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『書く・撮る』でなにができるだろう?あるフリーライターの日常的挑戦

「そうだ。名刺を注文しなくちゃ」

きっかけは、日常的なささいな出来事。ごくごくありふれた、ビジネスパーソンであれば誰もが経験するだろう、そんな瞬間からはじまった。

取材・撮影が続くと、いつのまにやら名刺のストックがなくなっている。とりわけ日本は名刺文化が根強く、初対面の挨拶時には伝家の宝刀とばかりに登場するので、名刺交換の機会が多いことも関係するだろう。

「名刺代わり」なんて言葉もあるくらいなので、ビジネスシーンにおける名刺の役割は、単なる挨拶ツールの範疇を超え、“顔”としても活躍してくれるものなのかもしれない。

「いやいや、このデジタル時代に名刺はいらないでしょ」

ビジネスどころかプライベートでもペーパーレスを信条とする人にしてみたら、こんな本音を抱えるのも無理はない。その気持ちもよくわかる。

なにしろデジタル・ガジェット全盛の現在、パソコンは当然ながら、スマートフォンで仕事をする人も増え、一度シームレスの心地よさにハマったらちょっとやそっとじゃ抜け出せないし、抜け出す必要もない。

かく言うわたしもそのひとりだ。

原稿や写真、企画書、分析報告書の類いは言うまでもないが、資料もデータのほうがありがたいし、請求書もデータ信仰派である。スマートフォンでの作業や確認も日常茶飯事となったビジネススタイルを考えると、「いつでもどこでもオンライン」はドラえもんのどこでもドアと等しく便利なのだ。

「ペーパーレス大賛成!」と声を大にしてもいい。「スマホなくちゃ生きていけない」は、なにも女子高生だけの合言葉ではない。

その一方、紙ものをこよなく愛するのがわたしだ。一例として、数年ぶりにアナログの手帳でのスケジュール管理やアイデアメモ、思考整理などを復活させたところ、さらに仕事がはかどる驚きの結果を得ることになった。

考えてみれば、わたしのキャリアは筆記具・文具メーカーからスタートしている。当然といえば当然の価値観や在り方なのかもしれない。

ビジネス界にまことしやかに存在する「結果にこだわるビジネスパーソンほど紙の手帳を愛用する」という興味深い傾向も見逃せない。身に覚えがある人も少なくないだろう。あらゆる思考が醸成され、クリアになり威力を発揮する快感は、デジタルだけでは到底たどり着くことができない領域といってもいい。

加えて、わたしが女性であることも恐らく関係する。時代は変われど女性はアナログの質感や世界に惹かれる層が多い。「紙ものないとつまんない」も、決して女子高生だけの合言葉ではないのだ。

話を冒頭の「そうだ。名刺を注文しなくちゃ」に戻そう。

名刺のストックを切らしていたことに気づいたわたしは、前回同様、オンラインでデザインから注文まで行える印刷サービスを利用することにした。

洒落たテンプレートが数多く用意されており、名前やメールアドレスなどを入力するだけで完成する。本来であればPhotoshopでデータを作成し入稿したいところだが、気に入ったデザインが見つかったのでそのまま使うことに決めた。

わたしの目に留まったそのテンプレートは、上部にブルー系のロゴがあしらわれ、同色で社名やプロジェクトネームを入れることができ、その下に名前や電話番号、メールアドレス、一番下に同じブルー系でURLが印字される。

ひとめぼれの理由は、ブルー。「生まれたときから青好き」を自負するわたしの心をつかんだのは言うまでもない。

ここで「さて、どうしよう?」と思案することになった。

社名、もしくはプロジェクトネームか。困ったな、会社組織にはしていないし、フリーランスのままだし、屋号も特に設けていないし、キャッチコピーでも入れようかな。

それから、URL。これまでポートフォリオ代わりの〈SACCHI’N MIND SHARE〉のアドレスを入れていたけれど、やっぱりフリーランスで仕事をしている以上、そろそろきちんとしたポートフォリオサイトを作ったほうがいいかな。

