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Legal Techスタートアップの創業者が、別のスタートアップに参加する意思決定を行った裏側

電子契約サービスの開発のきっかけとなる電子チケットとの出会い

佐藤さんって今も超アクティブな方ですが、学生時代はどんな感じだったんですか?

大学時代は、立命館大学と、その提携校のUBC(カナダ・ブリティッシュコロンビア州立大学)で、経済と、異文化間コミュニケーションを勉強してました。カナダ時代は、英語にキャッチアップするために、ほぼずっと勉強したり映画観たりしていました。日本時代は、授業よりもアルバイトやインターンに積極的でした。レストラン、居酒屋から始まり、コンサートやイベントのスタッフを経て、最終的に落ち着いたのはWeb制作会社でのコーダーのアルバイトでした。テレビやラジオ、雑誌などとの、メディアミックス型Webサイトを担当することが多かったです。


カナダ・バイトとやっぱりアクティブですね(笑)就活などで想い出ありますか?

新卒での就職活動時は、金融志望でした。VCやりたかったんです。当時(20年前)はまだ、あまりインターネット系のスタートアップに投資するVCというのはなかったのですが。たまたま新聞で、某信託銀行がインターネットベンチャーに投資するVCをやるということで、そのVCに入れてください!と、その信託銀行への就職活動を行いました。でも最終面接で「VCをやりたいから入行する」という話を理解して頂けなくて。サクラ散りました。まあ、そうですよね。笑

だったら、まったく違うことをやろう!とピボットしました。

アルバイト先のWeb制作会社にそのままお世話になることを決めました。この時のボスが、現在「角川アスキー総合研究所」代表の、福田正さんです。福田さんには、学生時代から20代の終わりまで、小さなWeb制作会社が、KADOKAWAグループでエッヂの効いた存在に成長するまでの過程を共有していただき、大変感謝しています。

KADOKAWA時代は、総研の前身である、角川デジックスのゼネラル・マネージャーとして、制作部門、運用部門のほか、管理部門、営業部門などのマネジメントを歴任しました。ちょうどグループがデジタル化に大きく舵をきっている時期でしたので、紙からデジタルへの移行を、それこそ毎日トライアンドエラーを繰り返しながら、推進していく現場の空気感をたくさん経験できたのは楽しかったです。


VCをやるという理想はかなわなかったものの、KADOKAWAで充実した日々を送られていたのですね!

でもKADOKAWAでは、福田さんがすごすぎて。笑 どんな失敗をしても福田さんに助けられるという絶大な安心感のもと、チャレンジをさせていただいていまして。ここにいては福田さんに勝てない。と感じ、泣く泣くKADOKAWAを後にする事を決意しました。(いまも福田さんとの差は開くばかりですが…)

決意はしたものの、何をするかはまだもやっとしていました。Web制作会社を自分で興すというのも、選択肢の一つでしたが、受託型というよりは独自事業をしたいと、様々な可能性を模索しました。その中で、ネットとリアルをつなぐ、橋渡しをする事業にしようという方向性になりました。

そんな中、当時チケットセゾンから業態転換した、エンタテインメントプラス(現・イープラス)の橋本社長と何回か食事をご一緒させていただく機会がありまして。当時(13年くらい前)の、社内用マーケティングダッシュボードを見せていただいたのですが。それに衝撃を受けました。お客様ひとりひとりが、どんなエンターテインメントに触れているのか。それを把握した上で、それぞれのお客様にカスタマイズしたメールを配信する仕組み。そして、需要を先取りする、世界初の抽選制チケット販売システム「プレオーダー」。すべてが、最先端でした。そして「これって、自分がやりたかった事だ。」と思いました。自分で事業をやりたい気持ちはあるものの、ちょっと勉強させてもらってやめればいいや。程度の気持ちで、業務委託としてイープラスと関わりだしました。

関わりだしてすぐ、業務委託での関わりに限界を感じて、入社しました。入社後は、事業開発部門のほか、マーケティング部門、システム開発プロジェクトなどで、責任者をさせていただきました。まだブレークイーブンしていない赤字の時代から、売上が5倍くらい伸びた時代までを、イープラスで過ごし、経験できたことは本当に自分の宝です。

イープラスでは、数多くのサービスに関わりました。インディーズバンドを、サマーソニックのステージにあげる「出れんの!?サマソニ!?」の企画/運営はすごく楽しかったです。鬼のように徹夜しましたが。笑


サマーソニックの企画・運営はすごい経験ですね。イープラスでやったプロジェクトの中でも一番印象に残っていることは何ですか?

