目次
代表経歴
僕の生い立ち 獣医になりたかった幼少期
経営者をめざした理由は「おじいちゃんの存在」
ベンチャーを選んだ理由、そしてコリン創業
初社員は大学時代の元同級生
僕の人生まとめ
代表経歴
谷口嘉正 Taniguchi Yoshimasa
1985年に大阪府豊中市で生まれ、京都大学工学部情報学科、同大学経営管理大学院を卒業した後、2010年に株式会社イトクロに新卒入社。わずか3ヶ月で子会社の役員に抜擢。当時最速でマネージャーに昇進し、2015年にはボードメンバーとして東証マザーズ上場を経験。2017年に株式会社コリンを創業し、現在に至る。
こんにちは。コリン代表の谷口です。以下についてお話しようと思います。
- 僕の現在に至るまでの経験
- 事業をつくる、経営者になるというキャリア
- コリンがめざす未来
僕という経営者の〝生身の経験〟そして〝心の声〟を聞いてもらうことが、あなたのキャリア選択のヒントになると信じています。
前篇:CEO Interview(1/2):就活生へのメッセージ
後編:CEO Interview(2/2):最強のビジネススキルは「事業を作る力」
僕の生い立ち 獣医になりたかった幼少期
まずは、僕がどんな人生を歩んでコリンを創業したのか、自己紹介をします。
僕は大阪で生まれて、神戸の中高一貫校に通い、京都で大学時代を過ごしました。いつも新しいことに興味があって、他の人と違うことが好きな子どもだったそうです。中学生の頃、株式投資に興味を持つようになった僕は、経済新聞を読むことを日課としていました。新しいビジネスやサービスについて書かれた記事を読むとワクワクが止まりませんでした。「自分も何か新しいことを始めてみたい」「会社を経営するのはかっこいいな」と思い始めるようになりました。
こんな話をすると、すごく意識が高そうな子どもですよね。でも株に関心を持ったのは「もっと遊ぶお金がほしい」という、なんとも欲望に忠実な理由でした。実家は男ばかりの3人兄弟。特にお金持ちというわけでもなかったので、欲しい物はなかなか買ってもらえませんでした。お小遣いも全然もらえなくて学食で弁当を買うのもギリギリ。お金を増やす方法を調べるうちに、株式投資という方法があることを知ったんです。父の名義で証券口座を開いてもらい、雑誌でやり方を調べながら投資を始めたことを覚えています。
経営者をめざした理由は「おじいちゃんの存在」
僕の人生観は、おじいちゃんの存在からも大きな影響を受けています。父方の祖父は国に務める公務員でした。とても優しい祖父は、小さい僕をよくかわいがってくれました。生前に仕事の話を聞いたことはなかったのですが、どうやら戦後に組織の方針や仕組みが大きく変わり、自らの力がおよぶことなく左遷されてしまったと聞きました。
母方の祖父は経営者で、僕が生まれる前に亡くなっています。彼が始めた農業機械の会社もとっくの昔に廃業していたので、僕にとっては〝歴史上の人物〟です。でも、里帰りをすると彼が作った機械が町役場に飾られていたり、町のお年寄りがみんな祖父のことを知っていて「とてもお世話になった」と言うんです。自分の存在がこの世からいなくなっても、生み出したものや人から受ける感謝はずっと残るんだと驚きました。異なる道を歩んだ祖父たちの人生を見て、僕はいつしか「誰かがつくった仕組みにしたがうのではなく、自らの意志を持ってなにか新しいことを生み出したい」と思うようになりました。自分で言うのもちょっと恥ずかしいですが、いかにも経営者をめざしそうな考え方ですよね。
でも、初めから経営者になりたかったわけでもありません。僕の小さい頃からの夢は獣医さんになることでした。動物が大好きで、実家では犬や猫、鳥やリス、魚から爬虫類まで、ペットショップにいるような動物はみんな飼ったことがありました。
だから動物と関わる仕事がしたいと思っていました。でも、高校生になって進路を考えはじめたある日、親に「獣医になるには解剖や実験もやるんだよ、あんた本当にできるの?」と言われて。想像するだけで悲しくなってしまい、「自分には無理やな……。」とギブアップ。そうして獣医学部を受験することをやめて、僕は工学部へと進学しました。
