ゼロから価値を作り上げることが不動産開発の魅力
上司にとやかく言われることなく、なんでも自由にできる。
そんな風に聞くと、さぞ働きやすい会社なんだろうなと感じるかもしれませんが「だからこそ自分で目的と目標をしっかり持って主体的に事業推進することのプレッシャーもある」と語るのは、入社8年目の開発事業部・Mさん。入社直後の会社の状況から、今日にいたるまでの苦労や仕事のやりがいまで、いろいろと聞いてみました。
開発事業部/M.Tさん
2016年11月入社。大学卒業後に大手不動産仲介会社や不動産開発ベンチャーを経て今村不動産に入社。店舗開発を中心に多岐に渡る開発案件を担当する。プライベートでは釣りが趣味で月に1回は海へ。2次のパパ
■目次
・人付き合いが苦手だからこそ営業職を極めたかった
・不動産開発会社をゼロから作っていける環境に魅力を感じて
・自由な社風だからこそ、自主性をもって活動しなければ成果を出せない
・独立も視野に入れながら目の前の仕事に全力で取り組む
人付き合いが苦手だったからこそ営業職を極めたかった。
-今村不動産に入社する前はどんなキャリアをたどってきたんですか?
もともと不動産業界で働きたい!と初めから思っていたわけではないんです。大学時代は土木科で建築設計などを学んでいたので、順当にいけば土木系の技術職に就職…となるんですが「将来は自分の力でお金を稼ぎたい」という漠然とした目標があったので、営業職に就きたいと考えていました。
あと、昔から人と話すのが苦手で「キツイと噂の営業職なら苦手な人付き合いも克服できるのでは?」という変な逆張りをして、証券会社の営業にエントリーして内定をもらっていました。ただ、いざ入社となった時に、体育会系で全国転勤もあって早朝出勤もある証券会社の営業にちょっとびびってしまって(苦笑)。結局、最終的に不動産仲介会社の営業からキャリアをスタートさせることになりました。
-逆張りで営業職とは、なかなかチャレンジャーですね。その後、どうして今村不動産に入社されたのですか?
人生って面白いなと思うんですが、弊社専務との縁ですね。実は専務(今村俊史)とは大学時代の同級生で、学科も研究室も一緒だったんです。学生時代はめちゃくちゃ仲が良いってわけではなく、卒業後も彼がどこで何をしているか知りませんでした。
ところが、社会人2年目の頃にたまたまランチに入った店で専務とばったり再会!近況報告をすると、なんと彼も不動産仲介会社に就職していることが判明したんです。まさか土木科の卒業生がそろって不動産営業をしているとは驚きましたね(笑)。その時は簡単に挨拶をして別れました。そこから時間が経って28歳の頃。不動産仲介営業の仕事にも慣れ、大手企業でもキャリアを積んで視野も広がってきたタイミングで「いつまでこの仕事を続けようか。もっと幅広い分野の不動産の仕事を経験してみたい」と考えるようになりました。企業規模は大きかったとはいえ、業務内容は幅広い不動産業界の一部である住宅の仲介業だけだったからです。
そのタイミングで、とある新興のマンションデベロッパーに誘われました。いまの会社に在籍していればある程度将来は安泰だとは思っていました。けれど、チャレンジするなら30歳前のこのタイミングだと思い立って転職を決意しました。そんな流れでマンションデベロッパーの用地仕入れの営業になったんですが、1年ほど経った頃に「そういえば今村は大手不動産仲介に転職していたはず」と思い出して、情報交換をしようと電話をしました。で、いざ再会すると「実は兄(社長)と一緒に会社(今村不動産)をつくったこと。従業員を募集しているので一緒に働かないか?」と誘われました。
不動産開発会社をゼロからつくっていける環境に魅力を感じて。
-それは運命というか…すごい縁ですね。なにが入社の決め手になったんでしょうか。
当時の今村不動産は会社として2期目を迎えたばかりで、まさにゼロから不動産デベロッパーを築き上げていく環境だったからです。先程のマンションデベロッパーは創業者が大手デベロッパー出身だったこともあり、創業間もない段階でもある程度仕事の流れや営業手法、会社としてのスタンスが決まっていました。それは素晴らしいことなんですが、安定感がある反面、新しい会社なのに自由がきかない部分もありました。
今村不動産は社長も専務も不動産開発を専門でやってきたわけではなく、さまざまな不動産業界のキャリアを積んできたうえで、新しく開発分野を会社として事業化しようと東奔西走していました。そんな姿を見て、この人たちと一緒にしがらみなく会社や事業をつくっていきたい!と思ったんです。とはいえ、いまだから言えますが、専務と知り合いじゃなかったら転職していなかったかもしれません。先行きの見えない会社だったし(笑)。けれど、大学卒業後から常に苦手なことや新しいことにチャレンジしていこうと積み重ねてきた経験が、この時の決断につながっているのかもと、いま振り返ると思います。
