今回、久しぶりとなるBSS社員インタビュー!
第6回社員インタビューはいつも笑顔が明るい、売り上げの3分の2をあげているトップセールス!
営業担当孫さんです!宜しくお願いします!!!!!
孫さん!宜しくお願いします!
トップセールスの孫さん、
そもそもどんな学生時代を経て、営業に?
そもそも私は学生時代勉強が苦手でした。今ほど明るい性格でもなく無口で、少し男っぽい感じでしたね。ただ、将来のことを考えた時、当時日中関係がよく、日本語の仕事が増えるだろうと予測して、大学は日本語選考のコースを選択。そして就職活動のタイミングを迎え、台湾の会社で日本の製品を取り扱っている貿易会社に入社が決定し、そこで営業デビューをすることになりました。
日本にそもそもゆかりのある会社だっだですね!
当時の営業活動はいかがでしたか?
1社目の会社では主に工場で使っている消耗品を扱っていたため、工場に出張したりと対人の営業をメインでやってました。遠いところだと往復6時間のところにあるような工場にいくこともあり、毎週出張。営業の仕事が大変かつ、接待も多くなかなか自分の時間が持てませんでした。私はお酒が好きなのですが強いわけではなかったので、接待の多さなどを含めて1社目の営業に辛さを感じましたね。もちろんハードワークをこなしていたので、学生時代と性格なども変わり、営業力、コミュニケーション力がつき、関係構築が得意になりました。
とても大変な働き方をしている中で
転職先に選んだのはどこだったのですか?
その後は日本語教師の道を選びました。普通の学校ではなく、研修センターの講師のようなポジションで、研修生たちに学生時代の知見を活かして、日本の文化や日本語を指導。研修生たちは日本に実際足を運んだことがなかったので、『本当にそんな親切な国なんですか?』『綺麗なんですか?』『水道水が飲めるってありえないです!』など疑っている人が多かったのです。そんな研修生たちに『本当だよ!』と良さを紹介していく中で、自らが日本に行きたくなってしまい、日本への留学を決めました。
え!孫さんは留学で来日したんですね!
その後はどんな日常を過ごしていたんですか?
はい。31歳の時に留学しにきて、最初は日本語学校に通いました。為替も高く、もちろん親からも援助がないのでアルバイトしながら学費を稼いでいましたね。日本語学校は半分以上が中国人だったので、日本人が多いところで働けば、より日本語も学べるし、日本人の考え方を知れるかなと思い、あえて日本人が多いバイト先にチャレンジしました!
専門学校では、経理ができたら仕事にプラスになると考え、経理を選考しました。大学も中学で卒業していたので、日本では学歴というよりも今後に活かせるスキルは身に付けておきたいなと思い、この選択をしましたね。
最初は1年くらい留学生として過ごして帰国しようかな〜なんて考えていました。しかし、思った以上に日本での生活が充実していて、『帰りたくない!』と思うようになったのです。
日本は、人間関係が面倒ではないですし、強要もなく自分らしく生きられる感じがします。結婚をしないという選択も、日本ではバッシングを受けることはないですし、自分の選択した道を応援してくれます。そんなフリーな生活はだいぶ楽で、帰りたくなくなりましたね(笑)。
飛び込んでいくのって勇気が必要なので、
私は結構びびってしまうのですが
孫さんはなぜそれだけの行動力があるのですか?
私にとっては新しいところに飛び込むことに関して不安はないですし、新鮮!ワクワクする!という感情の方が先に来ます。
そのため専門学校を選ぶ際も東京だと海外の方が多いかなと思い、外国籍が少なそうな名古屋を選びました。当時31歳で、通っている学生は18歳、かなりの年齢差があることを面接時に、校長先生が不安を覚えていましたが、私は自信を持って『大丈夫です!』とお伝えし、そのまま入学が決定。校長先生が心配されていた人間関係は、何の問題もなく、学校行事の運動会や学園祭、修学旅行を一緒に楽しみ、二十歳を超えたクラスメイトとは飲み会にもいきました。学校終わりにカラオケに行ったりと学生生活を謳歌しましたね!本当にこの学校で過ごした2年間は宝物で、今も当時のクラスメイトと連絡を取っています。緊急事態宣言も明けて、土日に名古屋へ行こうと思っていますし、今でも仲良くできていることは誇りですね。
卒業後はIT会社に行ったのですか?
