VANANAZ SYSTEMS INC.で人事・採用広報を担当しているもえやんです!採用広報を始めてから「VANANAZってどんな会社?」とよく聞かれますが、私の答えはいつも「とにかく人がユニーク!」。どんな人が居るかをみなさんに知ってもらうため、今日はVANANAZのファウンダーである中尾にインタビューをしてきました。
プロフィール
Founder 中尾真一郎
1990年生まれ。観光で訪れたフィリピンで日本の10倍失敗できることに気付いて、会社員をしながらスマホアプリ開発会社を設立。自分の給与と空いた時間のすべてを全力投資して、1年半でなんとか軌道にのせて今年副業社長を卒業したばかり。新しい価値を生み出すアイデアをサービスとして世の中に出すため、チームみんなでバットを振り続ける。好きな言葉は「人生に3振アウト」はない。元野球部。
古臭さとか、常識とか、そういうものが嫌いで、”やりたい”と思っていたことを諦めた。
ー中尾さんの経歴を教えてください。
鹿児島高専出身で、その後大学に入学しました。入学してからは、”群れるべくして群れる”みたいなのが気持ち悪くて、友人が全然いませんでした(笑)。そんな大学時代を過ごしていて、大学編入後は研究職に就きたいと思っていたのですが、今度は大学の”古臭さ”に対して違和感を感じてしまって。「この違和感を抱えてまで研究職になりたいのか?」と自問しまくった結果、周りの目を気にしているだけなんじゃないかって気づいて。結局、入学が決まっていた大学院を3月くらいにやめることに決めました。
ーそれはまたファンキーですね(笑)。その後の進路は?
偶然、地元で出会ったスタートアップの社長に声をかけてもらって、エンジニアとして入社しました。その会社は人数が少なくて、社長ともすごく距離が近くて、経営という側面で全体が見えるというところが気に入っていました。そこで経営のこととか意識し始めたのかも。そのあと、東京に行きたくて、2社目に移りました。
セブ島で起業したのは、モテたから。(笑)
ー鹿児島から東京!そこからどうしてセブ島へ?
2社目は完全フルリモートで仕事ができる会社で、エンジニアの延長として、自分でサービスを作りたくて自ら開発に着手していました。でも、サービスを作る上で自分で作った仕様を自分で削れなかったんです。プロダクトオーナーも自分、開発者も自分、テスターも自分。仕様がどんどん膨らんでいくのがわかっている一方で、自分ではどうにも削れない、良いサービスに思えない。
それから、僕は飽き性で、粘り強くサービスリリースまでがんばるっていうのができなくて(笑)。サービス作りたいのに矛盾してますよね。一人じゃ無理だなって思ったタイミングで、会社にいながらして旅行でセブ島に行くことになったんです。
ー他にも国がある中で、セブ島で起業された理由は?
一番の理由はモテたから(笑)。そもそも旅行に行くことになったきっかけは、前職のつながりで良くしてもらっていた知り合いがセブ島で事業をしていて、そこを訪問しようってなったからなんです。これもご縁ですよね。それでセブ島に来たら、人生で初めてモテたんですよ。だから起業を決めたっていう。単純な理由だけど(笑)。加えて、日本円のレバレッジが効くノーリスクな国だなと思って、失敗しても大丈夫って思えたというのも大きかったです。
稼ぐことは「正義」。
ーなるほど、そこから「副業社長」としてセブ島で起業するわけですね。
最初は5人くらい雇ってサービスリリースまで漕ぎ着けました。でもそのサービス、全然売れなかったんですよ。僕は自信過剰なところがあって、「有名になっちゃったらどうしようかな」くらいに思ってたんですよね。でも現実は全然違った。お客さんもつかなくて、何もうまく行かなくて、余裕がなくなってしまって。
事業がうまくいかないと、本当に心に余裕がなくなってしまうもので、唯一の日本人メンバーであった中薗(現CEO)が仕事しているかばっかりチェックしてました。同じ会社なのに一緒に住んでたもんだから、常に僕が彼を見張れる状態にあったんですね。彼が土日に仕事をしていないと「ふざけんなよ」って思ってた。中薗は、僕が口説いて来てくれたメンバーなのに、今考えるとひどい話ですよね。サービスを3つくらいリリースしてもうまく行かなくて、結果が出ない、実績もない、良い未来を見せられないと思って、そのときは特に中薗には合わせる顔がないなって辛く思ってました。今でも思い出すだけで辛いな。
初歩的な話ですけど、稼がないと会社が存続できないんだなってその時に初めて実感しました。今は、稼ぐことは、メンバーを守るという意味でも「正義だ」って思ってます。
ーそれは中尾さんも、中薗さんも辛かったでしょうね…。そこからどうやって事業を立ち直したんですか?
