今年で7期目となる株式会社FMC。Webサイト制作、コンサルティングを中心としながら楽曲制作やアーティストマネジメント、古着ECサイトの運営や自社イベント企画まで、独自のスタイルで事業を展開しています。
今回は安東に引き続き、取締役である熊田のバックボーンを掘り下げました。
熊田はFMC創業当時からのメンバーであり、安東とは10代からの付き合い。熊田は過去、Web業界だけではなく古着業界にも従事しており、現在に至るまで様々な経験をしたといいます。今回は、熊田が株式会社FMCの取締役になるまでの軌跡を、様々な経験とともに話してもらいました。
熊田 裕一(くまだ ゆういち)
1983年生まれ埼玉育ち。小学生の時に洋画が好きになり父親と一緒にテレビで見たバック・トゥ・ザ・フューチャーでアメリカンカルチャーにどっぷりハマる。ファッションと音楽とバイクにのめり込んだ10代から20代前半を過ごす。
卒業後はビンテージ古着のショップに勤務しECマネージャー兼バイヤー、ショップ店員などを経験。
2011年に古着のECをもっと良くしたくWeb制作を独学で学び初め、副業としてフリーランスを経験しディレクション〜納品まで行う。
2012年、現代表の安東に誘われ教育業界のスタートアップ企業のWeb事業部に転職。自社の教育事業のウェブ企画やメディア制作•運営にも携わりつつ、数々のWebサイトの実装を経験。FMCではフロントの実装だけでなく、エンジニアやメディア運営の経験を活かしたディレクションを行っている。
–本日はどうぞよろしくお願いいたします!
早速ですがまずは社長と同じく、大学時代からのお話を教えてください。
よろしくお願いします!
大学時代は経済学部に進学しました。山上にある校舎で、途中に(動物園があって)キリンが見えるような田舎の学校でした。当時、勉強はあまり好きではなかったので、単位を取るために授業に出て、出席を取ったら抜け出して、河原でバーベキュー。そんな良くない大学生活を送っていました。
学生時代のバイクチームの仲間が撮ってくれた一枚
–やんちゃだったんですね(笑)
みんなが就職活動をする中、ふわふわとした日々が続いていました。その後、両親からフリーターだけはだめだと言われ、専門学校に入ることに。当時から洋服、音楽、バイクが好きで、その中の何かに関わる専門学校に行きたいと考えていました。
当時の私なりに今後の将来性を考えると、どれも決めかねてしまい、結局は手堅くプログラミングの学校に行くことにしました。 今でこそ自分の本業になっていますが、当時は大のパソコン嫌いで。将来性を考え、これからWebを使いこなさないとなと思っていましたから、苦手なことは続けていけば苦手じゃなくなる。嫌いなものはやり続けると嫌いじゃなくなるという信念が当時からありました。
–素晴らしい信念です。
プログラミングの専門学校に行ったあとは負けず嫌いな性格もあり、どんどん成績が上がっていきました。その後、2回目の進路選択がやってきて、「まだ働きたくない!仕事先はいくらでもあるし、少しの間大好きな古着屋さんで働こう」と決断しました。(笑)
就職率100%の学校ということもあり、専門学校の先生たちに絶対に就職してほしいと言われていたのですが、反対を押し切ってその道に進もうと決意しました。その年の専門学校の就職率は下がってしまったので申し訳なかったです。
–そんな背景があったのですね。専門学校を卒業してからは古着屋バイヤーになられたということで。
はい、そうですね。仕入れもですが、アナログな業界なのでWeb周りに関して頼られることが多かったです。その後、アルバイト期間を経て社員となり、EC担当部長に就任しました。SNS、販促など、他社の店舗と商品の委託販売の契約をしたり、商品管理をしたり。裏方の仕事を週4日。週2日で店舗に立ち、仕入れがあるとほぼ休みなしな生活をしていましたが本当に好きなことだったので楽しかった記憶があります。
広報・販促周りは一任されていたので、TwitterやFacebookだけでなく毎日ブログも書いていました。今となっては当たり前ですが、当時そんなことしている企業が少ない中、アクセス解析を見てどんな記事が見られているか、どのキーワードでランディングしているかを調べたり、色々と模索しました。
忘れていましたが今思うとこの頃からWeb周りのことやってましたね。
古着屋店員時代
–その後はずっと古着屋さんにいらっしゃったのでしょうか?
