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「勉強カフェ」が生まれた2つの原体験

勉強カフェ」を思いつき開店したのは2008年11月のことです。リーマンショックの直後、私は29歳でした。

ふたつの原体験から起業に至ることになります。

ひとつは私がファミリーレストランの店長から金融業界に転職した際に、会社から資格を取得するようにと言われて、勉強場所に苦労したこと。

家だとついつい寝てしまう。気づいたらYouTubeを観てしまう。これではまずいと図書館に行くも、夜は空いてない。土日は学生で埋まっている。かといって、カフェや喫茶店ではとても長居できないのです。

なぜか。それは前職が「店長」だった私にとって、店舗はいわばホーム。気持ちは常に店長とともにあり、お店のことを考えると悪くて、とても長居できない身体になってしまっていたのです。

そうして勉強場所に困った私は、勉強場所を探しました。そこで見つけたのが「有料自習室」。コワーキングスペースはまだ日本に存在していない時の話です。

当時の自習室はどこもシーンとして閉塞感が強く、正直、空間としてイケてなかった。社会人が仕事帰りや休日を使って勉強するのに、「通いたい!」と思える勉強場所は果たしてないものか・・

(↑今は閉店した1号店のエントランス)

もう一つの原体験は、2008年からさらに遡ること8年前の2000年。学生だった私はイタリアはトスカーナの田舎をバックパッカーしました。

あえて何も予約せず異国に乗り込んだ初めての一人旅。スマホではなく、「地球の歩き方」を握りしめて。来るはずのバスは来ない。空いてるはずの安宿は空いてない。仕方なくフィレンツェ中央駅の軒下で野宿していたらウトウトしてしまい、荷物が詰まったキャリーバッグを盗まれる始末。

そんな洗礼を浴びながらも、私をイタリアの虜にしたのが現地で出会ったイタリア人の温かさ。そして、彼らが集うBAR(バール)と呼ばれるお店、これが実にいい。

どんな小さな町や村にもあって。コーヒーが飲める。軽食もある。タバコや生活雑貨も売っている店もある。夜にはテレビでサッカーの試合が流れていて、わいわい盛り上がってる。もちろん、一人でしっぽりしていてもいい。

イタリア人の多くはこのバールに朝昼晩、1日に何度も足を運ぶんです。そして来たと思ったら一瞬でエスプレッソを飲み干し居なくなる。どんな使い方にも対応する懐の深さ。ごちゃごちゃして雑多なのに、不思議となんだか居心地が良い。

イタリア人のライフスタイルに完全に馴染んだ、バールの文化。それが特に私の脳裏に焼き付き、その時からイタリアが大好きになったのです。

(↑2000年、初めてのイタリア一人旅。若いw)

2つの体験が重なり生まれた「勉強カフェ」

実は、最初から勉強カフェを作りたくて起業したのではありません。そもそも転職直後でしたし、将来的にも起業しようと考えていたわけではありませんでした。転機となったのは、当時のあるあるな話なのですが、「金持ち父さん貧乏父さん」を読んで4つのクワドラントを知り、B(ビジネスオーナー)になろうと思ったから笑。

その後数ヶ月間、平日は会社をサボり本屋に入り浸り、休日は渋谷の街を彷徨い歩きながら、自分に何ができるか考えに考え抜きました。出した仮説が「頑張っている人の背中を押す仕事なら、特技がない自分でもできるのではないか」そこで思い出したのが、私自身が勉強場所に困り、自習室に触れた体験であり、大好きなバールの雰囲気でした。

そこから歯車が動き出します。


《自分が行きたいと思える勉強場所が欲しい》

《イタリアで出会ったバールの懐の深さ》



この二つの体験こそが勉強カフェを創業する際のベースになりました。「きっと自分以外にも同じ場所を求めている人はいるはずだ」という根拠のない自信をもって。

そうして勉強カフェの1号店は2008年11月19日、東京は北参道にひっそりと誕生しました。

ゆえに勉強カフェは
勉強場所でありながら、あえて音楽を流しオープンな空間を作っています。
勉強場所でありながら、あえて人が感じられる環境にしています。

ひとりで学べて、ひとからも学べる。

資格取得のための勉強だけではなく、勉強カフェでできる様々な「勉強」を通じて、勉強カフェが「自分の可能性を拡げる場所」となれれば、こんなに嬉しいことはありません。

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