アソビ特化型英会話教室「語学堂」を運営する株式会社進鳳堂。
ここで働くユニークな社員を紹介するコーナー「Unique buddies」。
記念すべき第1回は、進鳳堂創業者であり英会話教室「語学堂」塾長の小倉進太郎にインタビューをしました。
——広報)塾長、遂にはじまりました「Unique buddies」。やっぱり最初は語学堂の生みの親である塾長にお話をお伺いしたいなと思いまして・・・
小倉)はい、よろしくお願いします。なんでもお答えします。
「チャンスは道に転がってるから、君が拾うか、拾わないかだけだよ。」
——では、はじめに塾長の生い立ちを聞いてもよろしいですか?
お、そこから始まるんですね(笑)
幼少期は、国内留学。青年の心がついてからは、海外留学。そんな冒険的な生活をしたおじいちゃん子。一言で言うとそんなところでしょうか。
東京で産声を上げた後に、父の仕事の関係で、奈良(郡山)、兵庫(宝塚)、神奈川(三浦海岸)、京都(木津)を転々とし東京に戻ってきました。転勤族だったこともあり、幼馴染がいないので、今でも幼なじみがいる皆さんが憧れです。
実は引越しがすごく嫌で、毎回泣いていましたし、親への反発もありました。祖父母が東京だったので、休暇の時に、東京に戻り祖父母の家で過ごす時が一番幸せでした。今思えば、この国内留学(多くの転勤)を親に経験させてもらったことが、今の新しい世界を見ることのワクワクやドキドキが止まらない性格を育んだのではと考えています。感謝ですね。小さい頃から、生意気な性格だったのか、引越先でも学級委員長を小学生から高校卒業まで務めていました。周りの皆もよく認めてくれたものです(笑)
引越しにはストーリーがあります。祖父に引越しについての文句を言ったところ、優しい祖父が、「チャンスは道に転がってるから、進君が拾うか、拾わないかだけだよ。」と一字一句合っているか覚えていませんが、厳しい眼差しで話してくれたのを覚えています。この言葉は自分を非常に楽に、そして前向きな思考へと導いてくれました。可愛い子には旅させよ。この素晴らしい経験(国内留学)は、是非22世期教育として若者にさせてあげたいと考えています。
小さい頃は剣道を習っていました。(親と先生に乗せられて始めた)幼稚園の時に体験で道場に行き、雑巾掛けの時に、足腰が強いとか、こんな早い雑巾掛けは見たことないとか、褒められて、雑巾小僧は気分良く入門しました(笑) 文武両道の概念と自分と向き合うことを剣道から学び、そして、小学校高学年から団体スポーツのサッカーと掛け持ちをして個人と団体の概念を覚えたのだと思います。
とにかく、小さい頃から、全てに本気だったと思います。小さい頃に作った秘密基地も本当に完成度も非常に高かったことを自負しています。
結果は未来の自分に任せる
——学生時代はどのようなことを勉強していましたか?
