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どんな経験も無駄じゃない。大学中退、転職8回。闘病生活も経て、辿り着いたベルフェイスとは

こんにちは。ベルフェイスで人事の責任者をしている西島です。

今回は、2018年1月に入社し、プロダクト事業部のテクニカルサポートチームで活躍中の水野に迫ります。日々起こるお客様の問い合わせ対応から、社内e-learningの仕組み化など、広範囲で活躍している水野に話を聞きました。

実は、この話を聞く前に水野がTwitterでこんなことを書いてくれていました。

他の人から見ると壮絶にすら見える過去をプラスに変え、前向きに進む彼女。過去から今のベルフェイスに至るまでの経緯について語ってもらいました。

いろんな経験を積んでいるからこそ、強い。そんなことを感じる人材です。


偏差値28から国立大学に入学。それでも中退したワケ。

――大学を辞められたきっかけは何だったんですか?

そもそも昔から勉強が好きではなかったんです(笑)。高1の模試の結果は偏差値28。両親から「国立大学に入れば一人暮らしをしていい」と言われ、一人暮らししたさに猛勉強して埼玉大学の教養学部に入学しました。

でも、大学に受かることがゴールだったので燃え尽きてしまったんですよね。当時、一年生の後期で取得した単位はたったの9単位(笑)。「このままじゃだめだ。辞めて働いた方がよっぽどいい」そう思い、二年生になってすぐに大学を辞めました。


――その後は、どんな仕事をしてたんですか?

具体的にやりたいことはありませんでした。なので、色々やりましたよ。学生時代から続けていたレストランのホール、アパレルのオープンスタッフ、家電販売に外資系の完全歩合制の個人営業。どれも共通していたのは、『お客様と直接関わること』ですね。しかし、どれも2年と続きませんでした。

正社員として誘われたこともありましたし、会社の都合で退職せざるを得なかったこともありました。

大変だったのは、お金がなくて電気もガスも止まったこと(笑)。当時は恥ずかしくて誰にも相談できませんでした。

でもそれ以上に辛かったのは、周りの友達がみんないい会社に安定して勤めていたことです。久々に会って「また転職して今は何してんだっけ?(笑)」と聞かれると笑って答えていましたが、自分自身で「なんで私は仕事が続かないんだろう」と悩んでいました。


――転機はありましたか?

転機は、その後飲食店に勤めたことです。ホール担当で入社しましたが、研修の一環として調理場を任されたのがハマりまして、すぐに調理場の主任になりました(笑)。

元々、すごく仕事をしたいタイプなんですよ。勤務中に暇な時間があるのが嫌でしょうがなくて、それで退職したこともありました。その点、飲食店の調理場って、勤務中はずっとオーダーが入るか仕込みをしていられるんです。1日中鍋を振って、それこそ馬車馬のように働きましたね(笑)。すごく楽しかったです。

転職4回を経て、やっと続けられる仕事へ。しかしその直後に…

――なぜ辞められたんですか?

24歳のときに、乳がんになったんです。幸いステージⅡという初期でしたが、手術、抗がん剤、放射線、ホルモン療法と一通り治療しました。

その手術でリンパ節を取り除いたので、腕に浮腫みが出るようになって力仕事がうまくできなくなりました。とてもいい会社だったので、治療中も生活費はいただいていたんです。そのため一度は飲食の現場に戻りましたが、体力的に続けるのが難しく退職を決意しました。

でもちゃんと良いこともあったんですよ。当時の料理長が今の夫なんですが、がんを見つけてくれたのも、闘病を支えてくれたのも彼でした。ここに勤めて彼に出会えて、本当に良かったです。

――治療中はいかがでした?

ただつらかったです。何がつらいって、抗がん剤の副作用がひどかったですね。体力は落ちるし、髪は抜けるし、体は浮腫むし、醜い姿を見られたくなくて誰にも会いたくない。

だから休職してずっと家にいたんですが、例えばビデオ1本見ようとしても体力が無くて見られないんですよ。開始10分で疲れちゃうんです。ビデオを見るだけでこんなに体力がいるんだって初めて知りました。

そうやって、精神的にも体力的にも辛い状態が3か月続きました。でもそんな中でも、また良いことがあったんです。

私は、病気になる前は人の目をとても気にしていました。だけど闘病中「もし今私が消えても誰も気づかないし、同じように明日は来る。世間からするとなんにも変わらないんだなぁ」と思ったことをきっかけに「いてもいなくても変わらないのであれば、好きなことをした方がいい。どうせなら楽しく過ごそう」そう思えるようになりました。

――その後、完治されたんですか?

