日もずっと仕事をし続け、それでも終わらないといったこともありました。中核メンバーが対応できるようにならないと、いつまでたっても私が現場を離れることはできないと感じていました。
そして、現場を離れることに決め、経営に注力するようにしました。
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未来永劫続く会社を目指して、魅力的な会社作りに注力
ーー経営に注力するようになってから、取り組んだことを教えてください
会社にいる時間が増えることで、今まで見えてこなかったことがいろいろ見えるようになりました。まずは体制を整える必要があると考え、私から権限移譲するために総務などの機能組織を作ったり、中核メンバーを役職者に任命して一定範囲の責任を担ってもらうような体制を作っていきました。
また、当時のクライアントは私自身が過去から積み上げてきた信頼関係で成り立っているので、私がいなくなった時でも会社が存続・成長するようにしなくてはいけないという危機感も感じ、人材育成に注力するようになりました。
ーーこれからはどんな会社にしていきたいですか?
『未来永劫続く会社にする』というキャッチコピーを掲げ、私だけが会社を作っていく意識ではなく、社員みんなで良い会社を作っていくようにしたいと思うようになりました。
人の価値観が多様化している昨今では、私が社員のためにと思ってやったことでも、残念ながら必ずしも社員の満足度向上に繋がるとはいえません。そこで特定のテーマを設定した社内組織を複数立ち上げ、社員自らアイデアを出し、コトに取り組んでいける機会を作っています。
また、トレンドアートは働く人が魅力だと思っていますし、今後もそうあって欲しいと思っているので、採用の際は、経験や技術力よりもヒューマンスキルを最も大事にしています。
トレンドアートで働く人たちが魅力的であり続けることで、我々とつながった人たちも皆がハッピーになれると思っています。
そしてそれが社会に広がっていくことで、世の中が良くなることに繋がっていくと信じています。
最後に、この記事をご覧になっている皆様へ一言お願いいたします。
人生一度きりしかないので、目的意識を持って一生懸命生きた方が良いと思います。自分のやりたいことや、自分の大切な人のことを考えたりしていると、嫌なことを考えたり悩んだりする暇はないと思います。後悔しないよう今を全力で生きて欲しいと心から思っています。
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