1
/
5

【社員インタビュー】コンサルのやりがいは「人を動かす力」

こんにちは。GHCの広報担当末澤です。

コンサルティング部門では、医療職として現場経験のある方を積極的に採用しています。今回の社員インタビューはそのうちの一人、2023年4月に入社した看護師であり保健師でもある、千賀さんです。

宮城県南三陸町出身の千賀さんは、東日本大震災では、ご自身はもとより、友人・知人も被災しました。そうした経験から、看護師という職業を選び、大学病院の循環器内科で活躍。現在は、医療コンサルタントとして新たなキャリアを積んでいます。看護師を目指したきっかけから、医療コンサルへと転身した理由などをお聞きしました。

「医療職でコンサルに興味がある方」や「医療コンサル」という職業を知りたい方は、ぜひ、最後までお読みください!

命を懸けて患者を救った看護師の姿に動かされて

_前職について教えてください。

千賀 大学病院本院の循環器内科で、約7年間、看護師として働いていました。

内科といっても、循環器内科なので、カテーテルの検査や治療など外科のような仕事から、心不全の患者さんのケア、慢性期疾患、終末期の看取りまで、幅広く、様々な状態の患者さんを看護する病棟で働いていました。

_なぜ「看護師」という職業を選んだのでしょうか。

千賀 幼い頃は、これといって、夢がない人間でした。ですが、中学生の頃、祖母ががんを再発し、入退院を繰り返すようになり、私も病院にお見舞いに行くようになりました。終末期になると、地元の病院に転院してきたため、毎日、学校帰りに、お見舞いに行っていました。

そこで、祖母をケアしていた看護師のAさんと知り合いました。これまで多くの看護師を見てきましたが、Aさんのケアは本当に素晴らしく、例えば、声かけひとつで、祖母の気持ちが明るく変化していくことがわかったのです。このとき、「看護師」という仕事に興味を抱き始めました。

そのあと、宮城県石巻市の高校に進学した私は、東日本大震災によって被災しました。

_石巻市は、東日本大震災の中心地ですよね。

千賀 中心地ですが、私が通っていた高校は、山の上にあったため、津波に飲み込まれることはありませんでしたが、山の下は津波が起こっていたため、陸の孤島のようでした。1週間後、波が引いて、道路の状況もわからないなかで叔父が仙台からバイクで迎えにきてくれて、瓦礫だらけの町のなかをバイクでブーンと帰りました。

かつて祖母が入院していた4階建ての病院は4階まで波をかぶってしまい、私が素敵だと思っていたAさんは、最後まで患者さんを屋上に逃がすために力を尽くしたそうです生き延びることを第一に考えて、逃げることもできたと思います。でも、Aさんは、看護師として「患者を助けなければならない」という覚悟をもって、その時、行動したのです。そういう瞬間って、人間性が出ますよね。結局、Aさんは亡くなってしまったのですが。

_Aさんがお亡くなりになったことはどこで知ったのですか。

千賀 Aさんは私の弟の友達のお母さんだったので、人伝えで母が聞き、教えてもらいました。そうした経験から、「看護師」という職業に命を懸けられる人もいたから、私も「やりがい」を感じることができるのではないかと考えて、看護師を選びました。本当にふわっとした動機なのですけど。

_いいえ、全くふわっとしていません。そうした経験を乗り越えてきた、人の痛みがわかる千賀さんは、当事者に寄り添った看護をされていたのでしょうね。

千賀 ありがとうございます。


医療現場でのモヤモヤを解決してくれたGHC

_看護師から、医療コンサルになった理由について教えてください。

千賀 4年制大学を卒業して、大学病院本院で、約7年間働いたのですが、私が働き始めた頃と比べて、高齢社会が進行し、患者も高齢の方が多くなってきたため、看護ではなく、介護のニーズが高くなってきていることを感じました。働いていた大学病院は高度急性期の機能を持たなければならないのですが、誤嚥性肺炎など、本来、急性期病院以外でも診ることができる疾患をお持ちの方もいました。

こうした病院の現状を変えていかないと、急性期で治療しなければならない患者を治療できなくなってしまうのではないかと感じるようになり、働いていてもモヤモヤした気持ちが続くようになりました。そこで、解決策を探すために、厚生労働省の資料などを調べていくうちに、「機能分化」という言葉を知り、自分が目指している病院の在り方はまさにこれだと確信しました。

