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リクルートを出て、30歳前にもう一度チャレンジしたい事とは。思い描く自分になるために。

初めまして。ITプロパートナーズの中丸と申します。
1月に入社しまして、早いものでもう1ヶ月経ってしまいました。
となると私も入社前から見ていたこのブログを書くタイミングになってしまいました。笑
入社理由を書こうと思ったら、結構生い立ちのところから書いたほうがいいような気もして、
少々長くなりますが、お付き合いいただけますと幸いです。
僕個人は、入社前に西本さんのブログを見て(前回のりゅうさんのブログもですが)、
強く共感を覚えたのですが、そんな30歳近辺の皆さまを中心に一つの体験談として参考になればと。

簡単なプロフィールですが、
・神奈川県横浜市出身の29歳。3月で30歳。
・1月に中途入社。前職には新卒で入って6年9ヶ月勤務。
・高校生時代はラグビー部。大学時代はラグビー部の分析スタッフをしていました。
・趣味は、美味しいものを食べること(ご飯・お酒)、競馬、旅行です。三軒茶屋でよく飲んでいます。(Instagramがほぼ飲食に埋め尽くされています。)
・社会人になってからだいぶ体格が立派になりました。
では、よろしくお願いします。

生い立ち

1988年神奈川県横浜市に生まれました。何の変哲もない、普通の家庭です。
強いて言うなら親戚含めても大学行った人がほぼいない、躾もそんな厳しくない、緩やかな家庭でした。

幼い頃の自分は、今思い出してもびっくりするくらい自分勝手で、プライドも高く、
太っていて(今もだけど)、そんなんだから全然友達もいなくて、
仲間の輪に入りたいのに入れない、そんな子供でした。
そんな日々を繰り返すうちに、人と接するのが怖くなって、
めちゃめちゃ人見知りになり全然話せない、、そんなスパイラルに入っていました。

だけどプライドは高いから、そんな自分が嫌で嫌でしょうがなくて、何とか変わりたい、
そう思っていました。

中学までそんな日々が続き、高校で一念発起しラグビー部に入りました。
(太っていたから誘われたと言うのもある)

別に全然うまくもない選手でしたが、何やかんや3年続けることができ、
今でも付き合いのある一生の仲間・親友もできました。性格も少し変わりました。
これが、私の「チャレンジしたら、自分も周りも変わっていい方向に向いていく」という原体験です。

大学〜就活

そんな経験をすることができたので、大学でものんべんだらりと過ごすのではなく、
何かにチャレンジする日々を送りたいと思っていました。

ちょうど、高校のラグビー部の監督が当時早稲田ラグビー部のキャプテンの父上で、
早稲田ラグビーへの憧れが強まっていきました。それだけで大学を選んだと言っても過言ではないです。

選手としては全然だったので、スタッフ(マネジャーやトレーナーなど)としての入部を目指しました。
選手にセレクションがあるのはご想像に難くないと思うのですが、そこは日本一を目指す部活。
スタッフにも面接やトライアルがあります。

大学1年生の時、スタッフの面接に落とされました。

ほぼそれだけのために大学入ったのに。


入部のチャンスは1年に1回しかありません。
どうしても諦めきれなくて翌年再チャレンジして今度は入部できました。
大学の部活は何年生から入っても部活では1年生として扱われます。
一個下の選手たちと同期として4年間過ごしました。大学もそれだけのために4年半行きました。

でもここで過ごした経験はやはりなにものにも代え難く、達成感と成長感を感じることができました。
これが私の原体験その2です。

だから、働くにあたってもやっぱりチャレンジし続けたい、と思い
「プレッシャーかけてくれて、憧れられる人の中で、成長できそうな会社」を選んで就活していました。
(まだまだ自分にも自信なかったし)

小さい頃からテレビが好きだったのでまずはテレビ局、大手広告代理店、不動産、ネット広告、、、など業界問わず、様々受けました。が、

Webテストやエントリーシートは全部通るのに、

一次面接に片っ端から落ちました。


今思えば、人見知りで自信がなくて、いわゆる「就活のノウハウ」的なものに染まっていたと思います。なんて薄っぺらい、と今では思いますが、それくらい自分に自信がなかった。

