私の原体験:福祉を学ぶ採用コンサルタントのライフストーリー
【ライフストーリー】私の原体験
少々長いですが、私の原体験を辿っていますので、ぜひ御覧ください。
○学生時代
・高校・短大は情報電子系の学科で電子回路、組み込みプログラミングなどを学び、仕組みを知ることの面白さを知りました。
○社会人時代
・設計業5年(機械、足場設計)
新卒入社の会社で、入社直前に配属先変更になったことがきっかけで鋼構造物設計の世界へ。
AutoCADの操作方法をマスターするが、CAD操作のセンスと、立体をイメージしながら図面を描いていくセンスは異なることを実感。
・PC家庭教師1年
本人のやりたいことに合わせたオーダーメイドの指導をした方が記憶に定着しやすいことに気づいたので、先にやりたいことをお聞きしてから、そのために必要なことだけを教える。
・母が友人からひどい裏切られ方をされて苦しんでいるのを目の当たりにしたことをきっかけに、心理学に興味を持つ。
・興味を抱いた分野:騙しの手口、ハラスメント(虐待)、共依存、依存症、パーソナリティ、アイディンティティ、アダルトチルドレンの分野に惹かれるも、自分や家庭環境にも当てはまっていることに気づいてしまい、世界観が崩される。
・回復のためにカウンセリングやグリーフワークの本を読み、自分の心の中で起こってきたことを客観視できるようになって徐々に癒やされていく。
・職場や教会の人間関係にも恵まれ、私の過去を打ち明けても受け入れられ、自尊心が回復していく。
・接客業3年
大手スーパーのサービスカウンター&ギフトコーナーでパート社員として働く。
入社半年の間に二人がクレームが原因で休職し、パートながらギフトコーナーのリーダーになる。
カウンセリングの学びを通して、問い合わせ対応やクレーム対応にやりがいを感じていたのだが、周りがクレームで心を病んでしまい、助けることができなかったことを悔やむ。
・親戚が産後うつ病に
産後うつになる前の出来事が耳に入る。
彼女の母親は、娘の自立心を潰す言動を浴びせ、子どもを生むことに対する強烈な罪悪感を抱かせていたこと、娘の父は妻の言動に無関心だった様子を見る限り、機能不全家族の特徴とそっくりだと気づく。
表面上、明るく親切な親戚とその両親と接する機会があったのに、当時は問題を見抜けず、彼女の心が破壊されてしまい、何もできなかったことを悔やむ。
「私が助けられなかった人を助ける力が欲しい!傷ついた心を癒やし、自分の人生を取り戻すサポートがしたい。」
・虐待被害者の自助グループに参加
育った環境で自立心を砕かれてしまい、他人との距離感が上手く取れなかったり、高等教育の機会に恵まれず仕事で苦労したりしている人たちと出会い、心のケアと自立支援・就労支援をしたいと願う。
・ソーシャルワーカーとの出会い
困っている人に寄り添い、医療機関、福祉期間、行政機関、カウンセラーや自助グループとの懸け橋となり、相談者のためにオーダーメイドのチームを作って支援するソーシャルワーカーの働きを知る。
「この人達から学んで協力すれば、私が助けられなかった人たちを助けられるかもしれない!」
精神保健福祉士の方との出会いがあり、キャリア相談の機会を作っていただき、資格取得を計画する。
聖徳大学通信教育部社会福祉学科に入学し、社会福祉士と精神保健福祉士の資格取得を目指す。
・福島~千葉へ
聖徳大学のスクーリングに通うため、千葉県へ引っ越し。
職場の仲間や友人たちから快く送り出していただき、私には最高の応援団がいたことを再確認する。
・採用コンサルタント(求人広告営業) 2019/9~現在
ソーシャルワーカーの資格取得までの間、「懸け橋」としての仕事をしたいと考えている時期に、求人情報誌の採用コンサルタントの求人情報を見つける。企業HPを見て「仕事の悩みを抱えている求職者と人手に困っている求人企業の懸け橋」としての働きに興味を抱き、入社する。
実際に仕事をしてみて、企業様の採用課題をヒアリングし、欲しい人材に届けるための求人原稿を作成し、反響確認し、次の一手をお客様と一緒に考える働き方にやりがいを感じている。
お客様から信頼していただき、「次もまたお願いします」と言われた時の喜びが、「お客様の課題を解決するために頑張ろう」という原動力となっている。
夢に向かって一歩踏み出したばかりで、計画通りにいかないこともあり、不安を感じることもある。
それでも安心して前に進むことができるのは、
幸いにも応援してくださるかけがえのない仲間たちに囲まれているからだ。
これからも、お互いの使命を応援しあえる仲間に出会うことだろう。
私一人では成し遂げられない目標も、共感してくれる仲間と一緒なら、実現できると信じている。
また、どんなに困難でも、どんなに時間がかかっても実現しなければならない。
過去の私のように、助けを必要として声なき声を上げている人たちが待っているはずだから。