なんともわかりやすい「さて、どうしよう?」である。

そしてわたしの性格上、この「さて、どうしよう?」から一気に物事を運ぶクセがあることを周囲にはよく知られている。

現在、プライベートで運営しているライフスタイルウェブマガジン〈SACCHI’N MIND SHARE〉を独自ドメインとWordPressでの体制に変更する際、わたしが名付けたのはblueazure.jpだった。

「BLUE AZURE」という名称には、実は並々ならぬ思い入れがある。

いまから20年近く前、個人でHPを作成する時代に突入した当時、デジタルアレルギーだったこともあり「無理無理!」と及び腰ながらも、「自分で発信できる」魅力に惹かれ、Windowのメモ帳にちまちまとHTMLを記述して完成させたサイト、それが「BLUE AZURE」だった。

作成にあたり、当初はソフトウェア購入を考えたが、試しに使用してみたところ、細かい微調整がどうにもうまくいかない。

その結果、こだわりだすと止まらない性分に火がつき、「無理!」「苦手!」と断固拒否を貫いていたにもかかわらず、HTML大辞典を買い込み自力で完成させたのはなんともくすぐったい思い出だ。

時は流れ、WordPressでのブログ運営が当然といった環境が整い、優れた有料テーマも数多く世に出回っているが、当時があったからこそ恩恵に感謝できるというものである。そしてそうしたバイタリティや、恩恵を享受する豊かさへの想いは、昔から変わらずわたしの仕事を支えている。

なにを隠そう、BLUE AZUREでドメイン取得を行っていたのは、いつか再び使う日のため、というとちょっと大げさかもしれないが、当たらずとも遠からず。なにかしらで活用しようと考えていた。

「………SACCHI’N MIND SHAREはわざわざサブディレクトリで運営してきたんだし、せっかくルートドメイン(blueazure.jp)を空けているんだし、いい機会だし、ねえ」

誰に語っているのやら……といったつぶやきをひとり繰り返すのは、特に多忙時のわたしの特徴である。スケジュールは詰まっている。どう考えても余裕はない。

「………でも、ねえ」

誰に語っているのやら……間違いなく自分への問いかけであり言い訳だ。「やればできるんじゃないの?ねえ」「かなり疲れるだろうけれど、ねえ」といった具合に、マゾモードを全開にする瞬間である。

思い立ったが吉日。昔の人はよく言ったものだ。

そもそもわたしの行動パターンは、熟考を重ねる反面、突然ひらめき「あ!思いついた!」で突っ走ることも少なくない。良く言えばインスピレーションというやつだ。ただ、偶然の産物がより良い結果に結びつくことをよく知っているのでやめられない。

ふと、名刺テンプレートの必要情報欄に「BLUE AZURE PLANNING」と入力していた。思いつき以外のなにものでもない。

「昔からプランニング能力を買われてきたというのもあるし、顧客のベストをプランニングしながらプラスに導くのがモットーだし、ねえ」

思いつきで突然決まった屋号。5年間まったく考えていなかったのに、決めるときは往々にしてこんなものか。

そこからの行動は早かった。

「名刺に印刷して公に出すんだったら、blueazure.jpがちゃんと機能していないとまずいよ、ねえ」

繰り返すがスケジュールは鬼のように詰まっている(注:現在進行形)。にもかかわらず、仕事の合間や寝る時間を惜しんで作業を続けるマゾ大王と化していた。我ながら笑うしかない。山本リンダの「どうにも止まらない」状態である。

  • ポートフォリオサイトのイメージとコンセプトを描く。
  • 写真ストックからイメージに合うカットをセレクトして仕上げる。
  • イメージ・コンセプトに沿ってポートフォリオサイトを作成する。
  • ロゴや関連イメージ、プロフィール画像を作成する。
  • 各コンテンツのテキストを書いて公開する。
  • Twitter・Facebook・Pinterestの各アカウントを取得して公式ページを作成する。