もう給与も払えないくらいにどん底になってしまって、そこからはメインの事業を自社サービスの作成ではなく、受託開発に切り替えました。そのときに自社サービスを作った経験がとても活きました。サービス自体はうまく行かなかったけど、サービスを作るうえでメンバーがレベルアップしたからこそ受託開発で売上が立つようになった。このときまでは、サービスを作ることがゴールだったのですが、「どういいものをつくるか」「どう稼ぐか」ということを強く考えるようになりました。
フィリピン人経営者に弟子入りしに行ったのが転機だった。
ーそこから軌道に乗り始めたと。その他に転機になるようなことはありました?
辛かったとき、もちろんメンバーには相談できないから、他の経営者に頼りたいと思うようになったんですよね。初めはセブ島で経営をやっているような方々に話を聞いてたんですが、ふと、なぜセブ島なのにローカルに経営している人に話しを聞かないんだろうって思って。ある日、当社に視察に来てくれた団体に混ぜてもらって、視察ツアーに同行させてもらったことがあって、ビビっときたフィリピンの会社に、自分の立場そっちのけで間借りさせてもらうことになりました。
ー自社に視察に来た団体に混ざるなんて、あまり考えられないですね(笑)。
そうそう、本当に。でも、そこが大きな転機だったなぁ。一緒にサービスを作らせてもらったり、ビジネス環境の違いや雇用上の文化的な違いを学ばせてもらったり。日本人の中にとどまるだけではないメリットがあったなと思います。弟子入りさせてもらうまでは、「日本人から学ぶのがあたりまえ」という感覚が無意識にありました。奢っていたのかもしれません。ビジネスを知るのに、国や文化は関係ないですね。
ITの力を使って、「働き方を変える提案」を自らしていきたい。
ー今後はどんな事業展開を考えていますか?
事業の多角化、これに尽きます。ITは色んなこととの事業シナジーが本当に高くて、今も当社ではいろんな事業をやっています。
例えば、現在セブ島で自社で開発したアプリを利用した日本語学校も運営しているのですが、この延長線上には、フィリピン人が日本の介護施設で活躍する姿を期待しています。セブ島は年中温暖で、その気候の中で育ったフィリピン人はみんな陽気・穏やかで、そしてエンターテイナー。彼らが介護施設で働いてくれたら、老人の方々が明るくなっていいだろうなと思っています。
一方で今、フィリピン人たちは「日本語ができる」とか「遅くまで働く」みたいな、日本人と同様の働き方を求められていて、日本で働くハードルが高い。そんなにハードルを高くしなくても、彼らの陽気さがあれば絶対にうまくやっていけるし、日本がハッピーになると思うんですよね。そういう考えを実行することが今誰もできていないから、自分でやろうって思っていて。働く上で障壁になるであろう日本語の学習も、ITの力で解決していけばいい。日本語教室では「Origana」というアプリを利用して学習してもらっています。そうやって、働き方を変える提案をしていけたらいいなと思っています。
Photos by 林ツイタチ
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