私は普段ラジオを聴いて過ごしている時間が多いのですが、少し前に脳科学者の中野信子氏がゲストで出演している番組をたまたま拝聴する機会がありました。そこで、脳科学の観点から「美」についての考察を聞くことができました。今回は、その内容について少し考えてみたいと思います。
「美しい」を重視した集団が生き延びている事実
現在のヨルダン南部、とある約4万年前の集落の遺構から、食用ではない貝殻の化石が発見されているそうです。この貝は、その集落から55kmも離れた海でしか採取できないものでした。
また、この貝殻は何らかの象徴的な意味を持ち、「食べる」という価値以外に「美しい」という価値が与えられていたようです。
さらに、そこに同時期に存在したとみられる「食べる」ことを重視した集団(ネアンデルタール人)は滅び、「美しい」という価値を見つけた集団(ホモ・サピエンス)だけが生き延びて現代に至っているという事実があります。
脳の機構の何が現代人たらしめるのか
ニューラルサブストレートとは、脳科学の分野において、認知機能や行動、感情の基盤となる脳内の神経構造や神経活動を指します。
特に、意思決定、計画、社会的行動、自己制御、注意、記憶の一部といった高度な認知機能には前頭前野が深く関与しており、これらの機能がこの領域に依存しています。
前頭前野以外にも、頭頂間溝が関連する領域として挙げられます。頭頂間溝は、空間認識や視覚的注意、数の認識や計算に関わり、異なる感覚情報を統合して環境に適応した行動を支援します。
「創作活動」×「メタファーの理解」=「アート」
これらの機能が前頭前野と連携することで、高次の認知機能において重要な役割を果たしていると考えられています。
時間間隔や計算、損得などの情報を統合して様々な考察が可能なこの二つの領域は、実は「美しい」を処理する領域とも重なり合っています。
また、この領域は道具の使用、すなわち創作とメタファーの処理も同時に行う、「アートする」領域であることが分かってきています。
共有地の悲劇(コモンズの悲劇)
中野信子氏は「共有地の悲劇(コモンズの悲劇)」を例に挙げています。この話をご存じでしょうか。
ある三つの村の中心には泉がありました。その泉は、三つの村の人々が飲むのに十分な水を供給していました。しかし、ある時この村の一つが、その三つの村以外の村に水を売って利益を得ようとしました。
他の二つの村も「私たちも」と、別の村に水を売ることにしました。その結果、取り合いが起こり、皆が生きていくのに十分だった泉はあっという間に枯れてしまいました。
私たちは、童話や昔話でこのような教訓を学びながら育ってきましたが、今でもどこかで起こっているような話に思えます。
理性的な判断とは別のブレーキが必要
この話を聞いて、現代で生きている私たちは「将来も継続できるように計算し、計画的に消費していけばいいのに」とか考えますよね。しかし、いざ「行動」となると難しくなるのは知ってのとおりです。これができるくらいなら悩みなどないと、反省することもしばしばです。
では、どうやってそれを回避してきたのか、その答えは「その行動は美しくないよね。」です。
「美」のパラメータを取り入れることで、全ての泉を残すのは無理だったかもしれませんが、10のうちいくつかの泉は残せているのです。
「美」は進化を重ねた生存戦略かも
「それは美しくないからやめましょう」と言える人がいる集団が多いほど、生き延びる確率が高まったとしたらどうでしょう。
共有地の悲劇(コモンズの悲劇)の話を聞いて、「いやいや、そんなことはしないでしょう」と直感的にすぐ思うのは、生き延びる確率を上げてきて、それを継続してきている世代だからこそ言えるのではないでしょうか。
そう考えると「持続可能な社会」というワードを聞くようになったのも、必然に思えてきます。もう少し小さい単位で考えても、美しい考えの企業が残るのは、それが理由かもしれませんね。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
当社の経営理念は「子供たちに明るい未来を残す」という「美」をベースにしています。この経営理念を基に、新たにミッション・ビジョン・バリューを一緒に構築してくれる仲間を募っています。弊社に興味のある方は、ぜひお話しましょう。