こんにちは、カリスタ採用担当です。今回から2回にわたり、カリスタが運営する女性限定鍼灸サロン『 CALISTA 』と、リフトアップ特化型美容鍼『 C by CALISTA 』の総院長を務めるCHIHIRO(ちひろ)のインタビューをお届けします。前編では、幼少期から学生時代のエピソード、アナウンサーを目指したきっかけから鍼灸との出会い、そしてカリスタ創業に至るまでを語ってもらいました。
遅咲きの早生まれが、みんなに追いつき追い越した結果、最難関の高校に合格 ―― まずは幼少時代のお話からお願いします 誕生日が3月30日と早生まれなこともあり、小学校2年生くらいまでは、勉強も運動も何をするにしても、なぜか周りの子たちと同じようにできない…というのが子ども心にありました。その一方で、両親からはずっと、「人は人、あなたはあなた。自分がやるべきことをコツコツと努力しなさい」と言われ続けていましたね。
4年生くらいになると、今までと同じようにやっているにもかかわらず、テストの点数が良くなったり、かけっこでもみんなに追いつくようになり、そのうち抜かせるようになったんです。あれ? 私でもできるんだ!みたいな感覚でしたね。うまくいかない時期も人と比べずに、とにかく自分ができることを精一杯やっていれば、いつか報われるというのを実感しました。
また、5年生の時に父の勧めで空手を始めたのですが、最初の大会でまさかの優勝。それまでの人生の中で、いきなりうまくいくことが初めてだったので、驚きと同時に、自分に自信が持てるようになり、そこから一気に行動が変わったと思います。同じころ、そろばんも習っていたのですが、地域の読み上げ算でも優勝することができ、成功体験が重なったことで、「頑張ればなんだってできる!」と気持ち的にも無敵でしたね(笑)。
―― 中学・高校時代で、特に思い出に残っていることはありますか? 高校受験では、地元の最難関の学校を目指したのですが、担任の先生に「確実に合格できると言えるような成績ではないから1ランク下の学校でトップを目指したほうが、あなた自身が楽だと思う」と言われたんです。それに対して、「うまくいくかどうかはやってみないとわからないから、私は挑戦します」と宣言して、受験しました。結果は合格。しかも、トップのクラスに入ることができました。高校の3年間で、本当に頭がいい人というのは、コツコツと努力して勉強するのではなく、ポイントを押さえるだけでできるというのを間近で見て、自分がこれまで思っていた努力とは違う方法があるんだなと思ったのをよく覚えています。
その高校時代に、担任の先生との進路相談で、何をしたいのかわからないという相談をしたところ、いろいろな人とコミュニケーションが取れるし、様々な経験もできるアナウンサーが向いているのでは?と言われたんです。その先生の一言で、自分も興味を持つようになり、将来はアナウンサーになろうと決意しました。
臨時募集していた地元のテレビ局で、念願のアナウンサーに ―― どのような大学生活を送られたのでしょうか? 現役では志望校に合格できず、浪人することを決めたのですが、一年間予備校にだけ通うのはもったいないなと考え、両親に「必ず合格するから半年間留学させて欲しい」とお願いして、ニュージーランドに語学留学をしました。留学中は、現地の語学学校に通いながら、Z会の通信教育を受講し、自宅から留学先に転送してもらって勉強していました。帰国後は、静岡県の実家から新幹線で東京の予備校に通って、翌年の春、志望する大学に合格しました。
アナウンサーを目指すことは決めていたので、奇麗な日本語を話せるようになりたいと思い、大学時代はアナウンサーを目指す人たちが学ぶ日本語スクールにも通っていました。また、アナウンサーになるために幅広い経験を積もうと、カメラマンのアシスタントから、レストランなどの飲食、家庭教師、ファッションショーのモデルなど、様々なアルバイトも経験しました。
そして、就職活動の時期になり、まずは東京のキー局、関西の準キー局からアナウンサー試験を受けていったのですが、なかなかうまくいかなくて…。就職浪人はしたくなかったので、アナウンサーのほかにも出版社や旅行会社も受けている中で、早めに内定の出た旅行会社に行くのかな…と思っていたところ、スクールの先生から、静岡放送に欠員が出て募集しているから急いでエントリーしなさいという連絡をいただいたんです。
―― 地元のテレビ局だったんですね? はい。地方局は毎年アナウンサーを募集しているわけではなく、情報もほとんどなかったので、受けるつもりはなかったんです。ただ、偶然にも地元のテレビ局ということもあり、急いでエントリーした結果、試験を通過し、入社することができました。これが地元でなかったら受けなかったかもしれないですし、静岡放送もたまたま欠員が出たという偶然が重なって、本当にいいタイミングだったと思います。
