BRANU経営管理部HRチームの久原 瑞紀は現在、第2子の産休に入っています。就職活動時は、男性と同じ立場でバリバリ働ける環境を最優先事項に挙げ、自分自身が産休育休制度を利用することは頭にありませんでした。出産を機に退職という選択肢もよぎったという久原が、産休中の想いを包み隠さず語ります。
男女差なく実力主義で働ける環境があり、包み隠さず全てを話してくれた
大学では、イギリス文学を専攻した久原。幼少期から英会話を習うなど英語に触れる機会が比較的に多かったこともあり、学ぶ楽しさを優先し、いちばん興味のある学部に進みました。
学生時代は他の学生たちと同じようにアルバイトとサークルに熱中したという久原。アルバイトは飲食関係がほとんどでした。
久原 「働くことが好きだったのでバリバリ働きたいという想いが強かったんです。接客業が多く、しだいに対人コミュニケーションに面白さを感じるようになりましたね」
「男性と対等に働ける環境で成長できる」という基準で就職活動を進めていきます。調べていくと自分が思い描いていた理想の職場環境が広告業界とIT業界を中心に多くあると感じ、さらに条件を絞るうちに久原は営業職に興味を抱くようになります。
久原 「そもそも、じっとしているのが得意ではなくて、自分から足を動かすという意味で、営業が合っているなと思うようになりました」
当時ちょうど営業職を募集していたBRANUの説明会にも、数ある説明会のひとつとして久原は参加しました。この最初の説明会が、非常に印象深かったといいます。
久原 「営業が大変な仕事であることは理解していたので、私自身、仕事の厳しさは覚悟していました。ただ一般的な会社説明会で、企業側から直接マイナスイメージの話を聞くことはほとんどありません。ところがBRANUだけが営業は成果が評価に直結する厳しい仕事であることはもちろん、就活生がマイナスイメージに受け取りそうなことも包み隠さず説明してくれたんです。これは新鮮でした。営業が成長できる仕事であると理解して本当に興味をもったのは実はその時かもしれません。そこからBRANUという会社にも興味が湧いてきました」
調べるほどに自分の望む環境がBRANUにあることが見え、久原は入社を決めます。久原にとっては男女の差なく働ける環境が最優先で、建設業界の知識はありませんでしたが、特にそれが決意をゆるがす理由にはなりませんでした。
営業から人事へのジョブチェンジ。成長のためにチャレンジを続ける
入社後、久原は新規顧客開拓の営業を担当。対象エリアをもち、建設業界へ向けたデジタルソリューションに従事します。
久原 「営業の仕事は思っていた以上に大変でした。お客さまが未知の業界なので、まず知識を身につけることが大変。知識が身についたら、次は新規のお客さまと信頼関係をゼロから築いていきます。本当に地道ですが、この地道な作業の積み重ねが大事でした。最初の3年間はけっこう必死でプライベートの時間も惜しむくらい働いていました」
お客様の業務理解を深めていくことに注力し、対人能力や自身の人間力を磨くことができたと当時を振り返ります。そして、営業を4年近く経験した後、会社から思いがけず「人事で働いてみないか」と声がかかります。
久原 「営業で身につけた知識やノウハウを、今度は採用や育成に使ってほしいとお話をもらったんです。異動の希望を出していたわけではありませんでしたが、年齢的に考えても自分のキャリアアップとして新しいことにチャレンジするのに、よいタイミングだと思いました」
経営管理部のHRチームの一員として新たなスタートを切った久原が任されたのは、新卒採用と内定者が入社するまでの期間における教育と育成でした。
久原 「まずはBRANUという会社を知ってもらうこと。そして入社後、即戦力とまではいかなくても、営業職としてある程度の知識をもったうえで各部署に配属できるように育てること。この二つが私のミッションでした。何を伝えるべきか、どうすれば理解してもらえるのかを試行錯誤しながらプログラムの企画に注力しました」
