1
/
5

【社長インタビュー #1】「好き」という理由だけで選んだ人生最初の仕事はバンドマン

代表取締役 小島淳

「どん底の76世代」と呼ばれた

今年2019年でオルターブース創業5年目になります。どっぷりIT業界に浸かってますが、もともと僕はITに縁のない人間でした。僕が小中学校の頃はまだバブル全盛期で、仕事をすれば儲かっていた時代。働き盛りの父親がブイブイ言わせていた様子は今も記憶に残っています。でも高校に入った頃にバブルが弾け、急激に不景気になったので就職口はほぼ全滅。1976年生まれの僕らは就職氷河期にもろに被った世代ということで、憐れみを込めて世間では「どん底の76世代」なんて言われていました。どんよりした世の中に「じゃあ、あとは頑張ってね」と、いきなり放り込まれてしまったわけです。

就活せずにミュージシャンの道へ

どう足掻いたって出口が見つからなさそうだったし、就活も正直、かったるく感じていました。だったら好きな音楽をやっていこうと思って、高校からやってきたバンド活動を卒業後もそのまま続けました。音楽の専門学校にも通い出して、音楽漬けの日々。幸いいいご縁に恵まれ、ライブは好評、CDもそれなりに売れ、生活には困らないくらいの生計は立てられるようになりました。人生で最初にやろうと決めた仕事は、心の底から100%好きだった音楽だったのです。好きなこと、面白いと思えることを選ぶ。オルターブースの経営、採用もこの軸を貫いています。この選択をしたからこそ、当時のバンド仲間とは本当に濃密な、宝物のような青春時代を共有できて、その経験は間違いなく今の僕を動かすエンジンになっています。過去最低と言われた僕ら世代の就職率も、2000年問題やITバブルも、ただ楽しくて音楽をやっていた僕らには関係ない話でした。バンド活動でやることやり尽くして、20歳の頃に解散しました。

倉庫バイトの中で目の当たりにした社会の現実

バンドを解散したタイミングで、僕はある時計メーカーの倉庫で商品仕分けのアルバイトを始めました。そこで改めて社会の厳しさを目の当たりにします。アルバイトで入った当初はまだ商品はあまり置いてなく、ガラガラの状態でしたが、ある時から凄まじい勢いで商品が溜まり始め、在庫の山が溢れるようになっていきます。社員もどんどん退職に追いやられ、代わりに僕のようなアルバイトに置き換えられていきました。アルバイトながらにこの会社は果たして大丈夫なのかと心配になったくらい。

発注に応じてどんどん捌けていくはずの物流のハブである倉庫でこうも在庫が滞留している。誰もが知っている有名メーカーの倉庫だっただけに、この光景は衝撃的でした。うちで正社員として働かないかとのお誘いも頂いたのですが、この会社で将来を描くのは正直難しく、断りました。(#2へつづく)

株式会社オルターブースからお誘い
この話題に共感したら、メンバーと話してみませんか?
株式会社オルターブースでは一緒に働く仲間を募集しています
2 いいね!
2 いいね!

同じタグの記事

今週のランキング

楊 睿之さんにいいねを伝えよう
楊 睿之さんや会社があなたに興味を持つかも