_それで医療コンサルを目指したのですか。

千賀 そうです。「急性期」「機能分化」などと、インターネットで検索していると、GHCのホームページにたどり着きました。そこで、GHCが掲げていた「急性期らしさ」というビジョンが、自分の想いとマッチして、「ここで働きたい」と思ったのです。

「医療コンサルタント」という職業があることも、ホームページを見て、知りました。

_ほかの医療コンサルティングファームと比較しなかったのですか。

千賀 GHCを知った後は全く探しませんでした。一度、決めたら、突き進んでいくタイプなので。ホームページを隅から隅まで読んで、採用ページから、応募しました。

_ホームページを見て、どんな会社だと思いましたか。

千賀 代表である渡辺さんが、自分と同じ看護師出身だった点にとても興味がわきました。看護師から経営者に転身され、先陣を切って「急性期らしさ」を追求されておられ「すごい!」と思ったのです。経営者としてどんなことをやり遂げたいのか、話を聞いてみたいと思いました。

半泣きで克服した医療分析

_パソコンを使って分析することに苦労はありませんでしたか。

千賀 入社前は、パソコンを使ってこんなにたくさん経営分析するとは思いませんでした。そのため、内定をいただき、「(パソコン教室の)アビバに通ってもらいます」と言われたときには「アビバ?」って思いました。

パソコンなんて、電子カルテに記録する程度しか活用していなかったため、分析業務は本当にゼロからのスタートでした。

_アビバではどのような勉強をしたのですか。

千賀  アビバには、1か月半ほど通い、入社条件の1つであるエクセルエキスパートを取得するための講座やエクセルのピポッド講座などを受講しました。

_経営分析には分析ツールのタブローも活用すると思いますが、タブローは学ばなかったのですか。

千賀 タブローは入社後、教えていただきました。

_入社後はスムーズに分析できましたか。

千賀 エクセルエキスパートを取得していても分析に慣れるまでは大変、苦労しました。わからないことも多かったため、最初は半泣きになりながら、分析していました。

入社後、1カ月ほど、研修を受け、4月の終わりにアナリストになるための試験を受けました。

_アナリスト試験には受からない人もいるのですか。

千賀 トレーニングをきちんと受けていれば、合格できる人が多いようです。私もはじめは、わからないことばかりだったのですが、根性で、どうにか合格できました。

_根性だけでは合格できないと思いますから、アナリストとしてが適性があったのだと思いますよ。アナリスト試験には、DPCデータを活用するのですか。

千賀 DPCデータを活用します。さまざまな分析を行い、スピードと正確さを養っていきます。

入社すると、入社3年目の先輩(以下チューター)から日替わりで分析のレクチャーを受け、不明点があれば、教えていただきます私が、アナリスト試験に合格できたのも、そうしたチューターの指導があったからです。

当時のことを振り返ると「こんな基本的なことをなんで聞くのだろう」とチューターは考えていたかもしれません。分析用語に関しては本当にチンプンカンプンで「日本語なの?」と思ったこともあったほどです。

あとは、同期も私と同じように大変ななかで、サポートしてくれたため、感謝しています。アナリスト試験対策の際には、分析の手順書などを共有してくれて、本当に助かりました。今の自分があるのは、チューターと同期のおかげだと感じています。

_千賀さんは、不明点があれば、人に質問することができる素直な性格なので、周りも助けてあげたくなるのだと思います。先輩コンサルのなかには、看護師もいるかと思いますが、分析業務についてはどのように考えているのでしょうか

千賀 看護師の先輩方に「全然、パソコンが使えないのです」と話したら、「私もそうだったよ」って共感していただき、今は分析ができる人ばかりなので、安心しました。

_そうした時期を乗り越えてコンサルとして成長していくのですね。

千賀 そうだと思います。入社して、まず、乗り越えなければならない試練が分析技術の習得と向上だと思います。



コンサルのやりがいは「人を動かす力」

_続いて、入社前後でギャップはありましたか。

千賀 繰り返しになりますがこんなに分析するとは思わなかったです。入社試験のときにも「たくさん分析するよ」と言われたのですけど、「たくさん」が想像以上でした。

_そんな「分析」を乗り越えて、やりがいや面白さなどは発見できましたか。

千賀 経営データを分析することによってコストや業務が見える化できる点が面白いと感じます。看護師のときには、何かを数値化することはほとんどありませんでした。分析するようになって、数値でみると「はっ」と今まで見えていなかったことを発見できることがあります。