個人的に一番印象深いのは、電子チケットです。これまで「紙」が常識だったチケットを、電子化するという取組です。電子チケットは、昔から実験レベルで進めていたものの、チケットゲートの設備投資を誰が負担するのか。という課題が解けずじまいで、実験の域から出ることができませんでした。 ブレークスルーは、スマホの普及でした。スマホの画面で「もぎる」アクションをして、チケットの権利行使する。結果、大成功でした。電子チケットを展開していく中で、自分が一番おどろいたのは、デジタル化すると、小口の利用が広がるという点です。これまで紙チケットだとコストがあわずプレイガイドに出品しなかった興行主様や主催者様がチケットを売りだした。これは後に「電子契約」サービスで起業するきっかけになりました。契約を電子化することで、これまで予想だにしなかった、新しい「契約」行為を創造できそうだ、と。

ちなみに、いまでは電子チケットは、紙チケットに迫る利用がされていると聞いています。

電子契約プラットフォームのスタートアップを立ち上げてからの道のり

なるほど、ではイープラスから独立し、トースターを創業されたきっかけは何ですか?

イープラスが楽しすぎて、気づいたらまた10年近く在籍してしまいました。でもやっぱり血が騒いだんです。小さな会社が大きくなる過程を、2連続で魅せつけられて。自分で、やってみたい。と思ってしまったんです。

実は、イープラス時代にも独立を企てたことが、2回あります。

1回目は、課金コンテンツ化できるブログ(SNS)サービスを提供する事業でです。この事業は、イープラスでやりたかったのですが、事業親和性が無いということで、やるんなら外でやりな。と言われました。 KADOKAWA時代のコネクションを駆使して模索したのですが、ビジネスモデルの核として考えていた、有料会員制(ポイント制)が、法律的に問題があり、それをクリアできず頓挫しました。でも本当に頓挫した理由は、覚悟が足りなかった事だと、いまは知っています。

2回目は、メッセンジャーサービスを提供する、コミュニケーション支援事業です。当時まだ「メーリングリスト」が、友達同士のグループ連絡手段として主流だったのですが、それをWeb上で、管理者不在で、実現しようというサービスでした。いまでいう「LINE」のようなサービスをイメージしていました。このサービスは、アーキタイプの中嶋さんや、樋口さんに毎週ハンズオンで指導いただきながら、開発をすすめていました。徐々に仲間も増えだしたのですが、最後の最後、イープラスをやめてこの事業に集中する決断ができませんでした。子どもができた直後だったのも、気持ち的に影響していたかもしれません。冒険が怖かった。 自分がそんな中途半端な状態だから、仲間も去って行きました。あたりまえですよね。 起業するために何が必要かを根本から学んだ気がします。 お金や人も必要ですが、自分自身の信念です。やりとげる気持ち。覚悟。

2回目のサービスを正式リリースできなかった自分が情けなくて、その後5年くらいずっと、その失敗を引きずってしまいました。ドン底な、暗黒時代でした。

そして、5年くらいたった頃、また起業を決意しました。KADOKAWAやイープラスで、紙をデジタルに置き換えることによるインパクトを目の当たりにしていたので、そのテーマで事業をやりたいと思いました。

ちょうどそのタイミングで、アーキタイプの中嶋さんから、某メーカーのコンピュータサイエンス系研究所が、ジョイントベンチャー先を探していて、オーディションを行う。という情報を聞きました。これは!と思い、応募しました。オーディションでのピッチの結果、多くの票を頂戴し合格し、事業開発&サービス開発することになりました。

でも実はその時、まだ自分の会社はありませんでした。ジョイントベンチャーを探す企画に応募したのに、自分の会社が無いという。笑

急いで、会社をつくりました。それが、トースター株式会社です。ちなみにこの時、子どもから「社長になるとは」という作文をプレゼントされました。この作文は、いまも自分の一番大切なコアにあります。彼女がいるから、いまも挑戦を続けている気がします。(どんな作文かは、内緒です。笑)

ジョイントベンチャーでは、メーカー側のエンジニアと、寝る間を惜しんで事業開発&サービス開発しました。そして、電子契約書クラウドサービスが産まれました。このサービスは、これまで紙で行われていた会社や個人間の契約を、電子で置き換えようというサービスです。200社以上の企業や法律事務所にヒアリングを行い顧客開発し、リーンスタートアップを実践し、βサービスを半年程度運営し、いざ、ジョイントベンチャーという運びになりました。