ベンチャーを選んだ理由、そしてコリン創業
僕の人生が大きく変わったのは就職活動のときです。大学院で経営学を学んでいた僕は、〝コンサルに行って色々な知識を学んでから起業しよう〟と考えていました。でも、実際に選考に参加してみると、このキャリアは〝新しい価値を生み出す経営者になる近道ではない〟と感じたんです。そんな時、たまたま就活イベントで出会ったとあるベンチャーの社長がこんなアドバイスをくれました。
「自分で会社をつくる創業経営者と、頼まれて会社のトップになるプロ経営者はまったく違う。創業経営者は泥臭いことも地面に這いつくばってやらなければいけない。」その話を聞いて、「経営者になりたい」という漠然とした夢は、「自分の会社をつくる」という具体的な目標に変わりました。でも当時の僕にはすぐに会社を始める勇気はありません。そこで、僕はそのアドバイスをくれた社長の会社──株式会社イトクロで経験を積むことを決めました。とにかく必死だった僕は、経営陣のそばで刺激を受けながら挑戦しつづけました。そして、少しずつマネジメントや事業計画にも責任を持てるようになり、自然と事業や経営に対する考え方が身についていきました。
入社5年目にボードメンバーとして上場を経験したのち、僕は30歳の節目に独立します。翌年にはコリンを設立し、文字通りの〝創業経営者〟になったわけです。でも「起業を通じて人を幸せにする」「誰かの役に立つ」などの経営者らしいことを考えられるようになったのは、もう少し先のことです。当時は起業が目的になっていて、イトクロの看板がなくても生活できるよう必死に働く日々が続きました。
初社員は大学時代の元同級生
経営者としての覚悟が強くなったのは、従業員を雇ってからのことです。コリンで初めて採用した社員は、それまで話をしたこともない大学の同級生でした。「30歳を過ぎてニート状態の同期がいる」と友達に聞き、社会見学のつもりでコリンの営業に同行してもらったんです。その後、彼はお礼を言って地元に帰ったけれど、僕はずっとモヤモヤしていました。「あいつ、これからどうするんだろう。このまま仕事をしなかったら彼の人生はどうなるんだろう」と。その頃、『グレイテスト・ショーマン』という映画が流行っていました。主人公が世間から迫害された人たちとサーカス団を立ち上げ、仲間として絆が生まれていく物語です。僕はこの話に心を動かされ、「彼にチャンスを作ってあげたい」という想いが強くなり、彼の人生を背負ってコリンで雇用することを決めたんです。
そこから数年のうちに業績は伸び、映画のストーリーと同じようにチームも大きくなっていきました。しかし、僕のなかには焦りがありました。コリンをさらに成長させ、世の中に新しい価値を生みだし続ける会社になるためには、メンバーの人生に真剣に向き合うだけでは足りない。個人プレーの集まりから抜けだし、組織の文化をつくらないといけない。そんな危機感を抱くようになりました。
組織の文化は、社長が号令をかけたからといってできあがるものではありません。社員一人ひとりが理想の自分や、チームの在り方を追い求めて成長するなかで、自然に生み出されるものだと思います。そこで今を〝コリンの第二創業期〟と位置づけ、事業や組織を一緒につくるメンバーと出会うために、本格的な採用活動を始めることにしました。
僕の人生まとめ
僕の人生をまとめると、10代で夢を見失ったあとに経営者を志し、20代はイトクロで修行を積み、30代になった今は、創業経営者として新しい価値を生み出すチームづくりに挑戦しているところです。僕は近道を選ぶよりも、コツコツと行動を積み重ねていきたい性格です。派手ではないかもしれませんが、経営者をめざす人には参考にしてもらえるキャリアだと思います。
長い自己紹介はここで一区切りです。ここからは僕の人生経験をもとに、事業や経営に興味のある皆さんに経験してほしいことや、キャリアや組織の選び方についてお伝えしたいと思います。
監修:Yuichiro Miyagawa
執筆:めいこ