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【#3】なぜ重度障がい者の私が起業したのか?(はじめてのおでかけ編)


うるせえよ、黙ってろ。

 一刻も早く、母から介護を受ける生活、朝起きる意味も見出せない。深夜までテレビを見ていて、ずっと母親と喧嘩の日々。。。この先の見えない生活。この現状から抜け出したい。

 喧嘩をして、意地を張って「車椅子からベッドへ移して」と言えず、早朝5時までずっと車椅子にいて、テレビが砂嵐になるまでずっと車椅子にいる日も何日もあった。

 ああ、、、今思い出しても死ぬほど辛かった(笑)

 そう思いながらも、私にはどうしようも、何もできない。携帯も持ってない。自分のお財布もない。持ったところで電話をかける友達も人もいない。お金を使う場所もない。そんなことが巡る日々から早く抜け出したい。延々に続くループ。テレビに逃げる、、、

 外出の時は必ず母親がついてくるので、行っても病院の通院のみ。楽しみといえば、通院の病院先の売店でお菓子を買ったり、食堂で食事したり、帰りにファミリーレストランで外食ができるくらいのものだった。

 本当に切ないことに小学生の時に戻ったようだ。小学正の頃は、月1回のファミリーレストランの外食が楽しみで楽しみで仕方なく、夢を膨らましていた記憶がある。

 だが、私はこの時20歳。楽しみが小学生の頃と同じになった。すごろくの「ふりだしに戻る」と同じように、まさかリアルに人生ふりだしに戻った。いや、それ以上だ。のことが起こっている。だって私は、立派な成人だ。20歳だ。こんなことがあるのだろうか?この当時は、悲しみでも、絶望ではなく、苛立ちが紛れもなく自分の中に充満し、かき乱れるのに、身体はまったく動かず、反応もない、、、

 クソ悔しくて、泣いても、わめいても過去は帰ってこなかった。まるで状況も良くならない。「命があるだけでも、、、」とよく言われるけど。「うるせえよ、黙ってろ」まさにそんな感じ(笑)私は、天に唾を吐きたくなるほど、感情が逆立ち、苛立っていた、、、


障がい者のち、、、はじめての中華。

 母親がついてくるから、外出しない選択をする。っていうのも、なかなかしゃくなもので、これでは一向に状況も良くならない。我慢の限界だ。うーむ、仕方ない。百歩譲って妥協して、病院以外も出かけてみることにしよう。

 と思い立って、先日、地元の歳のちょっと上の難病の車椅子ユーザーの方のお誘いを受けて、また、当時お世話になってる訪問看護師さんたちも、誘っていただいたので、母と同行は嫌でしたが、中華街とディズニーランドに行く話が持ち上がった。

 ご厚意で誘っていただだいたことだし、癖の強い母とは、すぐ喧嘩にはなるけど、「私が我慢すればい済むことだ」と思い、行くことした。それを我慢しても、普通の遊びや楽しいことを体験したかった。母も含め、何か変わると思って期待していたからだ。色々、うるさい母や私との関係を承知の上でお誘いいただいた看護師さんたちのことを考えると、本当にありがたい気持ちでいっぱいです。

 みんなでワイワイ行く中華街。私自身もはじめての体験だ。一般的に大人は、休日、こういう楽しみ方するんだろうなと、超クールな思考は持ちつつも、現実的でひねくれ者な私は、美味しいのはもちろん美味しいけれど、心の底からやはりどうしても楽しめなかった。隣には母がいて、家族と一緒に仲良くする友人がいる空間がたまらなく嫌だった(笑)正直「ガキか!」と。

なぜ、家族がいると素直になれないのかは自分でもわからない。ただの永遠の反抗期なのか、ただ照れ臭いのかな、、、だが、とてもハッピーとは思えなかった。


夢に国で体験した、特別。

 何年ぶりのかのディズニーランド。おそらく、高校生のトリプルデート以来だ(笑)人工的なテーマパークや絶叫マシーン、お化け屋敷などのホラー系は正直、大の苦手だ。

 着ぐるみにも幼少期のトラウマがあり、着ぐるみを目の前にすると、身体がすくむのだ。トラウマ多い系な私(笑)。子供の頃のヒーローショーで悪役に連れ去られそうになり、目の見えないかぶり物は薄気味悪い。忘れられない夢の一つにも、巨大なゾウのぬいぐるみに襲われた記憶があり、怖くて仕方ない。

 着ぐるみが苦手な私でも、ディズニーランドの建築やディティールにこだわるところ、雰囲気は大好きだ。乗り物は苦手だが、夢とロマンスが溢れるショーやミュージカルは素晴らしく、美しい。

 そして、何も知らない夢に国の着ぐるみたちは、車いすの私を見つけるな否や駆けつける。

 車いすの私に向かって、名前も知らないキャラクターたちは、ジェスチャーで私に訴えかけてくる。私、両手両足動かないし、口頭で返事するしかない。チーン、、、

 コミュニケーション全然できない、、、トラウマで身体すくむし、正直、超負担でめんどくさいし、気を使うwどーすりゃいいんだwwwどう対応すればよいかわからず、思わず、「大丈夫です。」っ敬語であしらって、その場を立ち去った。ホントごめんなさい、名も知らない着ぐるみたち。気持ちだけ受け取ります。

 障がい者後、いい雰囲気だし、やっぱり出かけるのは気分がいいし、ディズニーランドは楽しかったけれど、素直に楽しめない自分がやっぱりどうしてもいた。また、障がい者である私に、他者や世間はどう対応してくるのか、思い知る機会となった。配慮や特別扱いをしてくれるということだ。優しさは嬉しいし、ですが障がい者は特別であった。

 私は誘って連れてった方々には、本当に感謝です。こんなひね者な私でごめんなさい。


みんなと違う。で生きてゆく。

 初めて家族以外を交えての外出は、家族から脱出したいという思いを強くした、すごくいい機会となった。ですが、それがきないことは、私は重々わかっていた。

 それは、ハードルがものすごい多くあるからだ。私が治って完全元通りになることを望んでいる母を振り切ることはできない。事故により、母の人生まで狂わせてしまった。悲しみと絶望を感じさせてしまい、祖父母に頭を下げ、苦しい思いをしながら、私の面倒を見ている母を突き放すことはできなかった。

 突き放すことが仮に出来たとしても、私が助けを求めないという保証はない。今の私には母の助けが必要だった。私が望んでいるケア、母を納得させるケアをできる支援者やヘルパーが存在しない。これらを同時に実現することは不可能だ。私は、そう思い込んでいた。

 そして、障がい者という看板を背負って、外からどういう対応されるのかというのを思い知った。ディズニーランドはとてもポジティブな優しい配慮がかなり行き届いている場所かもしれないが、いわゆる人と違うという特別扱いをされるという体験をした。

 これは自分の中でも思いのほか大きい出来事で、「みんなとは違う自分で生きること」を実感したかもしれない。

 自分がやってもらう。配慮してもらう。特別扱いをされる。ということは、自分にとって違和感を覚えることになる。そんなことにまだ受け入れられない自分が大きくいた気がする。「 ああ、自分はこうやって社会や人様に気を遣ってもらって、迷惑かけて生きていくんだ。」それが確信に変わった出来事である。

【#4】へ続く...

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