なにをやっているのか
当社は「知能コンピューティングの受託研究」と「学術研究用ソフトウェアの受託開発」を主業務としております。大学や研究機関および一般企業からの受託研究開発の実績を多数積み上げて参りました。当社は様々な学術分野の最先端の研究内容に対応できる専門性を備えたソフトウェア開発を強みとしており、一般のソフトウェア開発企業にはない、独自のポジションを築いております。
しかし、当社の本来の目的は、このような事業を展開することではありません。社会に対してこういったサービスを提供することは、本質的には何らの価値もないものと思慮しております。当社の本来の目的は、「人が権力や社会的虚構なしに、万人との一体性を体現すること」、そのための場を作ることにあります。
以下に、当社の就業規則に定めている理念とミッションを引用します。
【企業理念】
万人との一体性を体現する。
【行動基準】
第一に、人の意志を明らかにし、それをもって企業のすべての基盤とすること。
第二に、自己の意志を真摯に追求すると共に、他者の意志への助力を惜しまぬこと。
第三に、自己の意志と他者の意志との、自然な調和を図ること。
【企業ミッション】
万人との一体性を 5000人規模の企業体として実現する。
なぜやるのか
以下、「就業規則 2.1条 当社の目的」からの引用です。
【企業理念】
万人との一体性を体現する。
当社の設立目的は、「人と人がつながる場」を作ることにあります。
人間の本来あるべき姿とは何であるか、という問いかけは、大昔より多くの人々により思慮され、様々な回答が与えられてきましたが、当社においては、「人間の正しい在り方とは他者との一体性の中にある」と定め、「人と人がつながる場」を作ることで、人間性の向上の場を作ることを目的としています。
では、一体性とは何であるか、と問えば、それは一体性の反対である分離性を生み出している根源、すなわち、自我 (身体や精神との同化意識) を超えた先にあると言うことができます。一体性とは人間精神によって獲得され得るものではなく、人間精神の仮想性の外側にあるということです。
では、一体性はいかにして発現され得るものでしょうか。当社では、人間の欲望のメカニズム (有形たるものの有形たる所以のもの) の中に、人間性向上のための仕組みが内在していると考えます。「欲望」という言葉は、特に日本文化の中では否定的な意味合いを持つ言葉でありますが、現実には、人間やその他万象を動かすのは、この欲望 (特性、性質などと言い換えてもよい) であり、これなくしては、万物は有形たる存在を失うことになります。
重要なことは、有形たるものの性質を否定することではなく、有形たるものの全体性の中に、無形なるものを体現することであります。有形たるものはそれ単独で無形なる全体性、完全性を体現することはできず、他の有形たる存在との一体性によってしか、体現することはできません。
つまり、個人の有形性を軸として、万人の有形性との一体性を獲得していく過程こそが、人間性の向上であります。世界は有形たる存在の多様性の中に、人間性の本源である無形性への道を示している、と考えることができます。
そこで当社では、次のことを行動基準として定めます。
【行動基準】
第一に、人の意志を明らかにし、それをもって企業のすべての基盤とすること。
第二に、自己の意志を真摯に追求すると共に、他者の意志への助力を惜しまぬこと。
第三に、自己の意志と他者の意志との、自然な調和を図ること。
これは、人間の有形たる特性に基づいて、万人との一体性を体現する、という方法論の要約となっているものです。
このような企業理念に基づいて企業を運営することは可能であろうか、と思うかも知れません。人間の歴史は分離と分裂の歴史であり、それは現在の社会においても変わりはありません。しかし、それは可能であるという前提に立ち、日々の模索の中に生きることなくしては、人間の理想の在り方を確立することはできません。
このような企業理念と行動基準に基づいて、人間の理想的な社会を再構築すること、それをまずは5000人規模の企業体として実現することが、当社のミッションであります。
【企業ミッション】
万人との一体性を 5000人規模の企業体として実現する。
現在の日本の社会を統治している法令や制度などの社会システム、あるいは、統治に必要とされる権利や義務、責任、貨幣などの社会的観念は、人間の分離と分裂を促進する側面を持つものであります。それは社会システムというものもまた、有形たる一存在であるからです。どのような社会システムによっても、一体性を体現することはできず、人間の理想的な在り方は、人間の日々の在り方の中にしかありません。
しかしまた、人間の歴史的な思慮の産物であるところの社会システムを、否定してもなりません。反社会システムという考えもまた有形たる一観念であって、完全性を持つものではないからです。
現在の社会制度の中で人間の理想的在り方を追求するために、当社の仕組みはどのようであるべきか、これを考えることが当社の経営上の最重要の機能であり、それは慎重に思慮され、判断されなければなりません。
どうやっているのか
以下、2018年度に代表が社員に向けて行った講義の一部を引用します。
このような講義を毎年行っており、当社企業理念に基づいたあり方とは何であるかを、
社員に理解を深めていただき、日々の業務の中に定着していただきます。
■『中庸』に見る当社企業理念の実践指針
中国では古くから、人の調和ある在り方がいかにして実現できるかを考察しており、その中でも儒家思想は東アジア各国で強い影響を与えてきた。儒家思想の一つに「中庸」という概念があり、孔子はそれを「最高に価値がある」とした。
ここでは儒家たちがいう「中庸」とは何であるかを『中庸』の注釈書から読み取り、当社企業理念との関連性を考察し、実践指針を得ることを試みる。
『中庸』にはこうある (参考 https://amzn.asia/d/dJNo9iP )。
[第一章第一節]
天(てん)の命(めい)ずる これを性(せい)と謂(い)ひ、性(せい)に率(したが)う これを道(みち)と謂(い)ひ、
道(みち)を修(おさ)むる これを教(おしえ)と謂(い)ふ。
[第一章第五節]
喜怒哀楽(きどあいらく)の未(いま)だ発(はっ)せざる、これを中(ちゅう)と謂(い)ひ、発(はっ)して皆(みな)節(せつ)に中(あた)る、これを和(わ)と謂(い)ふ。
中(ちゅう)といふ者(もの)は、天下(てんか)の大本(おおもと)なり、和(わ)といふ者(もの)は、天下(てんか)の達道(たつどう)なり。
これらの言は次のように解釈することができる。
天と人とは不可分であり、天はすでにして人に調和の道を与えている。それが人の本性である。本性に従えば、自然のままにして万人との一体性を得ることができる。その本性は、喜怒哀楽などの精神の動きが発生する前の意識の中にある。この意識のことを中という。精神に動きが生じても、この中から外れないことを和という。中は天と人との接点であり、和はその外界への現れである。
人が外界の有形物やそこから生じた観念と同化すると、喜怒哀楽などの精神の動きが生じ、それにより人の本性であるところの無形性に立脚することができなくなる。精神とは有形なるものを転写するのがその働きであるから、常時精神が止むことはないにしても、常に精神の背後にある無形性に立ち返り、有形たる存在との同化を手放すことが、和すなわち万人との一体性を体現するうえで重要であると考えられる。