こんにちは。BEAMINGの採用担当の水谷です。
今回は、BEAMINGでCTOを務める山本にインタビュー。全3回に渡り、過去/現在/未来の3本立てでご紹介していきます。
第一弾となるこの記事では山本の「過去」にスポットを当て、人となりやこれまでのキャリア形成、BEAMING加入の経緯、仕事の哲学をお伝えします。ベテランエンジニアのこれまでの歩みは、参考になる話が盛り沢山の濃厚な内容となっております!ぜひご覧ください。
今でも鮮明に残る、プログラマーとしてのRoots
ーまずはプログラマーとしてのキャリアですが、なんと10歳から(!!)プログラムを書き始めたんですよね?
そうなんだよね。その頃は、初代ファミコンの時代で『マリオブラザーズ』とかが流行っていた時期。「ゲームを改造したいな」と思ったのが始まりだった。当時、ファミコンにキーボードを接続してプログラムを打てるものが売っていて、ちょっとしたゲームを作ったりできたのよ。それが最初だと思うな。
でも、当時は周りにプログラムやってる友達なんていなかったよね。
ー「これがやりたい!」と思ったのは何が理由だったんでしょう?
友達と一緒に外で遊ぶタイプではなく、だけどゲームをやるだけじゃ物足りなくて、何かで目立ちたいって思ったんだろうね。その手段が、僕の場合はパソコンだった。
友達に動くものを見せたら「すげぇ!」って言われるじゃない?それが楽しかったんだよね。
小学生の頃はマリオのクイズゲームを作ってみたり、中学の時は『スターウォーズ』みたいにテロップが流れるプログラムを書いて友達に見せたり。今でもはっきり覚えてるね。
ープログラマー少年としてすくすく育って、それでも就職先は全く別の業界だったんですよね?
プログラマーっていう職業を知らなくてさ(笑)。
大学を卒業した頃は大氷河期ということもあって、しばらくフラフラしていて。流石にこのままでは良くないと思って、小さな建設会社に営業 兼 現場監督として入社。
その間もプログラムは続けていて、そういう友達もいたのでホームページを作ったりプログラムを埋め込んだりはしていたね。
6年くらい続けたけど営業として大した成果も出せなかったので、退職してフリーランスでプログラムを書き始めることにしたんだ。
フリーランスと、チーム開発。紆余曲折の中での喜びとジレンマ
ーフリーランス時代はどんな仕事をしていたんですか?
当時は『ホームページを作ってショッピングカートを付けたい』っていうニーズがたくさんあって、まだプラットフォームがなかったからプログラム書ける人に依頼が来ていた。あとは、ガラケー用のいわゆる「勝手サイト」制作の需要があって、大手が一式250万円って言ってる頃に「じゃあ僕は80万で」っていうので仕事が取れてさ。時期的にラッキーだったよね。他にはWindowsのシステム開発とかもやってたね。フリーランスは6年くらいやっていたかな。
ーいきなりフリーランスでプログラマーになって、その中での学びや気づきは?
お客様はプログラムの中身とかはわからないから、喜ぶポイントが自分の感覚とは全然違うんだよね。テクニカルな部分がどうこうじゃなくて、システムのおかげでいくら儲かった、客数が増えたっていう成果につながって喜んでくれる。
完成させて、喜んでもらって、お金がもらえる。成果が出たら一緒に喜んで「次もまた何か一緒にやろうよ」って言ってもらえる。そうやって自分が作ったものを起点にして、つながって広がっていくのが楽しかったね。そこは今も変わらない思いだね。
ーその後は、企業でフルスタックエンジニアの道を選んだんですよね?
ちょうどリーマンショックの頃で仕事が途切れてきていたから、決して前向きな理由というわけではなかったんだけど、就職を。そこでチーム開発の面白さを知った。自分の携わったプロダクトが何十万人というユーザーが使って、それがデータとして見えることに感動したよね。大手ゲーム会社、アプリ開発会社、スタートアップでフルスタックエンジニアを経験して、直近は外資系金融機関でシステム開発チームのマネージャーとキャリアを歩んできた。
ーフリーランスと比較して会社員でのチーム開発では、何かギャップはありましたか?
ポジティブなギャップでいうと、やっぱりスケール感かな。
ネガティブな面では、明確には感じていなかったけど、転職してるってことは会社員の不自由さとかに違和感を感じてしまっていたんだろうな。と今思い返すと感じるかな。
組織にいるといろんな立場や考え方があって、1人の技術者の観点からこっちの方が良いと言っても、簡単にそうはいかないよね。それが何か副作用をもたらすかもしれないし、リスクも考えないといけない。経験豊富な人の意見も必要だし、複数の人で考えることが必要だって今は思ってる。
あとは、会社員になってみて気づいたけど、フリーランスだと自分ができることだけやるようになっちゃうんだよね。効率的に稼がないといけないし、フリーランスはリスクを取れないから。加えて、経験からしか学べない。『愚者は経験から学び、賢者は先人から学ぶ』って言葉があるけど、やっぱり賢者を目指さないとね。
「大人の部活」のようなBEAMINGとの出会い、そして原点回帰
ーBEAMINGにジョインしたきっかけはなんだったんですか?
