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高2の夏、僕は変わった。

人生の「ターニングポイント」から学んだこと

はじめてストーリーを投稿します!東北大学4年(2020年6月現在)の椎木(しいき)です!少しずつ自己発信をしていきたいな、と思い、noteのような媒体で投稿しようかと思っていたのですが、どうせなら自分のライフログをしっかりと残せる「wantedly」で記事を投稿しよう!と決めました。

初回で振り返るのは、今から5年も前、僕の人生のターニングポイントとなった高2の夏の出来事です。いわゆる「モチベグラフ」を書けば必ず最低ラインをぶっちぎり、自分の人生を語る上では欠かせない、でもちょっと青春っぽい思い出...。

こいつってどんな人間なんだ?という方に、ぜひ読んでいただければ嬉しいです!

悪夢は小学校からすでに始まっていた

僕が育ったのは兵庫県にある小さな埋め立て地の上。徒歩10分圏内に全住民が住み、四方八方を海に囲まれた環境でした。小学4年まで10年間続いたのは、平凡だけれど平穏な日々。児童同士の大きないざこざもなく、不良もいない、純粋な子供たちが仲良く過ごす学校。

そんな日々がぶち壊されたのは、小学5年で「本土」から「島」へやってきた「一人のヤンキー」。彼女の転校がきっかけで、男女間に亀裂が入り、グループというものができ、いじめ・差別が始まったのです。今思えばこれが最初のターニングポイントだったのかもしれません。僕は「暴力という理不尽な力で支配される」ことへの嫌悪感から、別の、真っ当なやり方で1位になってやろうと強く思い、そこで選択したのが「勉強」でした。

もともと少しは勉強ができた僕は、より勉強し、無謀にも中学入試を受けることを入試の2ヶ月前に決断。もちろん失敗しましたが、そのかいもあって中学では常に成績上位をキープします。そして中学2年の1月、僕は「生徒会長」になり、勉強という能力的にも、生徒会長という権力的にも、初めてすべてを支配したという感覚を覚え、まさに中二病に中2でかかったのです。それでも当時は「理不尽な力」に「純粋な努力」で挑み続けた自分が報われたという安堵感が強くありました。何よりもそれを褒めてくれる親や教師、慕ってくれる友達や後輩の存在が、自分にとってはとても大きなモチベーションでした。

中二病の僕、暴走。

そんな中二病の僕は、「自分の強み」さえ把握していたものの、自分ができないこと、他の人ができること・できないことに目を向けず、周りに頼らないまま活動。気づけば「思い込みのリーダーシップ」と「意味のない1位への執着」が僕を取り囲んでいたのです。

そのまま鼻が高くなった僕は、市内TOPの市立高校へ入学。その高校の生徒会は部活のようなもので、1~3年までが所属できるという特殊なシステムだったため、僕は迷わず1年生から参加。水泳部と両立しながら業務を続け、鼻はどんどん高くなるばかり。そして高2の5月、僕は高校でも生徒会長に就任します。

その高校では7月に文化祭が行われるのですが、僕は文化祭の実行委員長でもないのに「持ち前の鼻の高さ」でやたらとマウントを取り、自分の業務は一人で抱え込み、とにかく前に前に出たがるという、純粋に「嫌な奴」でした。文化祭は金・土で無事開催され、満足できるものではあったのですが、実際の実務はボロボロ。準備不足がたたり、いたるところで運営サイドは疲労困憊の色を見せていました。

そしてその翌週、僕に鉄槌が下されるのです。

ついに。

文化祭後はじめてのmtgで言われたこと、それは、「当時決まっていた10月の体育祭実行委員長の任務を、別のメンバーにやらせる」ということでした。「なんだそんなことか」と思われた方も多いかもしれませんが、どちらかというと「生徒会顧問」「水泳部顧問」の両者が僕にそれを命じてきた事実と、周りのメンバーから明らかに「僕を信頼できない」雰囲気が滲み出ていたことに大ダメージを食らったのです。

確かに、鼻が伸び切っていた僕は「周りに頼ること」を知らず、「自分の強み」にだけ目を向けていた。「周りの強み・弱み」なんか気にすることなく、「自分の弱み」がないかのように強がるのが当たり前だった。そんなやつを信用する人は、誰もいません。

おまけに、文化祭の2週間前には祖父が亡くなり、7月末には当時想いを寄せていた先輩との関係が消滅。水泳部の日々の練習も肉体的に僕を苦しめ、髪の毛がどんどん抜け、腹痛が日々続き、という散々な状態になったのです。

それでも僕には、その体育祭実行委員長を諦められない理由がありました。それは、一つ上の体育祭実行委員長が、僕を大切に育ててくれたから。「来年は椎木がやるんだよ」といって、手取り足取り実務を教えてくれたことを無駄にしてはいけないと、ボロボロになりながらもその想いだけは消えることがありませんでした。

そして僕は、再度信頼を取り戻すため、行動を起こします。

強みの一つ「観察力」の原点

まずは生徒会顧問と水泳部顧問に謝罪。水泳部顧問に泣きながら「やらせてください」と頼み込んだ時間は、一桁時間では収まりませんでした。そしてメンバーの前でも「情けない」という感情を持ちつつも謝罪。なんとか任せてもらうことができました。

そこからが本当の勝負。僕はとにかく業務を効率化し、周りに頼ることを徹底的に行いました。今までは何かトラブっても「自分のせい」と思わなかった甘えから脱却し、全てを自分の責任だと捉えてひたすら前進。特に気を付けたのは、メンバーとのコミュニケーションの時間を圧倒的に増やしたこと。そこから見えてきたのは「メンバーの強み」「メンバーの弱み」そして「自分自身の弱み」。今まで見ようとしなかったその世界は、自分の今の強みである「観察力」を思い切り伸ばしてくれました。

とにかく前進あるのみ。自分にそう言い聞かせ、走り切った3か月間。体育祭も無事終了し、教師や友達からも色々な声をもらいました。何よりうれしかったのは、一つ上の元実行委員長から届いたメッセージと、メンバーからの「お疲れ」の声。そのやりとりの一部は今もLINE上に残っていて、絶対に消すことのできない大切な記録です。

そして、今。

大学に進学し、インターンを始め、就活をして...と色々な活動をする中で、「観察力」はとにかく必要だったことに気づかされました。また、それ以外にも「思い込みのリーダーシップ」「意味のない1位」に対する批判を自分自身に言い聞かせることができ、より自分の将来なりたい姿に対して本質的な思考を続けることができています(その結果が、「No.2の中のNo.1になりたい」というMISSIONです)。

もし高2の夏、こんな経験をしていなければ...

二度としたくない経験だな、と思いつつ、実はあの3ヶ月間が自分が人生で一番「人間的に」成長した時期だったのかもしれない、と思うと、今ではまるで「青春の1ページ」のように大切にしまっておくことができています。あの時僕を見切らずに支えてくれた生徒会のメンバーは、僕の中で大きな存在となり、今も帰省すれば頻繁に会ったりしています。あの時、諦めずに行動した自分も偉い。今ではそう思えます。

僕の強みの一つ、「観察力」。それを、高2の夏で身につけました。
自分が明らかに変わったこの経験を無駄にせず、「観察力」を伸ばし続けていこうと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました!

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