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幼少期から活発で卓球にすべてを注いできた代表の田中千晶さん。
今回は〇〇万円稼いだ大学時代のエピソード、起業までのきっかけに迫ります!
起業のきっかけは?
高校の時に卓球をめちゃくちゃやっていたのは起業したきっかけかなぁ。その日のコンディション、対戦相手ありきなんだよね。運みたいなところもあるじゃん。0:100で戦うリスクを考えちゃったんだよね。自分の努力が報われることがないのかなぁと考えるようになったんだよね。
世の中の成功者はどんな人がいるんだろうって考えたんよ。そうしたら会社を経営してる、事業を企画・経営している人たちだなと思い始めたんだよね。高三のインターハイ終わった時には経営者は自分の努力が安定していると思ったんだよね。
大学はどのようにして選んだのか?
大学の前に浪人をして、武庫川女子大学の情報メディア学を学びたかったんだよね。浪人していざ入学すると周りはお金持ちのお嬢様でキラキラすぎてついていけなかった。大学1年の4月、5月には「何で浪人してまでここに入学したんだっけ?」「この授業を学んでいて将来後悔しないのかな。」ってなったんだよね。周りがキラキラすぎてついていけなかったのと今までの自分の努力が報われる感じが全くしなかったんだよね。
それでもっと地に足をついたことがしたい!と思って色んなアルバイトを探していた。学費、下宿代自分で払わないといけなかったんだよね。お金を稼ぐために餃子の王将、広告代理店の内職、ベットメイキングを掛け持ちして身体を壊したんよ。その時に効率的にお金を稼ぐ方法はないかなぁと思ってた先輩の女性営業マンがホットペッパービューティーを売っていたんだよね。情報メディアを学んでいたから手伝わせてもらったんだよね。そこで考えた提案書でコンペで大きいのが当たったんよ。そこで見込まれて営業だと時給+歩合がもらえることを知ったんだよね。
大学時代の仕事内容
BESの前はアントという会社で営業は得意ではない広告代理店に勤めていた20個上の先輩(フォトグラファー)の方の元で大学1年の2月の頃に仕事をしておりました。
昼休みにテレアポをして、リストを自分で作って携帯からコールして、美容院などにに商談をしておりました。午前授業、午後アポイントに3件いき、授業ない日は5件訪問をしました。印象に残っている場面として皮膚科会社に営業。46歳くらいのおばちゃんが担当していたので若く見られがちだからロープレや雰囲気作りを頑張りました。そこで『あなたみたいな若造に任せられない。』と土正面からそれを言われて、帰りの電車で泣きました。
そこからスカートじゃなくてズボンの方が大人っぽく見えと思い変更し、腹から声を出したり、どうやったら信頼されるか、どうやったら大人っぽく見られるかを必死に考えました。
大学2年生からはケータイサイトの営業をしておりました。大学1年生の悔しい経験から自分を見つめ直した結果、月200万円まで稼げるようになりました。そこから100万円を稼いだら事業を回すことにして、21際の時に26歳の人を雇用しておりました。そこまでは良かったのですが、二期目がしんどく赤字1,400万円を出し融資受けて、資金を借りたが赤字になりました。
また事業としてやっていた田中塾を開催したが個人の顧客に対しての人件費が高く、払えるか不安になり円形脱毛症になりました。
この挫折経験から今の時代を見つめ直し、SNSが今後は売れるのではないかと思った。大学2年から4年でケータイサイトを売っていたが売れなくなっていたのでそのようなことを思いました。また競合が出てきたことも要因としてあった。その後、大学で情報メディアを勉強していた。みんなが打ってないメディアは何なのだろう。アメリカからメディアが日本に来るので、大資本があれば勝てる訳ではない。SNSがあればみんながハッピーになる。どうやってアメリカの企業は売上を上げるのかを考えました。
なので、大学卒業時にはFacebookの運用代行をやっておりました。
対象が個人ではなく、法人にするようにして会社単位に同じことをすれば良いと思いました。
また、SNSは可能性を無限にするツールなのでその人の強みを最大限出せますので、特別な人脈がなくても、可能性を無限になれます。
自分もシリコンバレーに行くきっかけがあったのですがそれもSNS経由でした。リンクトインでアメリカのマーケーターへ営業をしてたり、Googleのマーケティングの人と繋がれました。
そこでGoogleのラウンジで対話してました。
自分で動き続けて結果を求めた結果が今の自分があると思いますし、凄く良い経験をつめたので
今後も動き続けていきたいと思います