【社員インタビューNo.8】
株式会社オーサムエージェント
西日本セールスチーム 菅谷 篤志
2018年営業職で入社。その後、東京営業所の立ち上げ、人材紹介部門への異動を経て、現在西日本セールスチームで再び営業として活躍中の菅谷さん。今回はそんな菅谷さんのこれまでと、今後目指したい姿についてインタビューしました。
学生時代から続いた下積み時代。苦しい日々があって今の自分があります。
菅谷さんと言えば、スタイリッシュな風貌とクールな雰囲気。入社1年目の私にとっては、なかなかこちら側からは話しかけづらい雰囲気の方だなと正直感じていました(笑)
そう思われていたことに驚きです!全くそんなことないですよ。ただ、入社したのが立ち上げ初期でオーサム歴が長い方に入ると思うので、そう思われても仕方ないかもしれないですね。本来はすごく人が好きで、人のために泣いたりも喜んだりもするごく普通の人間なので安心して下さい(笑)
そういって頂けて少し安心しました(笑)今回は菅谷さん自身について聞いていきたいと思っているのでよろしくお願いします!まず、オーサムに入る前の菅谷さんについて教えて下さい。
前職は大手アパレルブランドで販売員として6年間働いていました。大学時代からアルバイトをしていたんですが、社員として頑張ってみたいという想いが強くなり大学を中退して正社員として働くようになったんです。ファッションが好きで、なんていう理由も特になく…飲食店でのアルバイトばかりだったので、もっと洒落っ気のあるところで働きたいなーと思ったのがきっかけでしたね。
具体的にどのようなお仕事をされていたんですか?
僕が働いていた会社では、レジ周りのマネージャーと店舗マネージャーとが各店にいて、僕は3年間くらいレジのマネージャーを任せてもらっていました。着任したのが22歳の時。当時は全店舗の中で最年少のマネージャーでした。店頭に立って接客もしましたし、クレーム対応や新人の教育、店舗のマネジメントなど様々なことを経験しましたね。教育に関してはかなり厳しい社風で。学生バイトにも正社員と同じ基準を求めるので毎日誰かが泣いているような日々でした。自分自身、何度も悔し涙を流しながら必死に喰らいつき奮闘してましたね。
最年少でのマネージャー就任。純粋にすごいなと思いました。
基本的には女性社会なので、そもそも男性という時点で珍しかったと思います。当時は若かったこともあって、上司に対して自分のことをとにかくアピールしてました。自身の取り組みや実績を自分からアピールしていかないと埋もれてしまう世界だったので、ガツガツ攻めてましたね。そのガッツを見込んで任せてもらえたのかなと思っています。華のある業界のイメージがありますが、働いている人はもちろんプライドも強い想いもありますし、有名ブランドだけに上層部からの指示も厳しい。ここでの奮闘の日々が今の自分を作っているといっても過言ではないですね。
そうだったんですね。転職を考えられたのはどのようなきっかけがあったんですか?
働き始めた当初からお世話になっていた5つ上の先輩がいたんですが、その人の影響でゆくゆくはエリアマネージャーのポジションに就きたいという想いがずっとあったんですよ。ただ、そもそもエリアマネージャーは全国に5人しかいないという狭き門。なかなかタイミングが合わなかったんですよね。そして、自分の教え子たちが続々と自分と同じマネージャー職になっていく姿を見て、「あ、そろそろ考え時なのかな」と思うようになりました。
人生の転機は意外なところに。旧友であり、現在の上司との再会。
オーサムを知ったのはどのようなきっかけだったんですか?
実は僕、竹村(当社代表)と小学校からの知り合いで。仲の良い地元の先輩後輩って感じだったんです。竹村が起業する前から何度かご飯に行ったり、お店に遊びに来てくれたり、ずっと関係はあって、何度か「うちで一緒に働かないか?」と声をかけてもらってたんですが僕はこの会社で頑張りたいと思っていたので断っていたんです。辞めようかなというタイミングでまた声をかけてもらって、入社を決めたという流れになります。
小学校からの知り合いだとは知らず、すごく驚きました。ぜひ菅谷さんしか知らないエピソードを教えてほしいです!