-チャレンジャーですよね。そこから現在までで、大変だった出来事や印象的な仕事はありますか。
社長・専務・私の3人で、まさにすべてが手探りの時代。あまり言いたくないんですけど、入社後2~3年は精神的にもきつかったですね。物件の仕入れができないから、当然売上も上がらない、まさに大赤字社員でした。ずっと営業畑でキャリアを積んできて「数字が残せない奴は人間じゃない」くらいの勢いで上司に叱咤され育ってきた自分にとっては、これまでの営業としての経験がすべて否定されたようにも感じて相当辛かった思いがあります。会社としての実績もなければ、肩書きもない私が営業に行っても、どの仲介も良い情報を教えてくれません。だからこそ、いかに相手に気に入られるか、納得感を持って話をしてもらえるか、不義理が多い業界だからこそ筋道を通してお客様と真摯に向き合うことだけはずっと徹底していました。その後少しずつ会社として実績を重ね、規模が大きくなっていくにつれて営業は随分しやすくなりましたね。
印象的だったのは、入社して4年くらいたった頃に手掛けた葬儀場の自社開発プロジェクト。私自身はじめて自社で建築まで請け負う案件でした。仲介会社、店舗運営の事業主、解体業者、建築会社、士業関係などさまざまな人を巻き込んで協力しながら不動産を介して事業をつくりあげていく難しさや楽しさ、醍醐味を実感しました。その後に携わったドラッグストアの開発では、オープン時に地域住民の方々が行列をつくっている様子を見て、あらためて不動産を通して地域に貢献できる不動産開発業の仕事の魅力を感じましたね。
不動産デベロッパーの面白いところは、物件の条件によっては僕らのような規模の会社でも大手企業とも対等に勝負できるところです。「その土地に対してどんな付加価値をつけて、より高く買い付けできるか」。市場調査を行い、多角的な視点で事業化を考えて提案できることは、今村不動産ならではの総合不動産デベロッパーとしての強みだと思っています。
何もないような土地に店舗を誘致して建築し、商品として利益をつけて販売できる。そして、その不動産が地域社会の役に立っていく。ゼロから価値をつくっていける仕事にやりがいと誇りを感じます。ただ、突き詰めて考えると不動産開発は一人ではなにもできません。だからこそ、協力いただける会社とのネットワークを広げ、信頼関係を築いていくことをこれからも愚直に行っていきたいと思います。
自由な社風だからこそ、自主性を持って活動しなければ成果を出せない。
-会社はどんな雰囲気?村吉さんの仕事のルーティンはありますか?
私が入社してからの8年間で売上規模も社員数も増えて、どんどん成長していると実感します。組織が常に変化を続けているので、私自身もそれに合わせてアップデートしていきたいですね。昔から変わらないのは、自由な企業風土でしょうか。
私は営業職ですが、基本的に会社に決められたスケジュールやルールはほとんどありません。個人の売上目標数値はもちろんありますが、その達成に向けたアプローチや日々の営業活動、事業推進に関しては営業に一任されています。じつを言うと、私はこまかなスケジュールやタスク管理ってすごく苦手なんです。少し先の予定を入れるのも嫌いで「どこに営業に行って、事業推進(建築確認や段取り調整など)は何をしようか?」と、いつも前日に翌日の予定を考えます。そんな行き当たりばったりでよく営業できているなとは思いますが、タスクの抜け漏れがないように常々に考えています。頭が休まらなくて、めちゃくちゃ疲れますけど(苦笑)。
そんな働き方は、今村不動産だから成立しているのかもしれませんね。他の営業職にも、多分それぞれ独自の仕事のスタイルがあると思います。ただ、自由は責任の裏返しだとも思っていて、成果につながらなければ会社の業績にも自分の給与にも直結します。会社に仕事を与えてもらうのではなく、自ら考えて動いて、仕事をつくりだしていく必要がある。新しいチャレンジを楽しめる人に向いている職場かもしれません。
独立も視野に入れながら目の前の仕事に全力で取り組む。
私はもともと独立志向があって、まわりを見渡しても40歳手前で独立をしている不動産業の方も増えています。その姿に刺激を受けてはいますが、まだまだ会社の成長を見守っていきたいですし、大きな開発案件にもチャレンジしたい。自分の将来を考えて葛藤することもありますが、いずれにせよこれからも目の前の仕事に全力で取り組んでいきたいと思います。