「ねえ?これ、いまやる必要あるの?死にたいの?」

脳内パトラッシュに「ぼくはもう疲れたよ……」と語りかけるのも多忙時の鉄板として知られるわたしだけに、こうした自問自答はお手の物である。それでも、思い立ったが吉日なのだ。

完成したページを目にするたびにニヤニヤしてしまう変態度数の高さもあいかわらずである。働き方改革に逆行しているとツッコまれようが、「自分が好きでやりたいからがんばれるのだゴルア!」の秒返しはご愛嬌だと許してほしい。

で、現在これを書いている。光陰矢の如し。やっぱり昔の人はよく言ったものである。

ポートフォリオサイトを作成してみて「よかった」と実感したことがある。これまでひたすら地道に実践してきた毎日を言語化する機会が持てたことだ。

サービス紹介やコンセプトなど、ひとつずつ書きつづりながら、「そうだ、わたしが大事にしてきたことってこれだ」と、言葉にしてみたことであらためて気づけたといってもいい。

『書く・撮る』プロジェクト。

思いつきでキーワード化してみたとはいえ、そのベースには社会人デビューから数十年の積み重ねがしっかりと息づいている。わたしに言わせると、社会人人生とは壮大なひとつのプロジェクトである。つまり、思いつきは単なる思いつきにあらず、なのだ。

「『書く・撮る』でなにができるだろう?」

ふとした瞬間、自らに問いかけてきた。

大それたことができるとは思っていない。とはいえ、大それたことができるとは思っていない、と襟を正すことを片時も忘れないわたしだからこそ、市井を彩る多くの日常を伝えることができるのではないか。

映画やドラマはことさら大げさに描こうとする。とりわけここ最近の狙いすぎてあざとさばかりが残るドラマにはその傾向が強い。準公人、一般人を問わず、総じてSNSマウント族に感じる空虚で物悲しい印象とよく似ている。

その反面、上質な作品ほど華美な演出を避け、作り手や演者の自然な息遣いや価値観まで感じられる。これは映像作品好きのみならず、多くが周知の事実として認識していることではないだろうか。ご多分に漏れず、わたしもそうした作品や作り手、演者が好きだ。

自然とそれらに目が向くわたしは、市井のささやかな日常こそもっとも価値あるものだと信じている。世界を形作っているのは決して大国の偉い人ではない、多くの一般庶民なのだ。

ともすれば大国の偉い人や、声が大きく未熟な準公人の発信に惑わされ、誰の得にもならない評価競争をしかけ、無意味に人を傷つけた結果、己の焦燥感を倍増させているに過ぎない気の毒な生き方を晒す幼い人間が少なくなくなった世の中で、世界を救うのは多くの民に違いないと断言したい。

己の未熟さで他者の揚げ足を取り、批判を繰り返し否定することで優秀になった勘違いに陥るのは馬鹿げている。そうした人間性や立ち居振る舞いを評価する人間がいるとしたら、同じ穴の狢であり、本質的に誰からも評価されず愛されない黒いオトモダチだ。

気に入らない、あるいは隠しきれない嫉妬心から身勝手にライバル視した特定の人物や組織を攻撃しスポイルすることで溜飲を下げる、浅はかで歪んだ人間性を晒すうちに、周囲の有力者からスポイルされていたのは実は自分とオトモダチだった、という流れが世の常だと気づいたほうがいい。

人はいがみ合うのではなく共闘したほうがずっと楽しいし、なにより賢い在り方だ。その共闘の手段として、これまで営業やマーケター、ディレクター、マネージャーとしての能力を駆使してきたわけだが、そこに『書く・撮る』が加わったのが現在のわたしである。

『書く・撮る』でできること。さて、今日はなにができるだろう。

わたしの挑戦は続いている。今日も、明日も、明後日も。

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