元同僚とBEAMINGの代表が知り合いで、新しいプロダクトを作るタイミングで「面白そうだからやってみましょう」みたいな感じで関わり始めたんだよね。業務委託よりもゆるい感じで、「大人の部活」って呼んでたね。
そこからプロトタイプを作って、ライブ会場で使うWebアプリケーションを開発。その頃はぶっつけ本番で出していて、会場で「動いた!」って関係者も喜んでくれて。居酒屋みたいな会場で、ソファに腰掛けてビールを飲みながら喜び合ったんだよね。プロダクトリリースからしばらく遠ざかっていたから尚さら鮮烈だった。
そこから機能をリリースしていって、ライブ中のアーティストとユーザーのインタラクションも充実。ライブ会場のプロジェクターで実際に使われている様子も目にして、規模感が一段成長してる感じも面白かったんだよね。
ー小学校の頃の「スゲェ!」って喜んでくれる原体験とリンクした感じですか?
確かに、そんな感覚があったね。ライブ会場で関係者と話したり祝杯をあげたりなんて、自分がコードを書く人間じゃなければ、絶対にない機会でしょ。この仕事をやってて良かったなって思う瞬間だよね。
あとはコロナになって、これまで当たり前だった世界が削ぎ落とされていく中で、「生きるって何なんだっけ?」とか、「大事なものって何なんだっけ?」とか考えさせられたんだよね。そこはまだ明確な答えを出せていない。
正直なところ、前職でもまだやり残したことがあったし今回の転職は迷った。それでも、自分の技術をこのフィールドで生かして問題解決に貢献したかったし、自分のモヤモヤをここで考え抜いてはっきりさせたくて、入社に踏み切った感じかな。
目指すのは、「個性×個性=∞」の組織
ーキャリアを歩んでこられた中での、山本さんの仕事に対するこだわりを教えてください。
1つ目は「個性的に働く」ということ。
仕事をしていると「エンジニアとしてこう思います」、「マネージャーとしてこう思います」とか、いろんな立場でものを言って、言い訳をするんだよね。でも、それってカッコいいのか?一個人として思うのか?が一番大切。それは流動的なものだけど、問い続けないとね。
2つ目は「考える・考える・考える」。
プログラムは単なる機能開発の手段ではなくて、ビジネスや100年後の発展、自分の人生を設計していく行為だと思っている。僕らが作っているのは消費財ではないから、10年、100年、1000年後くらいまで見据えたいよね。仕事を通じて、自分のあり方もそうだし、世界をどうしていきたいのかを思いやって、具現化したいな。
3つ目は「説明責任」。
これは個性を発揮していく上での条件だよね。ただ勝手にやってるだけでは周りに受け入れてもらえない。勝手にやっているようで、「こういう理由があるんです」っていうのを周りに理解してもらえないといけない。これは一緒に仕事をする上で、重要な要素だと思う。
ー最後に、ビジョンドリブンであることを強みとするBEAMINGですが、どんな方にジョインして欲しいというのはありますか?
すごく曖昧な表現だけど、ノリが合う人。
「それカッコいいね、面白いね」ってシンプルな衝動で「やってみようぜ」って動き出せる人とか。クレイジーなインプットがある方が楽しいという人なら大歓迎だね。
あとは、美しい設計・美しいコードのイメージを持った上で、チーム開発をするための柔軟性が必要だな。そういう普遍的な「カッコよさ」みたいな美意識とか、アート思考を持った人だとすごくマッチするだろうね。
そして何より、考える人。
システムを作るっていうのは当たり前の作業としてやるんだけど、ビジネスを10年100年でいかにスケールさせていくか、そのソリューションを設計していけるメンバーが欲しい。エンジニアという黒子であり、BEAMINGや顧客であるアーティスト、そして自分をプロデュースしていくプロデューサーであって欲しいね。
それぞれが個性的で、かつ人の個性も認め合ってチームは強くなる。もちろん、そこにはシステマチックな組織論が必要だし、そこは会社としてしっかりやっていく。個性的な人が集まって、シナジーを生めるチームが理想だね。
ー山本さん、ありがとうございました!
次回は「現在」にスポットを当てて、実際の職務内容や直面している課題、BEAMINGのエンジニアの役割などを掘り下げていきたいと思います!
ご興味お持ちいただけましたら、お気軽にエントリーいただければと思います。
それでは!!