が、正式スタートは出来ませんでした。超巨大メーカーと渡り合えるだけの実力が、自分にはありませんでした。そのプロジェクトを自分から出る事を決意しました。作ったものは、著作権や特許、商標を含め、すべて置いてきました。情けなくて、悔しかったです。

ジョイントベンチャーの立ち上げ・経営から、別のスタートアップに参画するに至るプロセス

暗黒時代を過ごし、さらにジョイントベンチャーを立ち上げたものの、苦難の連続の中で戦い続けていたのですね。

そんな時、BEC代表の高谷と出会いました。双方でつながりのある弁護士の仲介です。 私は、電子契約の事業開発を進めていく中で、行政機関への申請業務を電子化するという市場に大変興味をもっていました。高谷の方も、電子契約に対してなみなみならぬ興味をもっていました。

某メーカーから脱した後、またいちからメンバーを募って、電子契約サービスをするという選択肢も、無くはなかったです。

でも、高谷や黒瀬(CTO)と話したり一緒に手を動かしているうちに、「自分がここに入っちゃっえば早いんじゃない?」と思うようになりました。起業家としてはこの決定は失格なのかもしれませんが、イノベーターとしては正解だと考えました。ビジョンの重なる、こんな優秀なメンバーを、いまから自分でハントするとしたら、短くても数年。見つからない可能性だってある。だったら、自分のちっぽけなプライドを捨てて、BECにジョインするのが得策だと考えました。

そういう意味で、自分は起業家タイプでは無いのかもしれません。


起業家タイプではないとおっしゃる佐藤さんですが、かなり幅広い業務に従事されてきていますよね。BECではどのようなポジションで働かれていますか?

マーケティングを統括するCMO(Chief Marketing Officer)をしています。とはいっても、まだ小さなチームなので、システム開発や営業、カスタマーサポート(カスタマーサクセス)も手伝いますし、オウンドメディアの原稿も書きます。

いまとなっては死語になっちゃいましたが、いわゆる「グロースハッカー」的な役割だと自分の中で捉えています。システム開発や営業、カスタマーサポート(カスタマーサクセス)の垣根なく、ただただ会社を成長させるために、何をするか。それを考えて実行するのが、自分の役割だと思っています。ラッキーな事に、これまでの人生で自分は、小さな会社を大きくする過程を2回も経験している。その経験をBECに注ぎ込みたい。短期間で会社が成長する端緒を、チームや投資家に実感してもらえないなら、自分がここにいる価値は無い。そういう覚悟で関与しています。


様々な場所で、自分が情熱を感じる方向に積極的に進まれ続けている佐藤さんですが、人生の向かう方向をどのように決められていますか?

常に自分が挑戦したり、まわりの挑戦を支える人でありたい。お金は欲しいけど(すごく欲しいけど)、それ以上に、挑戦者が、常に挑戦できる世の中にしたい。 人生にはいろんなフェーズがあって。病気したり、結婚したり、子どもが生まれたり、親の介護をしたり、自分の思った通りにいかないことが多い。でも、あがき続けて、挑戦しつづけたい。青臭いギターノイズを掻き鳴らす、パンクバンドみたいな人生を送りたいし、そういうバカなやつらがいたら、一緒にバカしたいと思っています。死ぬまでわくわくしたい。死んでもわくわくしていたい。笑


素敵な価値観だと思います!特殊な経歴をお持ちですが、その歴史の中で学んだ、スタートアップを目指される方に共有しておきたい考え方などありますか?

まず、動くこと。スティーブン・ブランクやエリック・リースの本を読むだけでは、本当の気付きや学びは得られません。孫氏を読むだけでは、本当の戦いに勝つことはできません。(これらの本を否定しているわけではありません。むしろ自分の中でバイブルです。)

まず実際に、動くこと。動く過程で足りないことが見えてきます。事前にどれだけ妄想したところで、その通りには行きません。一歩踏み出すだけで、分かることがたくさんあります。踏み出してみて、いまがその時期ではないと思ったら、やめればいい。人生にはさまざまなフェーズがありますし、外部環境からくるタイミングもあります。時を見極めることも大切だと思います。

そして、人と人との繋がりを大切にすること、感謝を忘れない事。自分がいま生きているのは、まわりの人のおかげだと、心から思っています。

まだまだ偉そうなこといえる年齢ではないですが。笑 このあたりが大事だと、現時点では考えています。

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