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親は公務員。大学2年まで教員志望。1社目の内定は人材大手R社。そんな私が当時無名のベンチャーだったCDCに入社した理由

こんにちは。採用担当の塩川です。

本日、CDCのブログページを立ち上げました!

せっかく会社としても個人としても発信できる場を得たので、

インターンや説明会では伝えきれないものを記事にしたいと、ブログ始めた次第です。


簡単に自己紹介させていただきますと、、、

■入社年:2008年入社 メディア職採用(今でいう広告制作職) 通称、「ゼロハチメディアンズ」

■入社後のキャリア:制作部に配属後、転職サイト「@type」「女の転職@type」や、就活情報誌「就活type」などの求人広告クリエイターとして、約1000社の採用に関わる。入社3年目にチーフ、5年目に主任、7年目の28歳でマネージャーへ昇進。その後、転職サイト「女の転職@type」と、就活情報誌「type就活」の制作プロダクトマネージャーを担当。8年目の夏に、広告制作職の新卒採用を行う「制作採用推進課」を兼務。人事と広告制作マンの二足のわらじを履きながら、陸上長距離選手(大学・実業団)の追っかけをしている31歳。長所はどこでも寝れること。短所はどこでも寝ちゃうこと。


これから色んな社員に「なぜCDCに入社したのか」をブログに綴ってもらおうかと考えていますが、

まずは採用担当の私がCDCに入った理由を、先陣切ってお話ししたいと思います。


■将来の夢は「学校の先生」でした。

祖母は中学校の英語の先生、父は自衛隊の教官と、教員という職業が身近だったこともあり、小学校の頃から将来の夢は学校の先生でした。歴史が好きだったので社会科の教員免許をとるべく青学の文学部史学科へ。バイトも塾の講師にして、教員への道まっしぐら。のはずが、塾講やってて気づいたんです。「私、『誰かのために』なんて縁の下の力持ちには向いてない。自分が主役になって輝ける仕事がしたい!」と。そして、大学2年で教員目指すの辞めました。しかし、親は大反対。「教員免許とらないなら学費全額払え」とまで言われたので、免許取るために教職課程は受け続けました。


■誰かの心を動かす仕事がしたい


10年以上追い続けていた夢を捨てた私が目指したのは「新聞記者」。きっかけは、大好きな大学野球の応援に行った時のこと。球場に行くと、青学のスポーツ新聞、通称「青スポ」が配られていて、野球部の知られざる情報がたくさん載っているではありませんかー。読めば読むほど、選手のことを好きになる。野球部をもっと応援したくなる。そこで思ったわけです。「こんな風に自分の言葉で誰かの心を動かせる仕事っていいかも・・・」と。なので、就活はマスコミ、中でも新聞社志望へ。大学3年夏には朝日新聞のインターンに行ったり、仙台まで読売新聞で働く先輩の元へOG訪問に行ったり、精力的に新聞社をまわりました。
だけど、正直なんか違う。ただ情報を伝えるだけじゃ物足りない。バイト仲間と映画や音楽CDを作るなど、ものづくりが好きだった私は、ただ発信するだけじゃなく、アイデアというか表現というか、クリエイティブな要素がほしい!と、新聞社の選考を辞退。クリエイティビティを求めて出版・広告系にシフトし、当時、身近なメディアだったホットペッパーやタウンワークを持っていた、リクルートのウィンターインターンを受けにいきました。これが、人材業界との最初の出会いでした。

■「人材×広告×出版」の神ワード


リクルートの説明会で人材業界の仕事内容や社風に惹かれて、業界軸が「メディア×人材」に確定した12月、リクナビのテキストバナーに「人材×広告×出版」という今まさに自分が求めていたキーワードを発見し、速攻でクリック!それが、CDCでした。当時はまだ社員数200名ほどの無名のベンチャーで、説明会に行けば、出てくる役員も社員もみんなかっこ良くて。女性社員とか、忙しくて明らかに化粧落ちてるのに笑顔がイキイキしてて。もう、一瞬で恋に落ちました。それ以来、赤坂見附を電車で通るたびに胸がキューってなるんです。本当です。リクルーターだった3歳上の社員さんと何度も面談したりメールもらったりして、気づいたらどうしようもなくCDCに恋焦がれてました。

■リクルートとCDCで毎晩泣くほど悩む

4月、最終的にリクルートキャリアの営業職とCDCのメディア職(今の制作職)に内定頂きまして。ここが一番悩みました。正直、就活中は辛くもなんともなかったんですが、2社から内定出て選択を迫られてからの2週間が一番しんどかったです。バイト先の先輩に相談しながら泣きまくりました。この選択が人生を決めると思うと怖くて。父親は公務員で、母親は大学卒業と同時にお見合いして結婚した、就職活動の経験のないパートタイマー。ハードな働き方のイメージがあるベンチャー企業への就職には難色を示されました。さらに、知名度はリクルートの方が上。初任給も4万円もリクルートが上。人と話すのも好きだし負けず嫌いだから、営業にも向いていると思ってました。

だけど、どうしようもなくものづくりがしたくて。まったく経験も知識もないくせに、アイデアをカタチにするメディア職への興味がどうしようもないくらい膨れ上がっていて。結果、CDCの内定を承諾。「向いていると思った仕事についても、辛くなったら『向いてなかった』って折れるかもしれないけど、やりたいと思った仕事につけば、辛くなっても『やりたくて選んだんだから、できるように頑張ろう』と思えるんじゃないか」と考え、「やりたい仕事」があった、CDCに決めました。後は何より、業界No.1の会社に行ったら、会社としてその先何を目指せばいいのかわからなくなりそうな一方で、CDCはこれから一番をとりにいく会社。私自身、公立高校のテニス部出身で、豪華な施設のある強豪私立の高校に負けたくないと練習に励んできたり、第一志望の大学に落ちて、第二志望の大学に進んだけど、バイト先でも就活中も、落ちた第一志望大学に通う学生に対してムキになったり。自分より上にいる者を倒したい性分があるみたいで、そういう意味で、CDCは合っていたのかもしれません。

■リーマンショックを経て、東証一部上場、そして現在、未来へ

私が入社した2008年は、リーマンショックがあって、仕事がなくなったり、ボーナスが出なかったり、苦しい暗黒期の幕開けでしたが、先輩や同期たちはいつでも前向きだったから、仕事を楽しむことを忘れずに頑張れました。たくさん色んなことにチャレンジさせてもらいました。私がプロダクトマネージャーを担当した、正社員として長く働きたい女性のための転職サイト「女の転職@type」は、女性専門転職サイトでは正社員求人数No.1のサイトに成長しました。当時、まだ東証二部上場だった会社は、リーマンショックを経て、2013年に東証一部に上場しました。でもそれはまだ通過点。会社がぎゅんぎゅん成長している過程に、自分が携われてる、貢献できてるんだなって感じられるのは、CDCならではの規模感だからかなと思っています。

もう10年目に入りましたが、今振り返っても、CDCに入社を決めたあの選択は間違ってなかったなって胸をはって言えます。って話を、これから出会う学生さんたちに、時間を惜しまず伝えていきたいと思います。(長すぎたら言ってくださいね、ってこの記事が既に長いけど!)

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