こんなことを言うと変ですが、まずは、「純粋に騙されてみる」と言うことを中学の時に学びました。私は「騙されやすい。乗せられやすい。」性格だと思います。これが学業にプラスの影響を及ぼしました。中学の時は、学校ではTOPに近かったものの塾に入ってみたら一番下のクラスに。夏の模試で先生から毎日これをやれば絶対にいい点数取れると言われて、朝4時まで騙されたように勉強をしました。その結果、夏の塾全体の模試で「5教科No.1」になり、学校内外塾長からの態度も変わりました。つべこべ言わずに、やるべきことをやってみる。「結果は、未来の自分に任せる」を学びましたね。後は、勉強をたくさんしたものの、義務教育で成績の良い自分と塾の成績が違うことのギャップに、「勉強する」と言う概念を悪い言葉で「アホらしいな」と、思うようになり、教育に疑問を感じた1シーンでもありました。
そんな私は、高校まで数学が好きだったのですが、サインコサインタンジェントが出てきてから、もはやこれは数字ではないと勝手に決めつけ、俺には語学だ。と、英語、中国語、フランス語を高校2年時に興味を持ち授業を取りました。ちょうどその頃、サッカーのトルシエ監督が日本代表監督になったおともあり、言語と文化への興味は最高潮になっていました。今の自分を築いてくれたのはこの高校の自由な風習にありますね。
大学進学にあたり、進路を法学部か医学部で考えていました。(そんな成績はなかったと思いますが笑)少し図書館で法律についての本を読んだ時に、ケーススタディーのような簡単な法律の本があり、「髪の毛を染めるのは校則違反か?」のようなパートが合ったのですが、弁護士意見が複数書いてあり、答えがないことに気が付き、とても興味を持ちました。
また、カッコをつけて六法全書を開いた際に、宗教バイブルのように見えて、人間が行う全ての事柄が抽象的に書いてあることに気付き、人の行動を想像してルールを作ると言うことに非常に面白いことだなと感じました。同時に、なぜか大学に行ったら海外に行きたいなという気持ちが芽生えていたのを覚えています。
グランゼコール、パリ政治学院に留学
——昔から全然変わっていないんですね(笑)大学時代はどうでしたか?
大学では、法学部で法律を勉強しました。フランス語の授業を楽しみながら、国際経済法、WTOのゼミに興味を持ち、国際社会のルール、EUの環境法、アジア連合(AU)の可能性などに没頭をしました。法律では、法を解釈するという基本を忠実に捉えきれないダメ学生だったと思います。何かあると新しいルール(法律)を作るアメリカやEU(当時はそう見えた)に疑問を持ち、法律の議論より新しい社会のルールを作らないと!なんて若気の至りが、自分をフランスのパリ政治学院と言うグランゼコールに導いたのだと思います。漠然と海外のナルシストや優秀な人が集まるイメージがあったので、飛び込んでみたいと思いました。もちろん想像通り、毎回のプレゼンは、本当に楽しかったですが、想像を絶する大変さがありました(笑)
パリ政治学院では、国連のような毎日でした。正直、学業と言う面で見ると日本よりも群を抜いてレベルが高い学生たちだなと思いましたし、それを支える教育システムも素晴らしいものでした。一方で、日本には、アルバイトをしたり、将来の生活と密着している総合的な力を学生生活で得られるなとも考えることができます。単純に、フランスは、階級社会エリートが認めらる国であり、今ここで学んでいる自分たちはエリートなんだ。自分が次の社会、企業、国を背負っていくんだと言う気概に溢れていました。ナショナリティーも強く、議論では、クールに表面を取り繕いながらも自国の話をガンガンと言う形でした。
同時に、自国のことを誇りを持って話すことができる、大切なものが何か?と言うことがわかっている人たちと友人になれることは貴重であり、皆抱えている夢が大きいので、話をしていて気持ちがよかったのを覚えています。
中国人や韓国人の友人ができるとアジアという概念も自分の中では変わりはじめ、初めて自分は日本人であり、アジア人なんだということも感じました。それが、環境法という概念に結びついて、EUができるなら、AUはどうなんだと。大学院で、何かしら研究のネタを作り韓国か中国に行ってみよう。と思い、大学院でスマートシティーの研究をすることになり、韓国の延世大学院にもダブルディグリープログラムという形で進学することになりました。
韓国での研究で、「岩倉使節団」と「紳士遊覧団」について研究し、それは現在の将来の日本に作りたい教育基盤の自身の理想を作る大きな手伝いとなっています。
世界は「日本と日本人の魅力は、おもてなしの優しさ」なんて思っていない
——パリ政治学院での印象的な出来事について教えてください
日本はテロの国!日本は、核保有国!日本人はマグロ食べ過ぎのやばい人たち!
