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働くということ


僕は、今の日本の「若い人たち」が一般にどのような人が多いのか良く知らない。ただ、僕がこれまで出会ってきた日本の「若い人たち」(すべての「若い人たち」ではない)の印象は、自分の首を絞める生き方を選択しているけれども周りの大人からずっと「それでいい」といわれてきた人たちなのではないか、というものだ。失礼を承知でいえば、僕は彼らを「気の毒だな」と思いながら見てきた。もっと可能性を広げる方法があるのに、かたくなに拒否してしまう。しなやかさが足りないと思う。それも若さの特性なのかもしれない。


僕もたくさん失敗をしてきた。失敗のほうが多いから感じるのだけれど、幸せな人生は幸せな人にしか訪れないし、幸せであるためには幸せであるためのスキルが必要だ。人生の目標は、もちろん幸せになることだと思う。そして、幸せになることができる人はその準備ができている人だと思う。若い時の苦労や困難は、狭い視野や世界を押し広げ、自由に生きるための準備をもたらしてくれる。これを厭うのであれば、それなりの結果しか訪れない。人生には原因と結果の法則があって、これはきっとこれからも変わらない。タイパなんていっていたら、人生を味わうことはきっとできないと思う。僕の会社にも、タイパを重視する人は来ないでいいと思っている。そういう人はいい仕事ができないと思う。


仕事は悪だろうか?働くということは大企業を目指すことだろうか?「安定した仕事」なんて世の中にあるのだろうか?「普通の生活」というものが、今の日本、世界にまだ存在しているのだろうか?自分で会社をしていると仕事とは何か、働くとは何かと考えさせられることがある。今回の文章では、僕のそういった考え方を共有しようと思う。これから書くことは、多様性以前の価値観の部分であり、この考え方が理解できる人がうちで仕事をしたらいいと思っている。(理解できなくてもそういう環境だと割り切って仕事ができるならうちで仕事をしたらいい)


働くということは、この複雑な世界に自分のスペースを見つけ出すことだと思う。トッツィーという映画を撮ったシドニー・ポラックがそう言っていた。シドニー・ボラックは建築家のゲイリー・クーパーからそうアドバイスされたといっていた。一流の仕事をする人たちの言葉は、人生のガイドとなるものがしばしばある。


僕は、働くということは、シドニー・ボラックの言葉の通りだと思っている。僕たち人間は社会を営み、誰かの力を借りて生きている。働くということは、80億人以上いるこの地球上で、自分の居場所を見つけ、そこに価値を感じる人から報酬をもらって生きていくということだと思う。僕たちは、この世界で、あなたは誰?あなたは何ができるの?あなたはどんな人?と問われていると思う。それに答えを提供するのが、社会で生きていくということだと思う。


そう考えたら、仕事は悪ではなく、この社会で生かされるために払うべき対価ではないか、と僕は思う。大企業で働くかどうかは、大企業ですべき仕事があるかどうかで決めればよいと思う。大企業ではできない仕事もたくさんある。そんな仕事をしたいのであれば、うちのような独立した会社で仕事をしたらよいのではないか。「安定した仕事」というのはだれもわからない。以前は製鉄業が花形だった。そのあとは銀行が花形になった。そして、自動車会社が花形となり、今はIT企業やプログラマーが花形のようにみえる。ほんの数十年でこれだけ変わるのだから、「安定した仕事」というのはないかもしれない。大企業だって、会社こそ生きながらえているものの青色吐息となっている企業がある。会社を維持するということはいろんな影響の中で結果として維持していることでしかないので、何が安定するのかを話すことができる人はおそらくいないのではないかと思う。


公務員は安定しているだろうか?公務員は社会規範に反することを行わない限りはやめさせられないかもしれないが、今の日本の公務員はサービス残業が常態化しているようだし、過労死する人もいるくらいというからそれを「安定」というかについては、僕は迷う。


「普通の生活」というのもよくわからない。日本人は「普通」があり「普通」であろうと努力してきた節があるが、何を以て「普通」と言っているのかはわからない。だいたい、人に自分のあるべき水準を決めてもらってそこに自分をあわせるということは楽ではない。この世界は複雑だからだ。「普通」という言葉は雲をつかむようなものだ。僕らの世代以上の人たちは今の若い人たちの「普通」が良く分かっていないと思う。冒頭に書いた通り、僕から見たら僕の知っている「若い人たち」の多くは自分の首を絞めているように見えるけれども、そこには別のロジックが潜んでいて僕が見えていないだけかもしれない。政治家は長い間約束をいつの間にか保護にする(例えば、消費税は目的税として徴収するという約束)ことを繰り返してきているけれども、これが「普通」であるのなら日本の社会は嫌な社会だと思う。


人生の目標は幸せになることだと先に書いた。もう少し突っ込んでいうと、自分の人生がある場所で生きることが幸せになるコツで、人生の目標である幸福を得るためには、この世界に自分の居場所を見つけ出すことだと僕は思っている。働くと、当然誰かの必要としていることを行うことになる。(そうでなければ遊びでしかない。)畢竟、仕事をする、働くということは誰かの役に立つことなんだと思う。誰かの役に立つことをして、嬉しい、楽しい、充実していると自分が思えることだと思う。


お金が気になる?お金はきっと、必要なだけあれば十分だろう。日本の社会の見通しは悲観的な情報が多く、貯蓄したい気持ちはわかる。ただ、お金はなかなか一つのところにとどまらないものだと思う。大金をスタッフにプレゼントするYouTuberやお金を配っている富豪をみてああなりたいと僕は思わないし、お金の使い方に困っているのかなとも思う。そんな風になるのはやっぱりバランスが崩れているから、そうなるべきではないと思うし、突き詰めれば、僕らは自分が使うことができるお金を稼ぐことができればいいのではないかと思う。僕が仕事をするときに指針としているのは、「お金を追うな、仕事を追え」という言葉だし、「お金に大切なことを決めさせない」ということだ。帳尻が合えばいいのだと思えば、お金で仕事を選ぶ必要もないような気がする。お金は誰かのために使えばいいと思うし、そうして感謝されたら幸せを感じられるようにも思う。お金とはそんな風に使いたいものだ。


最後に、働くということについてまとめておこう。僕は、働くということは誰かの役に立つことだと思う。誰かの役に立って喜んでもらえたら、僕らは幸せになると思う。そのためには、自分が誰かを幸せにできる術を身に着けないといけないし、それが可能な場所を見つけないといけない。そうやって働いている人は、必要なお金を得られるんじゃないかなと思う。そうやって働いている人は、きっとお金以上の仕事も得られるんじゃないかなと思う。僕は、そうやって働く人たちと一緒に仕事をしたいと思っている。


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