いや、そうではなく、名古屋から東京に戻ってからはアルバイトとして働いていました。三越のデパートの中にある、とある店舗で接客業をしていました。そこでも仲良くさせていただき、一緒に遊んだり、旅行に行ったり…!ただ残念ながらビザの申請の関係でずっと続けることはできず…。専門時代に経理を極めていたので、事務兼営業としてITの会社に勤めることになりました。
そこでIT業界デビューしたのですね!
その後はどういう経緯でBSSに?
SESの会社で、今と同じような仕事をしていました。仕事内容的には何の問題もなかったのですが、前職の会社は中国出身の方が多く、社風も中国の文化が強く日本の文化があまり馴染んでいなかったので、もっと日本らしい企業で働きたいと思い、友人の繋がりで田中社長と出会いBSSに入ることになりました。
数ある中で決め手になったのは
どういう部分だったのですか?
田中社長と話して、会社へのビジョンに共感したこととやはり中国出身でも日本でビジネスした以上日本の文化を取り入れてやっていかなければ続かないという思いがあったので、そういう内に秘めた想いを理解してもらえたことが大きかったですね。
最初BSSに来た時は社長も現場で働いていて、私は事務と営業を担い、3人でのスタートでした。会社を大きくしていくために日本人の採用にも力を入れ、できるだけ日本に近い文化を取り入れることを努力してきました。私の感覚だと中国をはじめ海外出身の方は技術が長けていますが、コミュニケーションをとることができなかったりする方が多く、逆に日本出身の方は技術力というよりもコミュニケーションや価値観などを大事にうまく付き合っていくイメージがあります。案件ではコミュニケーションが大切なポジション、高い技術が求められるポジションと、いろいろあります。そのため双方の良いところを発揮できるように、どちらの採用も強化しながら、一人一人にあった案件先をアサインできるようにしています。
孫さんがこの仕事をしている中で大事にしていることは?
お客様、そして技術者に対して誠心誠意。技術者と二人三脚。この2つを大切にしています。よく技術者にもこの話をするのですが世の中で有名な芸能人も、売れていくにはマネージャーが大事なのです。どういうプロモーションをかけて、どういう仕事をとっていて、結果どんな女優・俳優・タレントに育てていくか将来像も想像しながら計画立てて行っていくことが必要だと思うのです。これは技術者も同じ。技術者がどんな性格で、どんな仕事が向いていて、マネジメント志向なのか、スペシャリスト志向なのか、どんな技術者になっていきたいのかというのをヒアリングしながら、一人ひとりに最適な案件先を提示していく、これが大事なことだと思います。技術者の中でも自ら自分でやりたいことにどんどん進んでいくタイプと、自分のやりたいことが分からないタイプがいるので、分からない技術者には提案していく、そのようにフォローしていくことが大切だと思っていますし、技術者の成長も、会社の成長も私たち営業担当にかかっていると思っています。そのためコミュニケーションをとることは何よりも大切にしていて、日本人の社員はLINE WORKS、中国籍の社員はWeChatで話し、いつでも気軽に話せるような体制を築いています。また、お客様ともこまめに話し、うちの技術者状況をヒアリングしたり、今後の需要などもヒアリングしたり、常にコミュニケーションをとっているので、長く継続的に案件もいただけています。その結果今では技術者が案件を選べるような制度もでき、より社員ファーストな会社に成長しているなと感じています。
何事にも挑戦する孫さん。そこで培ってきた武器が、トップセールスにつながっているのだなと感じました。みんなの信頼を得ていて、いつもにこやか。今回初めてお会いしましたが、とても話が盛り上がり、今度美味しいご飯を一緒に食べに行きたいという話にもなりました(笑)。そんな孫さんがいるBSSなら、これからの将来のこと、今の悩みも真摯向き合って聞いてくれると思いますし、これからのキャリアも安心だなと感じました。私はエンジニアではないので転職することはないですが、私がもしエンジニアだとしたら確実にここにいき、孫さんと一緒に仕事したいなと思いました。みなさんも、抱えている悩みがあったら、是非一度BSSに話を聞きにいってみてください!孫さんの人柄ですぐに笑顔になれますよ!
(文/福田桃子)