はじめに
こんにちは。古谷です。
Co-LABO MAKER(コラボメーカー)という研究設備・ラボのシェアリングサービスをしている東北大学発ベンチャーの代表をしています。現在4期目に突入したところです。
Co-LABO MAKERは、一言でいうと「研究版のAirbnb」です。
やりたい実験があるけど研究設備やラボがない研究者を、研究設備はあるけど資金が必要な研究室や企業をつなげ、ラボや実験機器を一定期間使えるサービスを提供しています。
https://co-labo-maker.com/
同時に、東北大学の社会人ドクターかつ特任准教授でもあります。
私は、起業(2017年4月7日)する1年ほど前まで起業家になろうとは考えておらず、大好きな研究をできるだけやり続けたいと考えていたので、最初はほぼ研究者OSのみしか搭載されていませんでした。
研究者と起業家は少なくとも世間一般のイメージからするとかけ離れているので、私の場合どうだったかをこれから記していきたいと思います。
参考になれば幸いです。
ずっと研究していたかった元研究者が起業するまで
始めは300文字のアイデア投稿
最初私は、起業して世界を変える!などという、だいそれたことは全く考えていませんでした。
始めは、ビジネス系の基礎知識と実践と肌感はほぼ0。
大きなプロジェクトの中での1メンバーとして仕事(革新的なSiC結晶成長方法の開発)にのぞむ傍ら、凝り固まる頭をシャッフルするための趣味として2015年2月頃にアイデア投稿を始めました。お題に対して300文字ほどでアイデアを投稿し、入賞すれば賞金ももらえる、というものでした。
まずはやってみよう!ということで始めたアイデア投稿でしたが、思いの外ガンガン入賞して博報堂にも呼ばれました。博報堂に呼ばれた際、たまたま同じ名古屋にいた方と友達になったこともあり、楽しくなってエスカレートしていき、プレゼンもあるようなコンテストにも出すようになりました。
起業のきっかけ「MVPアワード」
そこで出会ったのが、MVPアワード。
社会を変えるアイデア求む!賞金100万円。
MVPをつくって、そのアイデアを検証までする、というようなものでした。
ガチのコンテストなので、本気でやりたいと思えるような、大学・企業の研究開発の現場で自ら課題に感じてきたことの解決策を考えました。そこで自然に出てきたのが今の事業。元から研究開発に対して思うことは色々あったのです。
ほぼ知識もスキルもない状態で、友人に
MVP(検証可能な最低限のプロダクト)って何?
検証って何すればいいの?
プロダクトって、無理では?
HPも作ったことないけどどうすればいいの?
という素人感丸出しなことを聞きながら、ペライチ( https://peraichi.com/ )を教えてもらい、試しにコンセプトを書いたページを作りました。2016年5月末のことです。
そんな軽いスタートでしたが、いきなり月間事業構想にのり、検証でも手応えを感じるなかで、少しづつ起業を意識するようになりました。最優秀賞をもらえたら本気で検討してみよう、と。
そして本番、9月頃にアイデアと検証結果をプレゼンしたところ、なんと最優秀賞(と100万円)をいただけてしまいました。
前日に友人と、最優秀賞取れたら時給400万円だねwww と冗談でいっていたら、本当にそうなってしまいました。
世の中どうなるかわからないものです。
以下、当時の記事。資料がとてももっさりしています。
せっかくだから、本気で起業を考えよう。と、家族を守りながら、応援してもらいながら進めるビジョンがまだ湧かないなか、道を探し始めました。
そして起業へ・・・
9月から2ヶ月ほど経った11月、研究開発支援に関わる方に話を聞きに行ったり、かつての恩師に連絡するなど模索をする中で、ついに道が見つかりました。
かつての研究室の恩師である吉川先生の起こしたベンチャーに入社しつつ、東北大で社会人ドクターをとりつつ、会社を作る!という道です。
妻の実家が仙台なので、事業上のアドバンテージ・資金面・家庭面・将来の選択肢・大義名分(結婚当初からドクターとると言っていた)全てが揃う!という、まさしく神の一手に辿り着き、起業を決めました。
11月に上司に退職の意思を伝えた際には「晴天の霹靂です」というお言葉をいただきました。楽しそうに研究していたのでそりゃそうですよね。
こうして、アクセラレータ「BRAVE」にも参加させていただきつつ、2017年1月に元の会社を辞め、大学の恩師の大学発ベンチャーに入り、2017年4月に東北大学の博士課程に入学しつつ、起業しました。
リハビリとして始めたことが花開いて、ノリでどんどん進めるようになり、そのうち可能性と使命感を感じ起業に至る。
こんな流れで、私の起業家としての新しい人生が始まりました。
つづく