皆さん、こんにちは!アイオーティーで人事を努めている田中です!題名の通り、今日は竹谷社長がどんな人なのか?を皆さんに知っていただきたく、インタビュー形式で私、田中が責任を持って聞いてまいりました!それでは早速スタートです!!
-竹谷さん宜しくお願いします!
竹谷:はい、田中さん、こちらこそ宜しくお願いします!インタビューなんて久しぶりで緊張しているので御手柔らかにどうぞ(笑)
-承知しました!程々に御手柔らかに行きます!笑 私は竹谷さんのことを何も知らない前提で、根堀葉掘り聞いていきます! 早速ですが、お生まれはどちらなんですか?
竹谷:はい、私は1975年に島根県の松江市で生まれました。
-そうなんですか!私も松江は何度か行ったことあります!ご飯も美味しくて良い街ですよね!東京に来られたのはいつ頃なんですか?
竹谷:そう言ってもらえると嬉しいです!東京に来たのは大学進学のタイミングです!
私は幼少期から大学まで、サッカーに熱中しておりまして、ご縁がありまして、東京の東洋大学でお世話になりました。
-サッカー少年だったんですね!ちなみにポジションはどちらだったんですか?
竹谷:センターバックをやっていました。実は、高校のときにはインターハイに出場したりもしました!
-そうなんですね!確かに竹谷さんがディフェンダーだったら頼もしい感じがします!大学卒業後は、サッカーを続けられたんですか?
竹谷:いえ、大学卒業後は、アーティストに憧れを持っていたので、縁あって結婚式のヘアメイクを行う美容室に入社をさせていただきました。結婚式に出る花嫁さんのヘアメイクをするお仕事ですね。
-へー!サッカー選手からヘアメイクアーティストに転身されたんですね!全くの未経験からの挑戦だと思いますが、様々苦労されたのではないですか?
竹谷:そうですね。その当時、男性が結婚式のヘアメイクを担当することは前例がなくてなかなか、ヘアメイクの担当に就かせてもらうことができなかったんですが、悔しくて、悔しくて、ヘアメイクの学校に行ったり、友達の頭を借りてやってみたり、ウィッグを使って深夜まで練習したりして、その努力も実り、コンテストに出場したら全国で2位になりまして、それ以降は、ヘアメイクの担当として多くの花嫁さんを担当させていただきました。
-ということは竹谷さんが未経験から前例を作られたんですね!すごいですね!その後も、ヘアメイクアーティストとして活躍されたんですか?
竹谷:それがご縁がありまして、その後はカメラマンに転身したんですよね!その当時、全国で珍しく、神社でのウエディングをトータルプロデュースしている会社がありまして、有り難いことに、そこの会社の社長とお繋がりを持てて、私自身もヘアメイクという結婚式の中の一部分ではなく、全体に携わりたいと思いまして、その会社とご一緒することに決めたのですが、たまたまカメランをやる機会があって、のめり込んで行きました!ヘアメイクはどんなに頑張っても、その夜にシャンプーしたら、もう形には残らないですが、写真だと作品としていつまでも残るので、嬉しかったですね!その後、カメランマンとして多くの挙式を撮影させて頂き、今は、カメラマンの育成側に回っています。
-そうなんですか!これまた未経験から努力されてプロになられたわけですね!そんな竹谷さんの私生活を少し聞きたいのですが・・・?
次回に続きます!!!!またの更新をお待ちくださいませ!
※代表の竹谷です。サッカー、ヘアメイクアーティスト、カメラマンとして活躍してきた人です!革命と伝説という言葉が好きで、これまでも多くの革命や伝説を生んできました。これからも、革命と伝説づくりに挑戦していきます!