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人生を彩るのは忘れ得ぬ記憶 ~自己紹介~

Photo by Daria Gordova on Unsplash

おはようございます!

最近、Linkedinを開始してから実はTwitterも毎日投稿し始めました。現在、運営に携わっているホテルの事、これまで開発から携わったウエディングの活動記録から自己開示まで、オンラインで新たなご縁も広がり、プロフィールには書けない自己紹介的なエピソードを今日は「はじめまして」の方向けに素直に芸能から書き出してみました。

昔からの友人、現在進行で関わる人にも話してこなかった挫折からの話。何かの酒の肴、話題の一つになれば幸いです。

長いですよー♪。時間のある方だけ是非読んで下さい。


芸能と言っても演技などではなく、歌と作曲の世界、いわゆるシンガーソングライターの世界に18歳で飛び込み、実力不足と生意気な性格から5年ほどで何も成せずに挫折。悔しかったのですが終わりは突然にアッサリとやってきました。

当時出演したTV番組で声を掛けて頂き音楽の道を見出してくれたのが作曲家の鈴木淳先生、もがき苦しみ辞める前にお世話になったのが現在アイドルプロデュースで著名な先生。今でも感謝の気持ちしかありません。

さて芸能を諦めた後、何をしても上手くいかない、やりたい事も見つからない、立派な学歴もお金もない。ナイナイ尽くしのどん底からの再起でした。誇れるもの、自信が持てる物が無くなるのは本当に辛い事です。

ある日、アルバイトを続けながら酒屋で何気なく立ち読みをしていた時に、今は亡き恩師である小林史高先生(小林先生はその後、全日本コンクールでも優勝をされ、ワイン専門書も複数出版)と運命的な出会いをし、

「君さぁー酒屋で立ち読みするなんて、変わってるねー。ワインに興味があるの?」

当時、テレビドラマで稲垣吾郎が主演のソムリエが放送され、田崎真也さんもソムリエ世界一となり空前のワインブーム。



何となく「カッコ良いなぁ」と言う、そんな気軽な気持ちだけだったのに声を掛けて頂き、その日からワインを一から学び始める事にしました。そう、バカで本当に単純なんです。

猛勉強の末に2000年にソムリエ資格を取得。サービスの仕事が次第に私のやり甲斐と生き甲斐に変わり始めました。



2000年当時、ウエディング市場はまさに成長期で右肩上がり。次第にレストランでも普通にウエディングが求められるようになり、少しづつサービスの現場からウエディングに携わるように。

10代から数年間でしたが本気で音楽に携わっていた過去もあり、ウエディングに於ける司会や音響、照明、空間演出など、今日で言うプロデュースに少しづつ拘りが強くなり、昔の記憶が沸々と蘇ってきました。

「もっとこの瞬間の音楽や進行、演出にこだわりたい。司会のコメントが入る3秒ぐらい前からオープニングの曲がフェイドインしてスポットがここに当たって入場コメントのインサート、扉がゆっくりと重そうにギィーッと開いて…」

みたいな事を呪文を唱えるようにブツブツと話してばかりいたのですが、一念発起し、新たな道に進む決意を固め、ゼクシィを買って手が止まったページの会社に【筆ペンで書いた履歴書】送り面接を受け、一番心が動いた会社に入社すると決めていました。それがベストブライダル。現在のツカダ・グローバルホールディングです。



当時、Mrブライダルと言われていた現在の代表の塚田に出会い、面接なのに音楽活動の話しか聞かれず??、ぜんぜん仕事の事を聞かれない。。。これは脈が無いんだなぁ…と思っていたら突然、

「君、この絵を見てどんなシーンが思い浮かぶ?」と質問。君、それじゃあ普通だなぁーと笑いながら一言。

そこから2時間。今ここで結婚式が始まるかのような人の心を引きつけて離さないストーリーテリング、プロデュース力に圧倒され、その場で入社を決意。10代からお世話になっていた会社を衝動的に僅か1週間で退社。

今思えばそう、非常識極まりない所業でしたが、その後はもうあっという間。どっぷりとウエディングの王道と歩み続けて気がつけば今年で20年目。本当にあっという間の時間です。

2010年からは楽婚事業の創業、様々な人との出会いがあり2016年に沖縄に単身移り住み、ブランドホテルの中にチャペルを創りフォトウエディングのフォトプラ事業を記者会見をしてリリース。紆余曲折ありスマ婚に携わるまで。。。



やっぱりこれは書き尽くせない…のでnoteで何話かに分けて又改めて(笑)

「はじめまして」の方から頻繁にリアクション頂ける頂ける方まで良ければTwitterでもどうぞ宜しくお願い致します。

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