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かつての自分のような、生きづらさを抱える人を救うために。CDO 田中の闘いは続く。

今回は、VisionalのCDO(Chief Design Officer)を務める田中裕一さんに「パーソナルヒストリーインタビュー」を行いました。半生を振り返りながら、田中さんが大切にしている価値観や信条に迫りました。

※このストーリーは、2020年7月8日に、企業ブログ「ALL VISIONAL」で公開した記事を転載したものです。

※本記事の掲載写真は、在宅勤務への移行前に撮影したもの、もしくはリモートで撮影したものです。


プロフィール

田中 裕一/Tanaka Yuichi
通信販売会社でのEコマース事業立ち上げ、インターリンク株式会社での複数企業のプロジェクト推進を経て、2012年、株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)に入社。Eコマース事業のデザイン統括、新規事業のプロダクトマネジメント、デザイン人事に従事。2017年、株式会社ビズリーチに入社。2018年、デザイン本部を組成し、デザイン本部長兼CDOに就任。2020年2月、現職に就任。



孤独な学生時代を救った「音楽」と「絵画」

──今回は、これまでの人生を遡ってお話を聞かせていただきます。裕一さんがデザインに強い思い入れを持つようになったきっかけについても教えてください!

はい! よろしくお願いします!

──まず、幼少期や学生時代のお話から聞かせてください。

生まれてから20歳ぐらいまで、神奈川県川崎市で育ちました。

──当時を振り返って、どのような子どもだったと思いますか?

振り返ってみると、人とのコミュニケーションが苦手なタイプだったと思います。自分では後天的に克服してきたつもりですが、当時は、人や社会と上手く馴染めずに苦労しました。

また、不器用でプライドが高く、負けず嫌いな性格だったと思います。当時のことを振り返ると情けないのですが、学校でトラブルを起こしては親を泣かせてばかりでした。

高校では、軽音楽部に入って音楽制作に打ち込んでいました。

──学生時代は、音楽が好きだったんですね。

音楽が好きだったというよりも、「音楽に孤独を救われていた」というほうが正しいかもしれません。だからこそ私も、同じように孤独を抱える人のための音楽を作りたかったんです。

軽音楽部でバンドを始めたのですが、ただ、やはりバンドメンバーと仲良くできなくて。それで結局は、自分でいろいろなパートを演奏しながら一人で音楽を作っていました。

学生時代は、ずっと孤独感を抱いていましたが、それでも、音楽を聴いたり作ったりするなかで、とても救われるような思いをしていて。だからこそ、いつか、自分と同じように生きづらさを感じている人に対して、手を差し伸べられるような大人になりたいと思っていました。

──デザインに興味を持つきっかけは何だったのでしょうか?

ある時、マルク・シャガールの作品と出会い、どんどん絵画の世界にのめり込んでいったことがきっかけでした。それがきっかけで、ファインアートを学びに専門学校へ進学しました。

──シャガールのどのような点に強く惹かれたのでしょうか?

シャガールは、第一次世界大戦の最中に妻と娘を連れニューヨークに亡命するも、妻がウイルスに感染してしまいます。戦時中ということもあり適切な治療を受けることができず、そのまま妻を亡くなってしまっているのですが、それでも、愛する妻を想いながら晩年まで美しい絵を描き続けていたんですよね。

彼は不遇な人生を生きたのかもしれませんが、自らの孤独を、表現として昇華させました。生きづらさを感じながらも、懸命に表現活動を続けた彼の人生に、自分の生き方を重ね合わせていたのかもしれません。

──高校生の時は、具体的に、将来どのような仕事をしたいと考えていましたか?

音楽、絵画に救われてきた当時の僕は、初めは、そうしたアートを提供することによって、自分のように生きづらさを抱える人たちを救いたいと思っていました。

しかし、アートは、誰かの心を癒したり、慰めたりすることはできても、その人や社会が向き合っている問題や課題を直接的に解決することはできません。

本当に解決するのであれば、社会でビジネスを通じて影響力を発揮しなければならない。でも自分は人や社会の中で生きるのが苦手で、生きづらさからずっと逃げてきた。それに気付いた時、強い無力感を感じ、絶望しました。しかし、アートで学んだ基礎が活用できるデザインであれば、こんな自分でも人や社会と接続し得るのではないか。それしか方法はないと考えるようになりました。

そして、「ビジネスの世界でデザインを活用することで、人や社会を動かしたい」「そうした新しいビジネスの仕組みを創ることで、自分のように生きづらさを感じながら生きている人に希望を与えたい」と思うようになりました。

私が社会に出るタイミングがWebデザインの黎明期と重なっていたのですが、その時期にWebデザイナーの求人を出している会社を見つけ、通販事業会社でデザイナーとして働き始めることができました。加えて、通販事業者にもeコマース化の流れが来ており、Web事業の需要が爆発的に高まっていたことも、ファインアートを少し学んだだけの私が挑戦できる後押しとなりました。この時、時代の変化をチャンスと捉えて行動を起こせたことは、その後の人生の自信に繋がりましたね。



自分と社会、そしてビジネスとデザインを結びつけるために闘い続けた日々。そしてビズリーチとの出会い。

──実際に働き始めてみていかがでしたか?

