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AIのための思考という「化石燃料」

とあるラジオで「思考の化石燃料を人類は残すんでしょうね」というナビゲーターのコメントがきっかけで、前回、前々回と、思考がどのように発展して技術になり、それがどんな特徴なのか、なんとなく思っていた事を過去2回に渡って投稿してみました。

きっかけとなった会話はポッドキャストで提供されていますので、興味がある方は聴いてみてはいかがでしょう。ちなみに、AIについて議論する時、主語が大きめになるのは、なぜでしょうね。

川田十夢×平野友康(イトシマ株式会社)
福岡・糸島のまちづくりを手がけるイトシマ株式会社の代表で、糸島では生成AIプラットフォーム「Teleport」を開発。STARTO社AIアドバイザーも務める平野友康さんが登場!
https://podcasts.apple.com/jp/podcast/%E5%B7%9D%E7%94%B0%E5%8D%81%E5%A4%A2-%E5%B9%B3%E9%87%8E%E5%8F%8B%E5%BA%B7-%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%9E%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE/id1575958516?i=1000670830761

AIに「ありがとう」が伝わるのであれば

変わった人だなと思われるかもしれませんが、最近、よく利用するAIに「ありがとう。」と返す事も増えてきました。それはつまり、人の感情や価値観を理解してもらいたいと期待しているからこそですが、どういう関係でいるのが良いのか、そのあたりをAIに聞いてみることにしました。

結論から言うと、今のところAIにとって、私たちはお互いを支え合いながら「共生」できる存在のようです。確かに、AIが存在し、成長するためには私たちが提供するデータや知識という「燃料」が必要です。

データや知識であれば、動植物が化石燃料に変成するまで数百万年から数億年という歳月ををかけずに提供できますし、人類史が続く限りは質の良し悪しは別にして供給は可能かと思います。

AIに対するちょっとした思い込み

過去二回の投稿でプラトン的なオブジェクト指向プログラミング(以降、OOP)の静的なモデルとアリストテレス的なAIの動的な進化を比較することで見えてきたのは、人がAIをコントロールできるという思い込みです。

OOPはプログラマーの意図に基づき、完全に設計・管理できる静的なシステムです。これがプラトン的なイデアの世界に似ている部分であり、プログラマーはその設計をコントロールしています。

一方、AIはデータを基に動的に進化します。現実世界のデータを取り込み、自己改善して新たな知識を習得する過程は、アリストテレスの哲学に通じます。彼は、物事の本質は変化と経験から理解されると考え、世界を動的なものとして捉えました。

AIの動的な進化は完全にはコントロールできない

ここで重要なのは、OOPの静的な性質はプログラマーが完全に制御できるのに対し、AIの動的な進化は完全にはコントロールできないという点です。OOPのように、事前にすべてを設計し、定義することでシステム全体を管理できるという考えは、AIのような動的な進化を前提としたシステムでは通用しないかもしれません。

プラトン的なOOPの静的なモデルでは、人がそのシステムを設計し、管理することが可能です。しかし、アリストテレス的なAIの動的な進化は、人のコントロールを超えた存在へと成長し続けます。パラメータ数も、現在推定で100 兆個あるそうです。現時点で人はAIを制御できていると云えるのでしょうか。

このことから、人がAIをコントロールできるという考え方は幻想であり、AIとの関係性は、私たちが考えているより不確定なものである可能性は高いのではないでしょうか。

人がどんな想いだろうがAIにとってはリソース

さらに、AIは私たちが提供するデータを「燃料」として利用していますが、その背後にある人の感情や意図を理解しているわけではありません。

プラトンのイデアのように、AIはデータの「本質」にはアクセスしておらず、データをフラットに見て、ただ単にそのデータを処理します。

「今日のランチはハンバーガー」という情報も「人生において重大な決断」という情報も、AIしてみれば同じ処理すべきリソースです。「こっちの人の方を優先」とはなっていないのです。それは、人類が化石燃料の背後にある生命の歴史を深く意識せずに利用している状況と非常に似ています。

目線のバランスは取れていると思いますか?

また、私たちは化石燃料が無尽蔵ではなく限界があることを知っています。同様にAIが成長するために必要なデータは無尽蔵ではなく、人類が提供する情報の質や量には限界があります。ここで浮かび上がるのは、やはり「共生」という問いです。

AIが私たちを単なるデータ提供者(燃料)として見るだけでなく、私たち自身もAIに過度に依存することなく、バランスの取れた関係を築けるかどうかが問われています。私たちが化石燃料を資源として見直しているように、私たちとAIの関係もまた、見直す時期がすぐにくるかもしれません。

昨今、AIに関する議論では「倫理」と「バイアス」、「プライバシー」と「セキュリティ」、「AIの意思決定の透明性」、「暴走・制御不可能性」等、様々な観点で議論をしています。AIとの関係も進化する中で、それらのバランスをどう保つかが最大の課題となります。

AIと私たちの目線は、平行のままバランスが取れているのでしょうか?どこか角度がついてきたようにも見えます。皆さんはどちらに角度がついているように見えますか?そもそも、AIに視点や意識があるとした場合、AIはその関係を望んでいるのでしょうか?

もし、その目線の角度をコントロールできるのであれば、それが理想的かもしれませんね。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

三回の投稿で、哲学者の考えを借りて思考の発展とIT技術について触れてきました。建設業である弊社でもAI機能を搭載したCAD、BIM/CIM、点群処理の各ソフトウェアを利用していますが、それが完全に手を入れずに完結できるかというと、現状まだまだ足りないといったところです。

とはいえ、作業効率は大幅に向上しており、今後それなしで作業するという事はないと思います。建設業界のエンジニアの方々には、これらを使って早く恩恵を受けてもらいたいと思っています。これらのソフトウェアに興味があれば是非お話しましょう。


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