ほんとにただの地元の友達だったので、タメ口でしたし、優君って呼んでました(笑)お互いにずっと野球をやっていたんですが、僕の方が上手いし!くらいの気持ちで優君のことを全く先輩だと思ってなかったです(笑)ただ、昔からめちゃくちゃ優しい人でした。一つ、忘れられない思い出があります。僕たち、小学校では同じチームでプレーしていて、中学校は別のクラブチーム、高校は違う学校に進学して、1度だけ試合で当たったことがあったんです。当時僕はスランプ真っ只中のピッチャー。打席に立った「優君」の胸に思いきりデッドボールをしてしまいました。真っ青な顔で試合の後すぐ謝りにかけつけると「俺は全然大丈夫。それよりお前は大丈夫か?」と自分のことより僕の心配をしてくれたんです。「俺はキャッチャーだから分かる。今のお前はやりたいことができてないだろ、何があった?」と優しく声をかけてくれました。当時の僕にとってはすごく衝撃的な出来事で。自分のことより僕のことを心配してくれる、こんなに優しい人っているんだ、とただの地元の先輩だった「優君」に対する見方が変わった日でした。同時に野球への向き合い方も変わったと思っているので、この日の出来事は今でも忘れられないです。
そんなことがあったんですね。たった1日の出来事ですが、その時その時の行動が人生を変えるんだなと改めて気づかされました。
そうですね。中学高校ではこの日以外ほとんど関わりがなかったので、本当に運命的な日だったなと思います。この時からまた関係が続くようになり、大学に進学してからも就職してからも、悩み事や相談をしあうような仲になったんですよね。将来に悩んでいた当時26歳の僕、最終学歴は高卒で資格も特になかった僕を拾ってくれたのも竹村なので本当に感謝しています。
※コロナが落ち着いたら、また社員旅行にも行きたいですね。
人と関わることが好き。ありがとう、と言われるとやっぱり嬉しいですね。
オーサムではどのようなことを経験してきたんですか?
まずは営業として仕事をスタートしました。人と対峙する仕事をしていたとは言え、全く別の仕事。最初は名刺交換から教わりました。自分でとったアポには毎回先輩に同行してもらってましたね。『商談』と聞くとカチッとしたイメージがあったんですが、物流業界の特色なのか、意外とフランクだなと感じました。もともと人と話したり距離を詰めるのが得意だったので、「辛い」「しんどい」と感じることはほとんどなかったです!唯一大変だったことと言えば、自分の売り上げが会社の存続に直結すること。創業期の入社だったので今以上にプレッシャーは大きかったですね。
前職との違いや、逆に活かせたスキルなどはありますか?
お客さんと仲良くなって、自分や会社を好きになってもらうというのは前職の経験が活かせていたかなと思います。ただ伝え方のニュアンスであったり言葉のチョイスであったりは全く違うなと感じましたし、定期的な顧客フォローや実務的なことはほぼゼロからのスタートだったので苦労はしました。それでも、「ドラピタに載せてよかった」とか「いい人が採れたよ、ありがとう」とお礼を言われると苦労が報われる感じがしてすごくやりがいを感じる仕事ですね。
昨年は人材紹介を担当していたと思うのですが、どのような経緯だったのでしょうか。
名古屋で約1年営業経験を積んだあと東京オフィスの立ち上げに関わらせて頂きました。しばらくして、もともと東海で先行して行っていた人材紹介の部門を関東にも作るという話があり、僕が任されることになったんです。イメージは、各企業の面接官代行。求職者さんに合いそうな仕事、長く働いてくれそうな会社、人柄と志望がマッチする会社を探し出します。営業と違って直接求職者さんと関わる仕事なので、より個人との関わりが強く感じられて、自分に向いている仕事だなと思いました。
※今後のオーサムエージェントを担うメンバー。
個人的な目標は正直ない。社長の目標を叶えることが、僕の目標です。
今後オーサムで叶えたいことはありますか?
新メンバーと旧メンバーの架け橋のような人になりたいです。そしていずれは採用人事に関わっていきたい。全体を客観的に見ながら、個人が抱える苦手の克服を手助けしたり、得意を伸ばしたり。実務的なことや人間関係の問題、ストレス対策など、みんなが働く手助けができればいいなと思っています。前職の時からそうですが、人を動かしたりまとめたりすることが好きなんです。例えば、自分が教えた子が活躍するのは当然のこと。それよりもその子たちが教えた子たち、つまり自分にとっての孫が活躍することの方が何倍も嬉しいなと感じます。とにかく個が強い会社なので、1人1人をつなぐ存在になれたらな、と。僕が誰よりもそこに向いていると思うので。
菅谷さんの人間的な温かい部分が知れて嬉しいです。熱い想いを聞かせて頂いてありがとうございます!最後に、オーサムにはどんな人が来てほしいですか?
人の気持ちが考えられる人がいいなと思います。ベンチャーなので、もちろん我が強くてもいいしイケイケでもいい。ただ、自分だけが成果を挙げればいいというのではなくて、その裏で誰かを傷つけていないかとか、自分勝手な発言をしていないかとか、そういったところに気が配れる人が来てくれたら嬉しいなと思います。まだまだこれからの会社なので事業部間で無理を言い合うこともしょっちゅうですが、そこで折れずお互いを想い合って仕事をしていければ一番いいなと思いますね。