順調に産休に入るも、子育て1年目に直面した不安
人事の仕事を通じて得られたのが「人を見極める力」。もともと人事業務の経験はもちろん、人事について勉強した過去もなかったので、上司や周りのひとに教わりながら仕事のノウハウを身につけていきました。
久原 「営業職で培った知識や経験は、内定者に業務を知ってもらうために非常に役立ちました。一方で成長するには自発的に学びたいと本人が思わないと難しいのも分かりました。いかにやる気をもたせるかは試行錯誤で大変でしたが、そこが仕事のやりがいでもありましたね」
久原が第1子の産休に入ったのは、人事部に異動してから1年半が経った頃です。当時のBRANU社内は独身者が多く、産休取得経験者はほとんどいない状況。数少ない産休経験社員も部署が異なり、簡単に話を聞けるような環境ではありませんでした。久原は妊娠を報告する前は、ずいぶん不安になったといいます。
久原 「どんな反応をされるか想像がつかなかったので心配でした。でも実際は、会社の方から“産休と育休を取ったらどうか”と自然に勧められたんです。任されている業務も多くあった中で、意外でしたね。私自身はじめての出産だし、産んでみないと仕事と子育てを両立できるかどうか、そのときはどうなるかわからないという気持ちだったので、正直なところ退職という選択肢も心のなかにはありました。でも、いま決めなくても産休育休をとってから、様子をみながら決めればどうかといわれて。そういってもらえて安心して産休に入ることができました」
前例がなく不安はありましたが、ふたを開けてみると社内のチームメンバーにも助けられ、引き継ぎもスムーズに進み、特に困難を感じることもありませんでした。しかし、大変なことは、むしろ出産後、育児がスタートしてからでした。
久原 「出産後、育児に慣れるのに必死で……。仕事復帰なんて正直なところまったく考えられませんでした。子どもとふたりきりの閉鎖的な環境で、毎日同じことの繰り返し。やっと慣れてきたのは1年ほど経った頃です。ようやく心に余裕もできて仕事復帰について考えるようになりました」
仕事の復帰について考えられるようになったのには、定期的に連絡をとっていた会社の存在も大きく影響していました。
仕事への復帰の不安も、復帰後のキャリアイメージも包み隠さず会社と共有
育児休業中も、久原は人事マネージャーと2〜3カ月に一度、連絡をとりあっていました。
事務的な手続きもありましたが、その時々の会社の状況や久原の復帰後の仕事について話をしていました。
久原 「私は大阪支店の勤務でしたが、大阪支店ではマネージャークラスの人材が少なかったんですね。だから復帰したら支店内の各部署の人材育成やコミュニケーション、メンバーのケアをするような役割を担ってほしいといわれたんです。会社の状況も共有してくださっていたので、そういってもらえるのは嬉しかったですね」
しかし、久原には大きな不安もありました。
久原 「自分である程度コントロールできる仕事と、思いどおりにはいかない子育てでは、まったく使う力が別だと思っています。仕事の能力とは、また違う能力をずっと使ってきたので、復帰したときに仕事の勘が戻るかどうかが心配でした」
でも、そうした不安や育児の厳しさ、仕事と育児の間で揺れている自分の気持ちを素直に久原はマネージャーに伝えていました。そのおかげで精神的にバランスをとることができた部分があります。
久原は現在第二子を妊娠中。産休に入っています。
久原 「ひとりとふたりで育児もまったく違うと思うので、正直なところ今は仕事よりも育児の不安のほうが大きくなっています。ふたりを育てながら仕事に復帰できるだろうかと……」
そして、いまも定期的にマネージャーとやりとりをしながら職場復帰への不安が生まれたときは包み隠さず伝えています。
久原 「でも戻れる場所があるのだから、BRANUに戻って役に立ちたいなと思っています」
仕事への想いと育児への想い、どちらかを諦めるのではなく、両方にとってよい選択肢を久原とBRANUは探し続けます。