それがそうでもなく。27歳になった頃、仕入れに行くうちに「アメリカであんまり古着が買えないかも」と感じるようになりました。「世界的に見ても古着が少なくなってきている!」と危険信号を感じ、できる限り在庫を減らして良いものを仕入れて、もっと回転を上げていこうと思いました。そこで、様々な販促活動を試みたり販売チャネルを増やそうとしたのですが、当時の上司は現状維持派で、私と意見が合わず、退職することになってしまいました。古着事業で目標金額の達成が見えてきたからこそ、もっと拡大したいという思いがあったため、悔しかったですね。
その後は手当たり次第に職を探しました。 様々な業種に応募し、受かったのが商社の営業職でした。商材は全然知らない電子部品でしたが、金額、利益に焦点を当てて営業活動を続けました。一日テレアポ+訪問で、ノルマもあり、8時始業23時に終業、隔週土曜出勤でこれまたハードな会社で(笑)。すぐにやめようと考えましたが、その後4,000万円ほどの大きなプロジェクトの営業に成功し、このプロジェクトを成功させてからやめようと決意しました。
全く言葉のわからない中国にクライアントを連れていき工場視察をしたり… 何が正解かもわからない、何を喋っているかもわからない、文化もわからない、私の人生の中で1番何もわからなかった時間でした(笑)
当時の先輩だったり、顧問の方、工場の方々に色々と助けていただきプロジェクトを完遂しました。
大きなプロジェクトを完遂させた達成感はありましたし、助けていただいた方達への恩もあったので悩みましたが、結局営業職はやりたい仕事ではなかったなと思い退職しました。
この経験で周りの人の大切さを学ぶことができたと思います。
–次の職場もなかなか壮絶な環境だったのですね…。
そうですね。そして結局以前いた古着屋さんに戻りました。休みの日はずっと興味があったSNS(Twitterや2ちゃんねる)でオフ会を企画し、人脈を広げる発信をしていました。そんな活動を続ける中、SNSで知り合った、今では恩師となる存在にサイト制作の知識やノウハウを教えてもらっていました。そんなきっかけから自分でももっとWebアプリ、プログラミングなど、Web制作以外も頑張りたいと思い、古着屋の仕事が終わった後、自主勉強。恩師の教えと努力でエンジニアとしてぐんぐん成長していきました。
スーツから解き放たれて自由人になった私
–古着屋での業務とエンジニアとしての自主勉強を両立されていたのですね!素敵です。 安東社長との出会いはどのようなものだったのでしょか。
29歳になると、そんな努力も実り、フリーランスとしてWeb制作の仕事を依頼されるようになりました。初めてお金をもらった制作仕事で、初めてヒアリングから納品までを担当します。そこから制作が面白いと思うようになりました。
ある日、facebookで「Web制作会社に転職したいなあ」とつぶやくと現社長の安東から久しぶりに唐突にコメントがあり、一緒にやらない?と誘いをもらいました。そこで数年ぶりの再開を果たし、安東がクリエイティブ部長を務める会社のWeb事業部に入社することになりました。
女子高生限定イベントに招待されて浮いていた安東と私
そこではクリエイティブに特化した仕事ではなく、本体の教育事業のweb運営、メディア企画、運営などをしつつ、受託も細々と受けたりと学ぶにはとても良い環境だったと思います。 受託の実績も増えてきて、他社のディレクターさんと一緒に大きなクライアントのサイトの実装をしたりと経験も増え、そのように着々と成長しながら過ごしていたのですが、安東から休日に突然の連絡があり・・・近所のジョナサンに集合することになります。そこで初めて安東の独立の話を聞かされました。その際、「ついてきて欲しい」と言われ、朝の5、6時くらいまで今後の話を聞きました。
その時、別の会社からオファーが来ていたので、正直迷っていました(笑)ですが、安東の顔はすがすがしく、今のWeb事業部の可能性や安東とのフィーリングを信じて、ついていくことを決めました。
アルバイトスタッフの卒業記念
熊田(お遍路Ver)
-そんな秘話があったんですね。今後FMCは関わる人に、どんな会社だと思われたいですか?
思われたい…でいうと、またお願いしたい、依頼した時に安心できるなど当たり前のことは大前提として、スタッフみんなが楽しそうに働いていて楽しそうなプロジェクトをしてるなと思われたいです笑
ただ、現在も頼みやすい雰囲気だったり、FMCに聞いてみたらなんとかしてくれそうなどと思ってくれているクライアント様が多数いらっしゃいますので、その印象は安東や私以外のスタッフ達も引き継いでもらいたいと思っています。その上で求められる以上のものを作り、ビジネスの成長の手助けができる企業だとか「FMCに依頼したい」と思ってもらえるようなしっかりと業務で結果を出しつつも温かみのある企業だと思ってくれる方を増やしていきたいです。
-FMCはそう思われる会社であり続けると思いますか?
もちろんです。人も会社も変わっていくものなので数年後に今思っていることで満足できているかはわかりませんが、コミュニケーションの取りやすさや相手への気遣い、助け合い、人とのつながりを大切にするマインドはなくなることはないと思います。
FMCのスタッフは常にそういう人であってもらいたいし、採用の際にも気にしているポイントだったりします。
7期目を迎えどんどんと変化していくFMCですが、これからも人と関わりを大切にしお付き合いしている方々と伴走し皆様の役に立てられるように頑張っていきます!
-貴重なお話大変勉強になりました。本日はありがとうございました!