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服は人と人との接点である。

先日、色々な事情と不運と事故がぶつかって、日焼け止めだけ塗って似合わない眼鏡にジャージにピカチュウのTシャツ、寝癖のとれない髪型のまま大学から友人宅に向かった日がありました。

その時、自分がなぜ服という業種でやっているのかをとても考えたので、少々ポエムっぽくなってしまいますがまとめてみました。



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今、私は、日焼け止めだけ塗って似合わない眼鏡にジャージにピカチュウのTシャツ、寝癖のとれない髪型のまま大学から友人宅に向かっています。


正直、流石にこの格好で知人に会うのは自分自身の少ない尊厳のためにも辞めたいと思い予定は一度断ったのですが、大丈夫!来て!ということでとりあえず顔だけ出しに向かっています。

夏休み中は家から出ないか、ある程度時間に余裕があって化粧とか靴とかしっかりした状態でしか出歩いてなかったので、今はただでさえ心もとないのに、更にこれから知らない人たち含めて大勢と顔をあわせるんだと考えたら動悸が止まらなくてただただ不運に手を合わせてます…。


と、こんなごちゃごちゃした状況で自分が考えていたことを今からまとめようと思います。 それは、私が現在生業にしている服というものについてです。


まず、私個人の解釈になってしまいますが、服というものには大きく3つの機能があると思っています。 最初は「衣食住としての衣」。単純に肌を露出しないためというのもそうだし、体温調節や衛生面などはここに含まれます。 そして次に「自己満足としての衣」。これは、どうせ着るならこういったものを着たいという趣向的なものです。それが「肌触りがよくて幸せなきもちになる」という場合もあれば「ヒールを履くことで背筋が伸びて自信が持てる」という場合もあり、色々な効果が人それぞれあります。 最後に、今回話したいのはここなのですが、「人と人の接点としての衣」というものがあると思っています。
自分がファッションという業界に携わる意義は以上三つに集約します。上の三つが、どれだけ人に大きな影響を与えているかを自分は身をもって知っているからです。 ITなどと違って企画生産業は、消費物、言ってしまえば”ゴミ"を世界に増やしていることにもつながりますが、それを自覚した上でもこうやって会社やブランドを続けている理由はここにあります。
特に人と人の接点という部分は大きく、誰かと話している時の視界の少なくとも3割くらいは相手の服が占めていると思います。ホテルでご飯を食べるのにTシャツジーパンで来られたらちょっとがっかりします。便所サンダルでぺたぺた歩いていると通りすがりの人に見られます。それに、彼女と目をつぶってハグしている時にも、服の質感は胸から腕から伝わってきます。更に良い雰囲気になったら、服を脱がせる、ブラホックを持って外すという動きまで付随してきます。それくらい人が複数人いる以上、何かしら間に入ってくるものが服というものです。
それだけに、服というものは人との間で大きな意味を持ち、それに関する嫌な思い出達もずっと心のどこかに残ってしまうものです。
私はずっと目が悪く眼鏡ユーザーなのですが、眼鏡を何度も体育で割っていて、眼鏡ブスと言われてきたため、もう心を許してない人の前で眼鏡をかけているだけで動悸がします。 他にもおそらく、その下着ウケるねと彼氏に言われたのがトラウマで似たようなものが着れないとか、大根足と言われたからスカートが着れないとか、人それぞれあると思います。 ある服装だと嫌な記憶が蘇って、笑顔が消えてしまうということもあると思います。それが冒頭の話になるかなと。

私はここ1年くらい、その接点を調整するということを覚えて、服の傾向が変わりました。 接点を調整するということは、自分の趣向を殺すということではありません。ただ、ちょっとだけ賢く、生きやすくするための手段であると思います。
人との接点を調整し、自分のトラウマと向き合うような服を着ることで、眼鏡をかけてサイズも合わない服を着ていた時よりもずっと、背筋を伸ばして歩けて、人に対しても寛容で、嫉妬に溺れることなく過ごすことができています。


服というものはそのように、人と人の関わり方を変え、関わり方が変わることによってその人自身の心のあり方まで変えれる力があります。 私はそのような力があると信じているからこそ、こうやって服と関わる仕事をしているのだなあと、最近改めて思ったのでした。

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