私のもう少し深い説明となります。
日本に来た理由は映像とは全く関係無いものでした。
カナダで生まれ育ち、20歳まで経っても高校を卒業していなかったのです。両親はその頃には日本に住んでいました。母に「貴方人生どうするの?」と聞かれ、子供の頃からサッカーだけ続けていた自分は、「サッカーだけは続けたい」と答えました。偶々、その頃新聞で大検(大学資格検定)を取りながらサッカー選手を目指す学校が日本にできたのを母が見て、日本に来るのを誘われたのです。
学校の繋がりで同じグループにJFLやJリーグから落ちてきた選手も所属しており、プロとの差を思い知らされ、直ぐに挫折しました。(誤解しないで下さい、サッカーの技術は低いです。でなかったら挫折していません。)
その次にどうするかと考えた時、「高校生の頃から書きたい本があり、これが映画化されたら、別のテーマで撮られては困る」と思い日芸の映画学科に入ったのです。しかし、大学にいる間にまだちょっとサッカーが続けたいと思ったため、卒業してからもバイトしながらちょっとだけサッカーを続けました。これが年齢の割りには、ADの経験が短い理由です。ADを始めたのは31歳です。
5年間ADをしていましたが、テレビ製作専門で仕事していては映画に進めないと思い、去年の夏にフリーランスディレクターへ切り替わりました。
分からない事を怖がって始めないよりも、分からない事をやってみれば経験と変わるから好奇心を持った方が良い。
何よりも、行動しない方が失うものはより多いと思い生きています。