_具体的なエピソードなどあれば教えてください。

千賀 例えば、看護師のとき、開封後、使わなかった医療材料を躊躇いもなく捨てていたのですが、分析をはじめて、それが1つ、7,000円もしていたことに気づき、どれだけの金額の医療材料を捨てていたのだろうと反省しました。看護師時代は金額のことなんて考えたことなかったですから。

_現場のコスト意識が大切とコンサルがよく話していますが、本当に重要なのですね。

千賀 特に看護師は数も多いですから、その意識改革は必要不可欠です。ほかには、自分がやっていた看護が実は、何かの加算につながっていることがわかったときなど、現場での経験とリンクしてくるので面白いと感じました。

_なるほど。そういった点がやりがいにもつながっていくのでしょうか。

千賀 はい。先輩との病院訪問では、訪問回数を重ねるたびに、カイゼンが進んでいたり、算定フローなどが整理されていたり、そうした「人を動かす力」を実感できる点が医療コンサルという職業のやりがいの一つだと思います。


教え方がうまい先輩が多く聞きやすい環境

_コンサルの先輩方はいろいろと教えてくれますか。

千賀 はい、教えていただくたびに、膨大な知識を頭のなかでどのように整理して、こんなにわかりやすく教えてくれるのだろうと驚いています。

また、チューターは、定期的に連絡をくださり、「最近、話していないけどわからないことない?」などと、とても気にかけてくれます

_忙しいのに、優しいのですね。クライアント病院の分析などでわからない点があれば、チューターに聞くのですか。

千賀 そうです。もちろん直接分析を指示されるプロジェクトリーダーに確認する場合もありますけど、はじめにチューターに確認することが多いです。

_社員はどのような性格の人が多いですか。

千賀 みなさん、基本的に「教える姿勢」がある方が多いような気がします。看護師時代は、教えることを面倒くさいと感じさせる態度の先輩が数多く、聞きづらい雰囲気でした。

GHCは、そうした雰囲気はなく、わからないことも聞きやすい環境です。日々、お忙しいとは思うのですが、いつでも丁寧に教えてくださいます。

_そのうち、千賀さんもチューターになって、「先輩」と呼ばれる立場になるのですね。

千賀 そうですね。教えられるかなあ(笑)。

クライアント病院と共に同じ目的に向かって並走する会社

_では、最後にGHCを一言でいうとどんな会社ですか。

千賀 「自由」。GHCに入社して実感したことが、「自由」は、一人ひとりが自立しているから、成り立つものだということ。当然ですが、「自由」には「責任」が伴ってくることを強く感じています。

タスクも、提出期日だけ決められ、日々のスケジューリングは自由に組むことができます。社員は、そうした環境で、やるべきことは、必ずやっています。

_社員にとっては「責任が伴う自由な環境」、まさしくその通りだと思います。では、クライアント病院にとってはどうでしょうか。

千賀 クライアント病院にとっては、「同じ目的に向かって、クライアント病院とともに並走している会社」です!

_本日はありがとうございました!



千賀さんの1日の業務スケジュール

分析業務の場合
  • 9:00/出社し、業務開始(オンラインによるチームミーティング)
  • 9:30/病院の経営分析
  • 12:00/昼休憩(週1回ほど、先輩コンサルとランチに行ったりする)
  • 13:00/各種ミーティング(担当プロジェクトチームなど)
  • 14:00~18:00 /病院の経営分析、不明点があれば質問・確認する
  • 19:00/帰宅(自宅で残業する日もある)
クライアント病院へ訪問する場合 (遠方の場合)
  • 9:00/飛行機で現地へ
  • 13:00/クライアント病院へ移動(先輩コンサルとは現地集合)
  • 13:00~16:00/医療機関でのコンサルティング(分析資料をもとに先輩コンサルが経営カイゼン点を説明)
  • 19:50/飛行機で東京へ
  • 22:00/羽田空港到着(病院訪問報告を作成し、社内外へ配信)


株式会社グローバルヘルスコンサルティング・ジャパンでは一緒に働く仲間を募集しています
同じタグの記事
今週のランキング
株式会社グローバルヘルスコンサルティング・ジャパンからお誘い
この話題に共感したら、メンバーと話してみませんか?