―― アナウンサー時代は、どのような生活でしたか? 在籍したのは3年4か月ですね。静岡放送はラジオ局を併設していて、私はラジオがすごく好きで、帯の番組も持たせていただいていたのですが、合間にレポーターとして取材に行ったり、バラエティの収録があったりと、夜遅くまで取材をした後に、朝5時からニュースを読むこともありました。いま思い出すと、自分で叱り飛ばしたくなるようなことも多々あって、一度、寝坊して起きたら放送の10分前だったこともあります。あわてて先輩に電話して代わりに出てもらって…。あの時は血の気が引きました。当時は若かったので、翌日朝から仕事があるのに、仕事帰りにみんなで飲みに行ったりもして、仕事が不規則な中でもなんとか勢いでこなしていましたね。いまでは信じられない生活だったと思います(笑)。
祖母の勧めで出会った鍼灸、その効果を実感して自らが鍼灸師の道へ ―― そのころに、鍼灸と出会ったと伺いました なかなかの激務だったこともあり、お休みの日はマッサージや整体に行って体のメンテナンスをして、翌日の仕事に備えるといった生活を送っていました。そんな中で、たまたま実家に帰省した時に、膝が悪かった祖母が普通に歩いているのを見て、話を聞いたところ、鍼灸で鍼をしてもらったと言うんですね。「すごく足が楽なのよ。体全体が楽になるから、あなたも行ってみなさい」と言われて、その鍼灸院に行ってみたのが、鍼灸との最初の出会いです。
初回から効果を実感して、顔のむくみも取れるし、化粧のノリもいいし、体も楽だし、次の日の仕事を頑張ろう!と気持ちも軽くなる。鍼灸ってすごいなと思い、その後も月に一回くらいのペースで通うようになりました。マッサージでも整体でも得られなかった効果は何なんだろう…と興味が沸き、行くたびに先生に鍼灸や経絡の話を聞いているうちに、私自身も鍼灸について本格的に学びたいという気持ちが生まれていったんです。
その一方で、私が通っていた鍼灸院は当時、畳の部屋に布団が敷いてあって、施術着もないので下着になってタオルをかけて受ける感じだったので、友人に勧めようにも、女性だとちょっと無理…となってしまって。せっかく素晴らしい効果があるのだから、もっとみんなが気軽に受けやすくなったらいいのに…と思っていました。
―― ご自身が鍼灸の効果を実感したことで、鍼灸師への道を志すようになったのですね はい。ただ、自分でもやってみたいという思いも生まれる中で、アナウンサーから鍼灸師への転身が、果たして正しい選択なのか、あまりに違い過ぎる職業ですし、苦労して入ったのに、その仕事をやめてしまっていいんだろうかという葛藤もありました。でも、自分はこれから先もずっといまの仕事をやり続けたいのか…と考えた時に、それはできないなと思ったんです。アナウンサーは体が資本ですし、常に人に見られるという仕事は、いまは良くても、10年先20年先を想像した時に、同じようにできるイメージが湧かなかったんですね。それよりも、これまで培ったスキルを活かしつつ、また違うスキルを身につけていくほうが、結果的に良いと思えるんじゃないかという結論に達して、27歳で静岡放送を退職しました。
とはいえ、すぐに鍼灸師を目指すのではなく、3年気持ちが変わらなかったら鍼灸の道に進もうと決めました。そして、その3年の間に何やろうかと考えた時に、ちょうどPRが注目をされ始めたころで、PRの仕事だったら、テレビ業界や広告宣伝の構造を理解している自分のスキルも活かせるし、もし今後鍼灸をやるとしても、自分でPRができるのではないかと考え、東京のPR会社・ビルコムに転職しました。
―― そのビルコム時代に、鍼灸の学校に通い始めたそうですね 転職して1年経っても鍼灸をやりたいという気持ちも熱意も変わらなかったので、2年目に鍼灸の専門学校に行くことを決めました。会社は辞めようと思ったのですが、当時の社長が学校に行きながらでも仕事を続けられるよう、時短の契約社員の制度を作ってくださったんです。そのおかげで、昼間は引き続きPRの仕事をして、夜は鍼灸の学校に通うという生活がスタートしました。その後、開業する前にある程度の経験が必要だと思い、卒業する1年前に会社を辞めて、昼間は鍼灸院でのアルバイトをして、夜は学校という生活に切り替えました。仕事をしながらの勉強は本当に大変で、特にテスト前はお昼休みにも勉強していましたね。ただ、勉強する中でますます鍼灸、言うなれば東洋医学の奥深さに魅せられていきました。
カリスタ代表の前田とは、前職の上司として出会いました。私が、鍼灸の魅力 ―― 体の凝りをほぐしたり、不調を整えたりするだけでなく、心にまで影響があり、人生が変わることさえあるということを話しているうちに、「そんないいものだったら世の中に広めるべきだ!」と共感してくれたんです。そして、早く開業したほうがいいという前田の後押しもあり、卒業した翌4月に資格が交付されたタイミングで、鍼灸サロンを開業しました。
いかがでしたでしょうか? 後編 では、創業後、急成長したカリスタと鍼灸の魅力、お客様への想い、今後の展望についても語ってもらいます。お楽しみに!
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