4年ほどで治療を終えて、再発もなく、今は定期検査をするだけになりました。

その後は、大手通信企業のコールセンターや住宅企業のシステムヘルプデスクで、電話のオペレーターとして働きました。オペレーターを選んだのは「デスクワークでもたくさんのお客様と話せる」と思ったからです。向いていると思いましたし、電話口で直接「ありがとう」って言われるのは嬉しかったですね。

しかし派遣社員だったので、契約で決まっていること以外何もできませんでした。また2社目では、サポート対象のシステムが他社で開発されていたので、問合せや要望をいただいてもただの橋渡ししかできなかったんですよね。それをもどかしく思い、合計4年ほど勤めたのち、転職を考えるようになりました。

――当時の転職活動の軸を教えてください。

1:サポート系の職種であること
2:サポート対象のシステムが自社開発であること
3:尖った人(突き抜けた良さを持っている人)が率いる会社であること

これまでの経験から、この3点を満たす会社を探しました。私はこれまで何でも平均点止まりで『これだけは誰にも負けない』というものが何も無いのがコンプレックスでした。しかし、だからこそ尖っている人のサポートをするべきだと思ったんです。その中で辿り着いたのがベルフェイスでした。

自分には何もないと思っていた。しかし、良さは大切な人が教えてくれた。

――ご自身の持ち味がサポートだと気付いたきっかけはあるんですか?

それは、周りの人が教えてくれました。

まず1人はコールセンターの同僚です。同僚が資格の勉強をしていたので、仕事の休憩時間中に神社でお守りを買って渡したんです。その時に「自分にメリットがなくてもそうやって人のために動けるのって、水野さんの良いところだと思う」そう言われました。

また、夫からは「確かに尖っている部分はないかもしれないけど、誰かのサポートをすることや人に優しくできるところはすごく優れていると思う」と言ってもらいました。

これまで、自分はたいしたことない人間だと思っていたんですが、サポートする側の存在も大事なんだと教えられました。あの時教えてもらえてなかったら、「尖った何かを見つけなきゃ!」と今でも迷走していたと思います(笑)。

――その中でベルフェイスを選んだ理由を教えてください。

会社の理念や背景に共感できたことです。システムやツールって、何かを変えるため、困っている人を助けるためにあるべきだと思うんです。

ベルフェイスは、社長がインサイドセールスをして、使えるツールが無くて困ったので作った。そのシンプルなストーリーに共感して、応募する前から「私ここで働くだろうな」って思ってました(笑)。

――ベルフェイスの良さって何ですか?

これまで勤めた企業と一番違うのは、裁量の大きさですね。

手を挙げたら積極的に挑戦させてくれるのはもちろん、個人の働き方を考えてくれているんです。今年4月には、引越しを機に「在宅勤務をしたい」という希望を出したところ快く承諾してもらいました。

もっと早くベルフェイスに転職すれば良かったって、つくづく思いますね(笑)。

また「ありがとう」の言葉がやりがいだという話をしましたが、チャットサポートでも同じようにフィードバックをいただきます。直接言われない分、よりリアルだと思いますし、そこで良い評価をいただけるととても嬉しいです。

――最後にメッセージをお願いします。

これまでに悩んだことも辛かったことも含めて、無駄なことは何もありませんでした。

大学を中退し、転職を繰り返し、同級生に負い目を感じた日々がありました。

しかし今の仕事では、飲食に関するお客様へ具体的なご提案ができますし、コールセンターで学んだネットワークの知識や大手企業のPC環境など、これまでの経験が活かせています。むしろあの経験が無かったらこんなに充実した生活はできていないと思います。

ベルフェイスでは転職回数の多さはマイナスにはなりません。人と比べてしまっても、自分に自信がなくても、それでも一生懸命やれる人。そんな人にもウェルカムな場所だと思います。

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