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今日の防犯の基本「電気のカギ」はどのようにして日本へ?

命を守るものづくりを追求し続けて

1962年 現社長山之口良子の父宮崎長生が創業。長生は中学生の頃、広島で原爆にあい、弟を亡くした経験から、命を守るものづくりを強く志望していた。学生時代に着想を得た、車のブレーキがロックすること無く最適に止まる技術を世に出したいと考え、JEIを創業。すぐにはこの技術で食べては行けなかったので、当時黎明期だった電気錠セキュリティ機器市場に参入。当時輸入品の電気錠はあったが、雨が多く高湿度の日本では故障が多かった。そこで密封機構、防滴防塵機構の電気錠フリーロックを他社に先駆けて開発。当時、貿易商を営んでいた、長生の父、忠一(現社長の祖父)が、自由自在に開け閉めできる電気のカギという意味で、フリーロックという名前をつけた。以来、日本の電気錠のパイオニアとして歩む。フリーロックは日本の電気錠の代名詞となっていった。今では、電気錠の製造だけでなく、電気錠を制御する電気錠制御盤、入り口で人を判別するテンキーやカードなどの認証機器、1ゲートから数千ゲートまでの出入り口を制御するセキュリティシステムを手がけるセキュリティ機器メーカーに成長している。

全国の主要金融機関、大学、研究所、警察、消防、あらゆるオフィスビル、そして病院や老人ホームにも多数納入実績がある。創業当初は大邸宅の門扉への利便性を訴えたが、やがて精神病院や市民会館のような人が集まる場所の非常出口一斉解錠システムに電気錠が非常に役に立つ事が明らかになっていった。当時、精神病院は常時、厳重に出入り口にカギがかかっており、火事になると逃げられなかった。そこに電気錠フリーロックをつけると、自動火災報知器と連動して全てのフリーロックが解錠し、避難路を確保することができるようになった。火災で亡くなる人が激減した。今では火災で非常出口から逃げられなかったという事故は全く聞くことが無くなった。

平成に入る頃から、老人ホームの納入先が増加。非常出口一斉解錠システムだけでなく、入居者の安全を守るシステムを電気錠システムに取り込んで納入していった。例えば、認知症の方が出入り口に近づくと、カギが閉まる、離れると開くシステム、一定時間以上トイレで動かなくなった方を検知し報知するシステム、ベランダ窓を人が出られない幅に少しだけ開放し、施錠と換気を両立する引き戸用電気錠ケアロックなど、きめ細かな老人ホームのニーズにお応えするシステムを開発、何千という納入を重ねてきた。老人ホームの事故防止、入居者の安心安全を守るシステムを日々作り続けている。

58年間の社歴の中で何度も危機に見舞われた。12年前、リーマンショック時には売上が4割減少、大きな危機だった。しかし、従業員のいつも通りの誠実なお客様への仕事ぶり、厳しい資金繰りの中、元気に、明るく、製品開発やものづくりに励んでくれた結果、危機を脱出。以来、12年、一度も利益は下がること無く、右肩上がりで上昇を続けている。

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