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代表インタビュー#2|ありのままで、虚勢をはらず、やりたいようにやる。

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第1回:LINE・メルマガ配信ASPのオートビズはこうして生まれました!

信頼獲得のための秘策。そして全国展開へ

ーー 創業期、事業を拡大していく中でどういった取り組みをされましたか?そこが一番厳しかったのでは?

メール配信ASP事業と、システム開発事業が動き出した頃、一番悩んだのが「どのように集客して、売っていったらいいか」っていうことです。

お金もないので広告宣伝ができないわけです。そこで、自治体や行政とつながって信頼を得よう、と考えました。

するとたまたま群馬県が「実は県としてもSOHOのワークスタイルを推進しようとしてるんですよ」という状況だった。チャンスだったんです。

それで県のSOHOやIT推進の事業に関わらせていただいたり、地元メディアにも取り上げていただいたりして、対外的な信頼を獲得していきました。

でも、ビジネス的には厳しかったです。

このままやっててもダメだなぁと思って地元の行政がらみのことはやめて、サイト制作などの受注仕事も減らしてオートビズを全国展開していこうと思い立ちました。


一点突破・接近戦でチャンスを掴む

ーーどうやって全国展開をしていこうと考えたんですか?

僕が経営戦略として一番影響を受けているのが「ランチェスター戦略」です。

これはいわゆる弱者の戦略で、狭いカテゴリーでナンバーワンになる。どこでナンバーワンになるかを決めて、そこに一点集中。一点突破。

そこに全リソースを集中させて、大手がなかなか参入しづらいニッチなところを占拠する。
あとは、戦国時代のように諜略をして仲間を増やして領土を拡大していくイメージ。

ECで有名な人、ネットマーケティングで有名な人、と狙いを定めて、その人の本を読みまくりながら、オートビズを使った集客のプランを考える。

そのプランを持ってその方のセミナーへ行って、名刺交換の時に

「集客とかセールスを自動化するシステムを開発しています。○○さんの集客を増やすプランを考えたんですけども、あとで連絡してよろしいでしょうか」

と言って。この数秒で掴めるかどうかが勝負で、、まさに接近戦ですね。
意外とこれがハマって、「面白そうですね。あとで連絡ください」となって。

そしたら、帰ってすぐに連絡して、「とりあえず無料で使ってください。うちもまだ駆け出しで実績がないので。無料で使っていただいて、ほんとにこれがいいものかっていうのを確かめてください」

「こうやったらリストも取れるし、こうやってステップメールを組んでみてください」と教えて差し上げて、味方になってもらう。

そこから「今度書籍で紹介させてもらってもいいですか」とか「私のクライアントに紹介してもいいですか」と、どんどん輪が広がっていきました。

田舎の何の実績も信用もない超零細ベンチャーの僕らがどれだけいいものだと言ってもなかなか信頼してもらえないですけど、影響力のある方が「いいものだよ!」って言ってくれれば一気に価値が広まる。

「誰が言うか」がすごく大事で、いろんな方に紹介していただくことでビジネスチャンスにつながっていきました。

不完全だからこその伸びしろ

ーーシステムもどんどん進化させていったのですか?

お客さんから要望がきたら、すぐに直すんです。
「これ、こういうふうにならない?」と言われたら「すぐやります」と、必死こいて開発して。

「お客様と共に進化する」っていうコンセプトで、どんどんサービスを進化させていきました。

僕らも、小さいベンチャーが作ったシステムだから、まだ未完成なところがあると自覚があって、お客様に育ててもらいたい。

僕らが育つことで、お客様のビジネスも育つような仕組みにしていきたいと思ってやってきました。

物は言いようで、自分たちができない部分をうまく正当化しながら(笑)