え???というのがまず学術的な大きな印象でしたね。授業は毎回誰かのプレゼンテーションで始まるのですが、「日本は潜在的核保有国か」というのが私の最初のプレゼンテーションテーマでした。マジで?という世界ですよね。お恥ずかしながら考えたこともなかった。何を言っているのだ、非核三原則の国だぞと。ですが文献を読み漁ると、議論のポイントの一つは、日本には原子力発電所が多くあり、プルトニウムを保有することで「必要に迫られれば、不本意ながら、短期間で核武装できる」という選択肢を他国に示しているかどうか。が論点だったのです。びっくりしましたね。
また、テロリズムの授業では、オウム真理教のサリン事件は世界史的に見てもアルカイダやISILによるテロを先取りした事件として捉えられていて、そこについてもびっくりしました。
マグロについても日本人は全世界のマグロ(缶詰等の加工品を含む)の4分の1を消費する「マグロ大好き民族」だから、マグロの輸出入がEUで問題になっているという議論。
「日本と日本人の魅力は、おもてなしの優しさです!」なんて言おうものなら、「テロの国、核兵器の国、マグロ食いすぎの国!」と叩きつけられる。視点の違いや国際政治というものを垣間見れた瞬間でした。
また、「未来は、あなた達が決める」という教授の逃げ?の一言にも感動を覚えました。国連的に世界の人々が議論をする中で、例えば、トルコはEUかEUではないか?のような議論がありました。トルコ人の目の前で、その議論あり?(笑)というのが日本人の感覚かもしれませんが、政治的、宗教的、経済的、地理的、人種的にどうなの?という議論をオープンで行います。最後に誰かが結局どうなんですかと教授に質問をし、教授からは、「このような議論の積み重ねで、未来は、あなた達が決める」というニュアンスの話をしていて、なるほどと。この時代は、全国民外交官時代が来たのであると感じた瞬間でした。ヒトモノカネ情報知恵が世界を横断する時代に、一人一人の考え方が世界を変えていくのだと、自分が生きる意味を感じるのと同時に、国連で仕事をしたいと考えていた自分としては、自分が国連で働くよりも、一人でも多くの人に世界を感じてもらって、新しい日本の枠組み、アジアの枠組み、世界の枠組みを作るきっかけを作りたいと思いました。そして、自分一人でできる力の限界と自分なら世界に与え得ることができるインパクトについて感じた瞬間でもありました。
もう1つは融合です。これは、EU、フランス、パリの真骨頂の本質と感じても良いのではないかと考えています。シアンスポの授業も「オペラと経済」やEUも国ごとの結合。フランスも移民の集合体であり、またパリも海外の人の集積地である。アメリカという国をアメリカという一つの概念でまとまるのに対して、パリ、ヨーロッパは、個人主義的に「自分は自分である。」価値観も違うけど、共通の利益のために結合している。そんな印象を受けました。この多様性は、現在の日本には、ないモノなので、非常に刺激的でした。時代は、常に融合と分離だとすると、EUは一つの大きな時代の流れの本気の政治的経済的実験室なわけで、これを早いうちに概念と共に感じられたのは大きかったと思います。
上記以外にもたくさんありますが、これらの経験からおぼろげながら、自分が人生で果たしたい夢や構想が毎日溢れかえったこと。世界を素敵にすることができる、新しい日本と日本人としての概念を考えることができたのは人生の価値になりました。それがそのまま、今の事業に繋がっています。
(次回に続く)
「語学堂」代表 小倉進太郎
1988年渋谷区生まれ。慶應義塾大学在学中に本格的に語学に目覚め渡仏。 コミュニケーションが取れる優位性に気付く。 大学院卒業後、学生時代築いたノウハウを求められ大手コンサルティングファームへ就職。 その後起業し「取得速度」にフォーカスしたトレーニング型のレッスン法を確立。 いま主流となっている短期という言葉を教育業界に流行らせる。 現在は新たな可能性を求め、株式会社進鳳堂を設立。 英会話スクール「語学堂」の代表を務めながら日夜コミュニケーションの楽しさを伝えている。