1社目の通販事業会社では、自分と社会の接続に必死でした。なにせ、学生時代はずっと、人とのコミュニケーションのとり方もろくに知らなかったので、周りの人たちとのビハインドも大きいと感じていました。

働くなかで、周りの人たちとの力の差を感じ悔しい思いを抱きましたが、「一日でも早く価値を発揮できる人間になってやる」と決意し、狂ったように仕事をして、毎日の睡眠時間を削って、仕事終わりに早朝まで勉強をする生活を続けました。

結果、自身のデザインが事業の成長やお客様への価値に繋がり、いつしかデザインチームのリーダーを任されるまでになりました。それまでの人生においては、何かを成し遂げる前に生きづらさに負け、いつも自分と社会の接続から逃げてきました。しかし、「自分にはもうこれしかない」という気持ちで、逃げず、恐れず、コトに向かうことで、「こんな自分でも社会で価値を作り出し、存在することができるんだ」という意識を確立することができました。

──「自分と社会を接続する」という一つの闘いが終わったのですね。

はい、昔からのコンプレックスは、その時に解消されました。

今でも生きづらい自分の根っこは変わっていないと思っています。しかし、そんな人間でもきっと自分と社会を繋ぎ、価値を生み出すものがあれば大丈夫。自分にとってそれがデザインだった。社会に出たばかりのまだ何者でもなかった当時の私は、デザインを通して初めて生きることに必死になれました。だからこそ、自分と社会を接続してくれたデザインに感謝しています。

そして次は、デザイナーとしての上昇志向が出てきて、Web制作会社に転職しました。そこでは、ディレクターやプロダクトマネージャーの経験も積みました。

その後、2012年にDeNA のEC事業部にデザインチームのリーダーとして入社しました。

ただ、私が配属された当時のEC事業の組織は、事業を成長させる上でデザインをうまく活用することができていなかったため、私が入社する前にデザインチームが解体されたばかりでした。私にとって、デザインは、社会と自分を繋いでくれた大切な存在だったからこそ、デザイナーとして情けなく悔しい気持ちを抱きました。

そして、この時に「ビジネスとデザインを正しく結びつける」というテーマを掲げました。

まず、事業のKPIを分解し、ユーザーゴールと一連の行動に紐づく指標を再構築しました。事業戦略からブレイクダウンし、ビジネス上の成果とユーザーの行動の関連性を数字で可視化し、そこに対してデザインを活用することで事業上の課題が解決できるであろうことの仮説と計画を明示しました。事業指標上と関連する指標の責任を担い、それを実現するための戦略を立て、デザイナーを巻き込み、ビジネス上の説明責任を担うチームとして変革させたのが一番はじめの仕事でした。

そして、およそ10名強のデザイナーはそれまで決められたものを作るチームから、事業成果に対してデザインを活用して自身の思考と行動でコミットできるチームへと変わり、事業上の大きなブレイクスルーを幾度も生み出し、デザイナーのチームから事業MVPを数年にわたって輩出するまでに至りました。結果的に、入社時に解体されたデザインチームは新しく組織化され、設立から1年ほどで約80名規模の組織にまで成長しました。

定量的にデザインを活用しビジネスを加速させることを体現したことで、その後はユーザー体験の設計や新規事業におけるリサーチやサービスの設計など幅広くデザインを導入することに繋がり、結果、EC事業を大きく成長させることができました。

それが、DeNAに入社して3年が経った頃のことでした。その頃にはもう、DeNAに入社した時に抱いた悔しいという思いは解消されていました。「ビジネスとデザインを正しく結びつける」というテーマに、一つの区切りをつけることができたのだと思います。

──当時、次のキャリア選択について、どのように考えていたのでしょうか?

もともとは独立を考えていました。「デザインのチカラを最大化し、今は世の中にない新しい価値を創出する事業が作りたい」という想いを持っていたので、事業プランを立て、投資家と話を進めたりもしていました。

並行して他の選択肢も検討するなかで、ビズリーチ・CTOの(竹内)真さんと出会いました。真さんから、「ビズリーチは、ものづくりの文化を大切にしていること」「経営×デザインに本気で取り組んでいきたいこと」を説明してもらい、ビズリーチという会社に興味を持ちました。

そして、いろいろな人とお話しするなかで、「ビズリーチであれば、独立して10年、20年かけて成し遂げようとしていたテーマを、5年で実現できるかもしれない」と思い、2017年4月に入社をしました。


定例の部署横断ミーティングの集合写真


デザインのチカラで課題を発掘して、新しい事業を作っていきたい。

──Visional(※2020年2月、グループ経営体制に移行)には、どのような人が多いと思いますか?