不完全だからこそ伸びしろがある。あなたの要望に、僕らは応えられるかもしれない。もっとこういうシステムにしてほしいと思ったら、そうしますから。

一緒に作り上げていきましょうよ、というノリです。

お客さんもそういうサービスを使うと、自分が育てた気分になって嬉しいんだと思います。

一緒に作り上げるというのは、システム自体だけの話ではありません。お客さまが取り組んでいらっしゃるメルマガやステップメールも、読者に育ててもらえばいい。

個人でメルマガをはじめるときも、こういう考え方でいいはずなんですよね。

無理に大きく見せようとか、凄そうに見せようとするのではなく、小さく、自分なりのやり方で、周りの人に育ててもらう。一緒に進化していくのがいいのかな、と。


「あなた詐欺師ですか?」

ーー順調にビジネスは成長していったんですね

そうは言いながらも、大変な時期は長かったです。
まだまだ受託の仕事もしていて、地元(群馬県)でデザイン会社の一画を借りてオフィスにしていました。

そのデザイン会社は外資や大手企業の仕事をしていて、僕らも一緒になってマーケとか開発を担当させてもらいました。本当にそこの社長にも社員さんたちにもお世話になって。

某自動車メーカーの新車プロモーションのメール配信システムも開発させてもらいました。
ここまで大きなプロジェクトは初めてで、プレッシャーもハンパなくて肉体的にも精神的にもキツかったですね。

それと同時期に、うち単独である会社のサイトリニューアルのコンペに勝ってしまって。まず取れると思わなかったので予想外でした。

完全に同時進行だったんですが、相手の担当者がちょっとひどくて、夜中の一時とかに平気でいきなり電話がかかってくるんです。

「ちょっとあの件なんですけども」「修正してもらっていいですか」とか「ページ追加してもらっていいですか」バンバン来るのでおちおち寝てられない。寝てても起きてました風を装って電話に出て(笑)


ーーそれはキャパ的にかなり厳しかったでしょうね

それでも、どうにか良い物にしたいから一生懸命に対応してました。

ヒリヒリしたスケジュールのなか、どうにか仕上げて請求書を送り「やっと一息つける」と思ったときに電話が鳴ったんです。そこの社長から直接連絡が来て「今すぐ来い」と。

大急ぎで東京のオフィスに行くと、社長が見積書と請求書とバッと出して「何ですかこれは」とおっしゃる。

「見積もり金額と請求金額が全然変わってるじゃないか」って。そりゃ、変更依頼が度重なって、ページ数は倍ぐらいになってますからね。当然、金額も変わります。

「ちゃんと担当の方と話してやりましたよ」と言っても「ウチはこれしか予算取ってないから」と話にならない。

「担当に聞いたら、そんなの知らないって言ってる」とも言われました。

「そんなはずないでしょ!勝手にやるわけないじゃないですか!」と反論したんですが、

「おかしいでしょ。倍になるなんて。おたくはこれで見積もり出してるんだから、これでやるのが普通じゃないの?」「そちらはこういう詐欺みたいなことをやってるんですか?あなた詐欺師ですか?」とまで言われてしまったんです。


ーーそれはショックですね…

その会社のために寝ずで対応して、お役に立ちたい一心で頑張ってきたんですよ。
なのに「詐欺師」と言われるなんて…。

そのあとどうやって家に帰ってきたか記憶がないんです。ただ、目の前でガラガラと色んなものが崩れてしまった感覚だけは覚えています。

それからですね、なんにも手がつかなくなったりとか、感情のコントロールができなくなったりするようになりました。おかしいなあと思ってね、ネットの”鬱チェック”で調べてみたところ、見事に当てはまってる。

まさかと思ったけど、仕事に支障が出てきたのでさすがにマズいなと…
それで仕方なく病院に行ったら「鬱病」と診断されました。

まあまあストレス耐性もあるし、基本ポジティブな自分が鬱になるなんて思ってもなかったので、そんな自分が情けなくて自己嫌悪でしたね。

そうして薬を飲みながら仕事をするようになったんです。


鬱との苦闘とコーチとの出会い

そうやって鬱になったのは2004年くらいなんですけど、その少し前2003年くらいにある異業種交流会である方と出会いました。

その方の肩書が「コーチ」だったんです。まだコーチングも一般的じゃなかったし、コーチと言ったらスポーツのコーチとか、そんなイメージ。「ビジネスのコーチです」なんて言われてもピンとこなくて、コンサルタントと違うんですか?なんて聞いてコーチングの概要を教えてもらいました。
それから「僕のコンサルにも活かせるのでは」とコーチングの初歩的なことを学んでいったんです。