ずっとエンターテイメント(芸能)関係の仕事に興味があったので、高校の先輩に話を聞いて、
もうどこかの芸能事務所に入社できればいい!きつい業界だけどどっかに入れるだろう!!(失礼)と
開き直って面接を受け始めたら、前職の「リクルート」にあっさり内定が出てしまいました。

リクルートは事業に興味があったというよりも、出会う人たちがみんなキツそうな仕事に前向きに
楽しんでいるように見えてとても魅力的でした。
「こんな人たちの中と一緒なら、キツイだろうけど楽しみながら成長できる気がする」
そう思い、選考が進んでいた芸能事務所は気になりましたが、まずはリクルートの門を叩きました。

1社目(リクルート)での経験

(1年目の自分。激しく垢抜けていない。)

結論から言うと、退社した今でもリクルートのことが大好きです。
新卒で入って何も間違ってなかったと思っています。
自分への自信・人への接し方・物の考え方、全てが変わったと思います。

苦手を克服したかったので「営業」志望で入社しましたが、りゅうさんと同じく震災直後に
入社したこともあり、混乱の中で「営業企画・事業企画」といったスタッフ部門の配属になりました。
それから一貫して退社までスタッフとしてのキャリアを歩むことになりました。

収支担当、高年収帯やグローバルといった新規開発領域の担当、役員会の事務局、
中途採用のスカウトサービスの担当、1000人規模の人材紹介部隊の営業企画リーダーと
いろんなことを経験させてもらいました。

私は特別優秀でもなかったですが、常に身の丈以上のチャレンジを要望してくれる会社で、
それに必死に食らいついていく中で、ちょっとずつちょっとずつ成長していった毎日でした。
一番変わったのは物の考え方。大学生までの経緯から基本私はネガティブでした。
できなさそうなこと、苦手なことがあると逃げてました。

ただ、リクルートで逃げられない環境に再三身を置かれ、何とか食らいつく中で

「どうにかなる・する・できる」

と思えるようになったことはめちゃくちゃ自分の人生にとって大きなことでした。

今でもこの会社に端を発したいろんな繋がりがあり、支えられています。
僕はこの会社の人たちが本当に大好きです。

ITプロへ(転職の経緯)

じゃあ、なんでリクルートを出て転職するのか。 働き始めた時から今も変わっていない思いがありました。それは

「何歳になっても自由に選択できる人間でありたい」

ということ。

あんまり物欲とか金銭欲は強くないです。
ただ自分の興味関心が移り変わっていく中で、その時その時やりたいと思ったことを躊躇なく
選択できるような人でありたいとは思っていて、それができる自信を身につけたり、
人から求められる存在になりたいと思って仕事していました。

リクルートでの日々はとても充実してましたが、30歳を目の前に、今一度上記の姿を思い描いてうんうん悩んだ結果、「自分で作って売る」という経験をしたいと思いました。

但し、大きなキャリアチェンジになるので、自分を奮い立たせられる環境が必要。
そのためにリクルートを「出て」チャレンジする場所を探し、転職活動を始めました。

僕を奮い立たせるもの、それはリクルートでもそうであったように周りの「人」の存在が大きいです。
もうめちゃくちゃ前のめりで、仕事に打ち込んでいる人がいる環境に行きたかった。
そうすれば逃げられないから。
「作って売る」×「人」という観点で先輩エージェントに紹介をお願いし、
最初に紹介されたのがITプロでした。

代表の木村に会って、「ああこの人すごい」と思いました。
彼から聞くITプロの環境も、全て自分が望むものに思えました。
後で他の方にも会いましたが、ほぼ決めていました。
こうして僕の転職活動はほぼ1社で終わりました。

引き継ぎやらを何とか落ち着かせ、入社を決めてから約半年。
ようやく1月に入社しました。若い若い会社では約30人いる社員の中でだいぶ上の方です。
そんな中でペーペーとして生まれて初めての営業や新規事業の立ち上げに奔走しています。
楽しいです。初めての営業予算も達成できました。

でもまだ、思い描いたような経験はしていない。
ここに来たからこそ、なんでもかんでもやりまくる経験をしないと。そしてそれを取りに行かないと。

まだまだ、これからです。

自分のような年代で、自分のキャリアに何か思うところがある方、一度お話ししに来ませんか?
めっちゃ採用してます笑!


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