「世の中の課題を解決したい」という強い想いを持って働いている人が多いと思いました。また、そのことと関係していると思うのですが、目的志向の人が多いですよね。

Visionalのデザイナーにも、目的志向の文化が浸透しています。HOWではなく、WHYから思考する人が多く、時には、目的に適わないのであれば、デザイナー自身が「そもそもこのデザインは必要ないのでは?」と判断することもあります。

ビジネス職、エンジニア職の仲間についても同じことが言えます。「世の中の課題を解決したい」という強い想いを持って働いている人ばかりで、同じように、みな目的志向が強いですよね。

また、会社全体の文化として、ものづくりを尊重する文化があります。経営層の中にもクリエイティブの大切さを理解している人が揃っていて、経営会議でも、論理と情緒のバランス感覚を重んじながら意思決定するケースが多いと思っています。

──入社後に掲げたミッションや、その実現のために取り組んできた施策について教えてください。

CDOとしての私のミッションは、「経営とデザインを統合して、デザインを活用し、より価値のある事業やサービス、プロダクトやコミュニケーションが生み出される企業をつくること」です。

そのミッションを実現するにあたり、入社してから一つずつ順番に施策を打ってきました。最初の2年は、とにかく人事戦略に注力しました。採用を中心に配属、組織、パフォーマンスの向上のためにできることを全てやりました。

そして新しく、デザインフィロソフィー「We DESIGN it.」を掲げました。これは、Visionalで働くデザイナーにとっての哲学となるものです。将来的にどのような体制に変化したとしても、一人一人が「Visionalのデザイナーは何のためにデザインをしているのか?」という目指すべき旗印をしっかりと意識できるために定めました。また、このデザインフィロソフィーは、社外から新しい仲間を採用するためのメッセージング、採用ブランディングとしての意味合いもあります。

現在は、モノづくり、コトづくりに向けてデザインをより働かせていこうというフェーズ。まだまだ試行錯誤の段階ですが、事業推進上、あらゆる判断の中でデザインのインパクト、経済合理性、品質担保における基準を定めています。そして、デザインを最大限パフォーマンスし、事業づくりを通じてさらに大きな価値を生み出し、「未来のアタリマエ」を目指していきたいと思っています。

──これまでのキャリアを振り返ると、裕一さんは「自分と社会を接続する」「未来のアタリマエをつくるために、ビジネスを通じてデザインを働かせる」といったテーマと向き合いながら、懸命に闘い続けている人なのだと感じました。今、裕一さんは、どのような闘いに挑もうとしているのでしょうか。

先ほどお話ししたCDOとしてのミッションにも通じますが、私がVisionalで最も実現したいテーマが「デザインのチカラで課題を発掘し、新しい事業をデザインすることで、未来のアタリマエをつくる」ことです。

──そのテーマを実現するために、今最も注力していることについて教えてください。

今最も注力しているのが、経営レベルにおいてデザインの可能性を合理的に可視化し、意思決定を行うことです。

ヒト・モノ・カネなど、経営におけるROIが測りやすい他の様々な要素と比べて、デザインは、その価値を定量的に測るのが非常に難しいものだと思っています。ただ、経営レベルにおいて、例えば「この事業の中長期的な成長に、こういったデザインの施策が必要である」「ブランドを毀損することによって、これだけ損失を被る可能性がある」というように、顧客へ提供している価値と経営上の合理的な判断を繋がなければ、恒常的に中長期の価値を作り上げていくことはできません。完全に定量化する必要はないと思いますし、人の感覚という余白で行われる意思決定はもちろん重要な判断材料とした上で、です。

今はまだ、経営や事業づくりにおいて、デザインをビジネスインパクトに対して上手に活用できている国内の会社は多くないかもしれません。それでも私たちは「新しい可能性を、次々と。」つくるため、「未来のアタリマエ」を生み出すために、デザインを最大限活用していきたいと考えています。

そしていつか、その先で、かつての自分のような生きづらさを抱える人を支えるような価値を、デザインのチカラで世の中に生み出すことができたら。私の人生のミッションは達成され、自分と社会を繋いでくれたデザインにも恩返しができるのではないかなと。そう、考えながら生きています。

──「未来のアタリマエ」を生み出すために、どのような方に、新しく仲間としてジョインして欲しいと考えていますか?

圧倒的な当事者意識、プロフェッショナルな技術に加え、愚直に努力し、ストイックに挑戦を積み重ね続けられる方と一緒に働きたいと思っています。

私は使命感を持って取り組んでいますが、まだ誰も成し遂げたことがないテーマに挑戦しようとしているので、きっと困難なことに直面する機会も多いと思います。だからこそ、そんな状況さえもポジティブに楽しめる方にジョインしていただけたら嬉しいです。

「未来のアタリマエ」を生み出すために、一緒に挑戦してくれる新しい仲間を求めています。

──本日は、お忙しいところありがとうございました!

こちらこそ、時間を取っていただきありがとうございました!


この記事の執筆担当者

松本 侃士/Matsumoto Tsuyoshi
1991年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2014年、音楽メディア企業に新卒入社し、音楽雑誌・ウェブサイトの編集や、採用などを経験。2018年、株式会社ビズリーチへ編集者として入社。現在は、人財採用本部・採用マーケティンググループで、「ALL VISIONAL」の運営などを担当している。


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