ただ、おかしくなってしまってからは「コーチングなんて」とどうでもよくなっていました。

そしたら、ちょうどそのコーチの方が「私のコーチング受けませんか」と言ってくださったんです。だから「鬱になってしまった」って素直に打ち明けました。

本来はコーチングは鬱の人に対してできないんですよ。カウンセリングとコーチングの違いについて、ご存知の方も多いかもしれませんね。

いろんな定義はありますが、簡単に言えば、マイナスをゼロに戻すのがカウンセリング。ゼロ以上の人をさらにプラスにしていくのがコーチングです。

鬱の状態で「いや、できねーって俺は…」と思っているのに、「頑張れ」とか「どうしたらできるようになると思う?」とか言われてもきついんですよ。だからコーチングアプローチっていうのは、鬱の人に対しては絶対にできない。

でも、そのコーチの方は、コーチングを受けられない僕に対して、励ますでもなく、

「渡辺さんも起業してずっと突っ走って来たからね。」
「神様もちょっと休んでこれから先のこと考えればって時間を与えてくれたんじゃないの?」
「まあ心も風邪ひくっていうしね、休養も必要だよ」って。


ービジネスをやっている以上、資金繰りの問題もありますし、「休めない」と思ったのでは?

ぶっちゃけ思いました(笑)

でも僕は自分を見失ってたし、将来のことも描けなくなっちゃってたんですね。
お金ないけど、やることはやらなきゃいけないし。でも、無理にやり続けるのもどうなんだろうなと思った。

その方とのやりとりは、ほとんどがメールでした。ちょこちょこと「最近どう?」みたいな感じのメールをくれるんですよ。

メールの中で、僕の視点を変えてくれるようなところを聞いてくれるんですよね。

するとそのうち、僕もちゃんと打ち明けられるようになっていった。

嫌われる怖さを乗り越えた、ある一つの質問

ーーコーチの言葉で気づきがあったんですね

要するに、僕は嫌われるのが怖かったんです。

「大したことない本当の自分がバレてしまったら、みんな僕の周りからいなくなっちゃうんじゃないか」という恐怖があった。だから出来るように装う。

出来もしないのに「できる」って言ってみたりとか、虚勢を張ってみたりとか。
メッキにメッキを重ねて本当の自分じゃない自分でいなきゃいけなかったんですよね。

“渡辺さんの周りに100人の人がいるとして、背伸びして自分らしくない渡辺さんに全員が「いいよー」と言って一緒にいてくれてる状態だとするよね。ところが本当の渡辺さんを見せたら、99人が去っていった。でも一人だけ、「そんなお前でもいいよ」、という人がいたとする。偽りの自分で100人と付き合うのと、ほんとの自分で一人と付き合うのと、どっちがいい?”

ってコーチに聞かれたんです。

この質問には相当悩みました。「いやでも、99人に去られたらきついな」と思って。

だけど、本当の自分をさらけだして「そんなお前でもいいよ。付き合ってやるよ」って言われたら、なんか僕はその人のために色々頑張れそうだなと。

なんか、一人でいいや!と思えたんです。

たった一人でも、僕のことをいいよって言ってくれる人がいるんだったら。ゼロじゃないし(笑)

それは家族かもしれない。僕がそんな状態でも「一緒に頑張ろう」と言ってくれるビジネスパートナーもいる。お客さんもいる。なんだかんだ一人ってことはないじゃないか、って。

僕はその人たちのために、これから頑張ろうと思ったんです。

「大きく見せようとするのをやめて、本当の自分を出そう。やりたいことをやりたいようにやっていこう。誰に遠慮する必要もないんだし」と思って。

そうしたら、急に楽になって言って、そこから鬱を抜け出せたんです。

少しずつ薬を飲まなくなりました。なんとなく、やる気が出て来る、あれ?と。

そうして鬱を抜け出して、僕は「オートビズを育ててたくさんの人に提供する!」という決意が固まりました。そこから、ぐーっと、ビジネスの調子も良くなっていきました。


>次の記事 第3回:たくさんの人に、チャンスを与えて、チャレンジしてもらいたい


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